第二十一話 姉をよろしくお願いいたします


 僕はまずエマ本人に行動を仕掛ける前に弟パスカルを攻略しておく作戦を取りました。


「パスカル、お疲れのところお邪魔して申し訳ないのだけれど」


「はい、何でございましょうか、ソンルグレ様」


 彼は嫌な顔ひとつせず僕を部屋に入れてくれました。


「少し君に聞きたいことがあってね」


「私の方からお部屋に参りましたのに……どうぞお入りください」


 長椅子に座るように勧められます。


「蒸留酒でもお飲みになりますか?」


「いえ、結構だよ。君が飲みたかったらどうぞ」


「いえ、私ももうこれ以上は」


 二人向かい合って座りました。


「単刀直入に言うよ。エマとよりを戻したい。行動を起こす前に領主代理である君の許可と協力が欲しいのだよ」


「えっと……私も、姉と貴方との間にはまだ何かしらの感情が残っているようだとは思ってはいましたよ。それでもソンルグレ様は二週間の勤務を終えられると王都にお帰りですよね……その、うちの姉のことは……」


 パスカルが言い淀むのをさえぎりました。


「僕は真面目に彼女と将来を共にしたいと思っている。まさか、ただ滞在中の火遊びだと考えているならこんな正々堂々と君の許可を求めたりしないよね。だから君に先に打診して、本気でエマを口説きにかかるつもりだ」


「そこまでお考えでしたか……何にしたって私の許可なんて必要ないですよ。大人同士の恋愛です。ソンルグレ様のお好きなようになさって下さい。それで姉が幸せになるなら万々歳ですが、上手くいかなくてもその時はその時でしょう。私は別に気にしませんし、誰にも言いません」


 話の分かる奴で良かったです。


「良かった。実はもう一つお願いがあるのだけれど」


「貴方の部屋を二階の姉の隣に移せばよろしいのですか?」


「いや、そこまでしてくれなくても……今の部屋で十分だよ」


「そんな、遠慮なさらなくても」


 僕は苦笑せずにはいられませんでした。それはとても魅力的な提案ではありましたが、どうせ僕はエマの部屋には瞬間移動で入れるのです。彼女の部屋への距離は関係ありません。


「部屋ではなくて……僕達の遠征は二週間の予定だけど、その後休暇を取っているのだよね。僕だけもう一週間この屋敷に続けて滞在させてもらえるかな?」


 パスカルはニヤリと笑っていました。


「構いませんよ。いくらでも滞在延期してください。丁度いいです、うちの領地の夏祭りが三週間後に行われます。王宮で上げられる豪華絢爛なものに比べると規模は劣りますが、花火もありますよ。是非姉を誘って下さい」


「へぇ、そんな一大行事があるのだったら行かなければね」


「演出としてはこれ以上ない良い機会ですよ。夏祭りの花火ではロマンティックな雰囲気に浸れることは間違いなしです。花火の最中に告白や求婚をされると幸せになれる、というのがテリオー領では俗信として知られています。ですから領地の若者たちにとっては一大イベントなのです」


 そう言う彼自身もまだまだ若いのに、彼がそんな話し方をするものだから笑ってしまいました。


「僕が滞在を延ばすことは今のところエマには内緒にしておいてね」


「分かりました。綿密に計画されていますね。私も貴方みたいな人が義理の兄になるとしたら大歓迎です。姉が以前付き合っていて、昨年別れた奴は外面だけの最低ヤローでしたから」


 パスカルはエマがその商人と破局した時の経緯を話してくれました。僕ははらわたが煮えくり返る思いでした。人を馬鹿にするにもほどがあります。


 しかし、その愚かな男が浮気をして他の女をはらませたお陰でこの僕にも機会がやって来たのです。けれどそんな男に、僕でさえ知らないエマの清い体を蹂躙じゅうりんされていたと想像するだけで怒りが爆発しそうでした。


「うん。良かったよ、エマがクズ男に嫁ぐことにならなくて……」


「本当です。正式に婚約する前に奴の化けの皮ががれてホッとしました。姉もそう衝撃を受けていたわけでもありませんしね」


「エマを迎えに来るのがこんなに遅くなってしまったけれど、僕はもう決して彼女を手放したりはしないから」


「六年前、てっきり王都に残ると思っていた姉が私達と共に領地に戻ると言い出した時には驚きました。私は戸惑ったというのが正しいです。私達が家族で王都を離れることにしたのは私の健康のためだったのです」


「君はこの地での生活の方が合っていたみたいだね」


「はい。家族にはとても感謝しています。両親も王都での華やかな暮らしには未練もなかったようでした。けれど私は姉の将来を犠牲にしたくなかったのです。それに姉はその頃カラ元気を振り絞っているのが見え見えでしたから。貴方と別れたからだったということは分かっていましたけれど……それに別れたのだって、あの頃の私が情けなかったせいなのですよね」


「パスカル、それだけじゃないよ。僕がまだ幼稚過ぎたせいだ。彼女の手をむざむざ放してしまった……」


「この領地に帰ってきてからというもの、まるで修道女のような慎ましい男っ気もない生活をしている姉です。唯一付き合ったのがあの商人でしたが、一年も続きませんでした」


 僕にはもう一つ聞きたいことがありました。このことを口にするのは躊躇ためらわれましたが、最初にパスカルの意見を確かめる必要がありました。


「ところで、僕が犯罪者の息子だってこと、君や御両親はやはり気になるのじゃない?」


「ソンルグレ様も実の御父上のせいで、しなくてもいい苦労をされていますね。でも貴方は彼の影響を受けて育ったわけではありません。それに彼のようになろうと思っているわけでもない」


 時々パスカルのことをこいつは本当に僕よりも年下なのか、と疑いたくなります。昔の気弱な少年の面影はもう少しもありませんでした。


「……うん。僕は生まれてから二歳で父親が投獄されるまで、彼とは一緒に暮らしたこともなかった。母が再婚するまでの記憶は常に留守の実の父よりも、伯父である国王陛下やジェレミー・ルクレール侯爵に遊んでもらったことしかないしね。それに実際僕を育ててくれたのは母と継父だ」


「そんなこと、私の家族だけでなくてこの国の貴族なら誰でも知っていることです」


「ありがとう、パスカル。君にそう言ってもらえるだなんてね」


「お礼を言うのは私の方です、ソンルグレ様。姉をよろしくお願いいたします。もう歳も歳ですから、ちゃっちゃと王都に連れ帰って貰ってやって下さい」


 パスカルは僕に深く頭を下げました。彼のその言いように思わず笑いを噛み殺しました。


「もうソンルグレ様だなんてやめて、ナタニエルって呼んでよ」


 絶対にエマを手に入れて、すぐに彼には義兄あに上と呼ばせるようにすると自分に強く誓ったのです。




***ひとこと***

皆さまご存知のように、パスカル君は話の分かる良い奴で、簡単に攻略できて心強い味方となってくれました。

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