第二十二話 君の幸せが僕の幸せだよ


 パスカルの部屋を去って、彼に教えてもらったエマの部屋の前で立ち止まりました。


「今夜はもう遅いし、大人しく寝るとするよ。動くのは明日の夜からにするから、覚悟しておいてね。お休み、エマ」


 そうつぶやくと僕は階下の自室に引き取りました。




 翌朝から早速仕事で伯母と一緒に国境付近の森に出かけました。初日は森の規模を見て、国境は越えないで周りを視察しただけで午後早くには屋敷に戻りました。


「私たちの左手に見えているのがテリオーの街でしょうね、パスカルさんが街までは屋敷からそんなに遠くないっておっしゃっていたものね。寄って行きたい気分ですけれども、明日から本格的に生態調査を始めますから今日は真っ直ぐ帰ってゆっくり休みましょうか」


「そうですね、伯母様」


 実のところ僕は今晩エマに行動を仕掛けることで頭の中がいっぱいでした。伯母の話には上の空で相槌を打っていただけでした。伯母はそんな僕をとがめることもなく、ニコニコと笑っています。


 屋敷に着くと伯母はすぐに部屋に引き取りました。僕はエマと二人きりで話がしたくて彼女を探しましたが、どうやら隣の伯母の部屋に呼ばれていたようです。開いた窓から女性二人の話し声が聞こえてきたからです。


「ちっ、伯母様にエマを独占されてしまった……しょうがない、少し休むとするか」


 自分が思っていた以上に疲れていたようで、夕食の時間までずっと寝ていたのを伯母に起こされる始末でした。それでも今晩に備えてしっかり英気を養えて丁度良かったと言えます。


 夕食後に僕はゆっくりと風呂に入り、念入りに体を洗います。これから女性の部屋を訪れるのでズボンだけはきちんと履きましたが、シャツは引っかけただけでした。


 焦る気を抑え、エマの部屋に瞬間移動しました。彼女は丁度入浴中のようでした。エマがどんな格好で出てくるのか、わくわくしながら薄暗い彼女の部屋で椅子に座って今か今かと待ち受けていました。


 興奮を抑えきれない僕がいました。こんな気持ちになったのは何年ぶりでしょうか。きっと彼女と付き合っていた頃以来です。


 浴室からやっと出てきたエマは薄いローブを一枚だけ着ています。暗がりの中にいる僕に気付きませんでした。僕の興奮は最高潮まで達していましたが、自分に冷静になれと必死に言い聞かせます。


 まず最初に彼女としっかり話し合わなければいけません。


 エマは鏡台の前に座りその見事な赤毛を梳かし始めました。しばらくして彼女の手が止まったと思ったらゆっくりとこちらを振り向きました。


「あ、エマ、やっと気付いた? 君がその炎のような色の髪の毛を下ろしているところ、初めて見るね。悪くないよ、可愛い」


「キャッ……な、な……何をなさっているのですか!?」


 僕は悪戯が成功した子供の気分でした。エマを驚かせられたのが楽しくてたまりません。


 すぐにでも彼女を抱きしめてキスをしたい衝動を抑えました。きちんと昔のことを謝らないことには僕達はきっと前に進めません。


 僕は素直に彼女に謝罪しました。


「昔、君が僕に別れを告げた時、僕は酷いことを言った。許して欲しい」


 お互い別れた時のことをずっと引きずって気にしていたということが分かりました。六年の時を経てきちんと話が出来て僕は肩の荷が下りました。愚か者だった僕もこれでやっと報われるというものです。


 エマはまだ体を固くしていて、僕との話し合いが終わった途端に僕を部屋から追い出そうとします。そんな彼女を扉の前で捕まえ、部屋に鍵をかけて唇を奪いました。


「焼け木杭ぼっくいには火が付き易いって知っていた? 僕が再燃させてみせるよ」


 やっと僕の腕の中に捕まえられたエマは僕のキスに夢中で応え、僕にしがみついてきます。


「ああエマ、可愛いよ……」


 彼女が愛しくて、もう自分を抑えられそうにありませんでした。本当は今晩のところは昔のことを謝って、キスと少々のお触りだけで我慢するつもりでした。


 エマの反応によって、それを見てから次の段階に進もうと思っていたというのに……もう少し時間をかけてゆっくりと彼女をいただくつもりだったのに……理性のタガがぶっ飛んでしまいました。


 辛うじて嫁入り前の彼女が身籠らないように……したものの……無我夢中で最後までヤッてしまいました。彼女もぎこちないながらも僕に必死で応えてくれたのが嬉しくてしょうがありませんでした。


 しかも彼女はろくでなしの交際相手に初めてを奪われていなかったのです。とにかく、僕は無理矢理コトに及んだのでは決して……ありません。


 僕の腕の中で寝入ってしまった彼女の髪を撫でながら、僕は優しく囁いていました。


「エマ、やっと君を手に入れた。もう二度と離さないからね……」




 僕には尊敬してやまない父が居ます。父とは血が繋がっていません。


 父は母と結婚していきなり僕という息子が出来たのです。僕が家や学校で荒れて家出を繰り返していた同じ年頃の父は既に猛勉強をしていたのです。十代前半で既に母と将来結婚する、と強く心に誓っていたからです。


 十代半ばの反抗期がそろそろ終わり少し落ち着いてきた頃、僕は父に聞いたことがありました。


「後数年もしないうちに僕も父上が母上と結婚して三歳の継子が出来た歳になります。でも、僕はまだまだ親になるとか、結婚でさえ考えられません」


「君にそのうち本当に愛する人が出来たら分かると思うよ」


 その時父は僕にそう答えましたが、僕にはまだまだ遠い先の話のようでした。




 その後学院でエマと出会って少しずつ愛を育んでいくうちに、もしかしたらエマが僕の生涯のひとなのかもと無意識に思えるようになっていました。だと言うのに僕は些細なことがきっかけで彼女の手を放してしまいました。


 そして今回エマに会いにテリオー領に行く前、父に聞いてみました。


「父上、僕にも結婚したい女性がやっとできました。でも僕はもし彼女に他の男との子供が居たらと思うと、その子に対して醜い感情ばかりが湧いてきそうで優しくできる自信がありません」


 父は穏やかに微笑みました。


「うん。僕だって君に対して複雑な思いを抱いていたこともあったよ」


「けれども父上は実の子供のように僕に接して下さいました。ローズとマルゴが生まれてからも変わりませんでした。それがどんなに大変なことだったか、今になって改めて思い知りました」


「それでもフロレンスが誰よりも愛している君は、僕にとっても彼女の次に大事な存在だから」


「ええ覚えています。まだ僕が小さかった頃、貴方のその言葉を母上が涙ぐみながら教えてくれました」


「君の記憶力には敵わないねぇ。フロレンスと結婚して、僕の大事な存在にはローズとマルゴも加わって、僕は愛を分け与えているけれど減らないし、むしろ増えているでしょう」


 今の僕があるのはこの父のお陰だと言っても過言ではありません。


「父上……ありがとうございます。僕も将来、愛あふれる家庭を築きたいです」


「うん。君の幸せが僕の幸せだよ」


 父はそう言って僕を南部への遠征に送り出してくれたのです。




***ひとこと***

「開かぬ蕾に積もる雪」の時からアントワーヌとナタニエル君の絆は変わらず強いのです。ナタニエル君の幸せは作者の私の幸せでもあります。


次回からは再びエマ視点で場面は王都に変わり、二人の結婚までをお送りします。

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