第十九話 誰にも嫁がずに待っていて


― 王国歴 1051年春 


― サンレオナール王都




 エマがまだ誰にも嫁いでいないというガストンの言葉に僕は耳を疑いました。


「どうしてお前がそんなこと知っているんだよ」


「王都に来る前にテリオー領に寄って、彼女にも謝ってきたからだ」


「だって、彼女は婚約者が居るって聞いていたけれど。結婚間近じゃないのか?」


「なんかそいつな、ろくな男じゃなかったらしくて破談だってさ。やっぱりお前、気になっているんだろーが。テリオーの方もさ、お前に未練たらたらみたいな感じだったぞ」


 彼の言葉をすぐに信用できるはずはありません。しかし、そんな嘘をつくためだけに南部からわざわざ出てきたとも思えません。僕の無味乾燥な日々に色がした気がしました。


「お前がそれを言うのか」


「俺な、今南部の港町ペルセで商売やっているんだ。愛する人と一緒になれて幸せいっぱいでな……」


「別にお前の話なんて聞きたくねぇし」


「とにかく、幸せを掴んだ俺だ。若気の至りで学院時代にお前をいじめて好き勝手やっていたことを後悔している。だから謝りに来た。殴るなり煮るなり焼くなり好きなようにしろ。でも家族が待つペルセには生きて帰らせてくれ」




 それからガストンの奴とは酒を酌み交わしながら昔話をしました。彼はエマが僕に別れを切り出した理由を教えてくれました。


 どうもブラコン気味のエマだったから彼女らしいと納得でした。彼女にとっては弟のパスカルの方が僕よりもずっと大事だったということは分かっていました。


 それにガストンとエマは付き合っているふりをしていただけで、実際はキスも何もしていないそうです。僕に見せつける為に時々肩を抱いたり手を繋いだりしていただけでした。


「テリオーの奴な、ちゃっかりしてんだぜ。弟のことを守ってくれ、自分には指一本触れるなって俺より多くの条件突きつけてきやがってよ。まあ俺の好みじゃなかったし別にそれで良かったんだけどさ……」


「嬉しいと同時にエマのことをけなされたようでムカつく」


 ガストンに対する怒りはもうありませんでした。エマにとって僕がパスカルよりも優先順位が低かったのはしょうがありません。僕がもし同じ立場で妹の身に危険が迫っているとしたら……僕だって妹を取るでしょう。


「いつか、ペルセにも寄ってくれ。テリオー領と同じくらい旨い南部料理と舶来の葡萄酒をたんまり振舞ってやる」


 ガストンはそう言い残して去っていきました。六年経って彼と酒を飲みながらこんな話が出来るようになるとは思ってもいませんでした。




 翌朝出勤した僕はすぐさま休暇願を出しました。もう居ても立っても居られませんでした。


 こうなったらすぐにでもエマに会いにテリオー領に向かわないといけません。けれど距離が距離なので二、三日の休みでは足りません。


 休暇願は直属の上司に即却下されてしまいました。総裁であるクロード伯父にまでたしなめられました。彼は僕の母の従兄にあたります。


「年度末のこの時期に明日から二週間の休暇とはな……無理だ」


「クロード伯父様、そこをなんとか! 一週間でもいいのです!」


「ソンルグレ魔術師、職場では役職名で呼べ」


「テネーブル総裁、お願いします!」


 確かに今のこの時期に休暇を取るのはまず不可能だと分かっていた僕でした。


「駄目だ。夏に入ってからにしろ。今は貴族学院が試験中で魔術科の教師を兼任している者が忙しくしているのは分かっているだろ」


「はい……」


「それに学院が夏休みに入ると同時にアナさんとソニアさんが南部に派遣されるからまた人手が足りなくなる」


「それは知っています。ってそう言えば南部って具体的にはどこでしたっけ? もしかしてテリオー領近くですか? だったら僕も派遣人員に加えて下さい!」


「お前なぁ……今は休暇の話をしていたのじゃないか?」


「休暇で南部に行く予定なのです!」


「公私混同するな、ナタニエル。休暇はアナさんたちが遠征から戻ってきてからいくらでも認めてやる」


「それでは遅すぎるかもしれないのです、総裁様ぁ。僕の人生がかかっているのです!」


「大袈裟な奴だな、お前も……とりあえずこの話はもう終わりだ、仕事に戻れ!」




 それでもクロード伯父はその日の仕事が終わった後に僕ののっぴきならない事情を個人的に聞いてくれました。


「ナタン、お前は六年間も彼女を放っておいたのだろう。今更一、二か月行くのが遅れたってそのエマニュエルさんだって急に婚約したり結婚したりするものか。間に合うさ。文でも書いてみたらどうだ?」


「何をどう書けばいいのか良く分かりません……でも、それが一番の方法ですよね……伯父様、僕が行くまで誰にも嫁がずに待っていてくれって書けばいいと思いますか? それでは唐突過ぎますか?」


「恋文なんて書いたことないから、俺に聞かれてもなぁ……」


 恋の悩み相談に魔術院総裁は全くあてになりませんでした。




 僕はその夜、ある名案を思いつき、妹のマルゲリットに頼ることにしました。


「なあ、マルゴ、お願いがある。盗聴や覗き見が得意だろ? 張り込みや他人の身元調査みたいなことなんて朝飯前だよね?」


「まあ、何ですかお兄さま? そんな思い詰めたようなお顔をなさって」


「ちょっと南部まで行って、ある女性の身の回りを調べて欲しい。もし男の影がちらついているようだったらそいつを消してくれないかな。休暇が取れて僕が現地に行けるのは早くても初夏だからそれまでお願いするよ」


「ちょっと南部って簡単におっしゃいますけれど、ここからどれくらい離れているとお思いなのですか、お兄さま? 男の人が居たら消せってどういうことですか? 妹に犯罪者になれとおっしゃるのですか?」


「罪を犯せとは言ってないよ、付き合っている男が居たら別れさせてっていう意味だってば! それから悪い虫がつかないように彼女をしっかり見張って、縁談の話が出そうだったらそれを阻止するだけの簡単なお仕事だよ!」


 妹は呆れたような表情を隠そうともしません。望みの綱はもうマルゲリットだけでした。


「お断りします。私は今大事な学年末試験の期間ですし、夏休みにはペルティエ領のリゼのお祖父さまたちのところに滞在する予定ですから」


「僕だって年度末のこの時期はどうしても休みが取れないのだよ。じゃあ、君の秘密のお友達に頼んでみてよ。ほら、良く木や屋根の上で逢引きしているじゃないか」


 マルゲリットも痛い所をつかれたようで、目を丸くした後、頬を赤く染めていました。


「そ、それは……お兄さま、か、彼をご存じなら直接お願いされたらどうですか?」


「知らないってば。遠目から見かけているだけだし。それに初対面の僕がいきなりこんな頼み事できるわけないよ。マルゴ、一生のお願いだ、頼むこの通り。必要経費も謝礼もいくらでも出すから」


 必死の僕はなりふり構わず妹に土下座までしていました。


「お兄さま、何をなさるのです? もう、お立ちになって下さい!」


 結局マルゲリットは僕のごり押しに嫌とは言えず、その友達以上恋人未満の彼にスパイ行為を頼んでくれたのでした。




***ひとこと***

帰ってきたどっ〇の料〇ショー! テリオー料理VSペルセ料理!

ナタニエル「テリオー料理に決まっているよね」

エマ「もちろんよねぇ、ナット」

ガストン「おいっ! 番組始まって十秒で即決すんなよ!」


どっちの料理もまだ食べたことのないナタニエル君。けれど彼は今後の人生がかかっていますから答えは決まっています。

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