第二十八話 今年も来年もそれから先も
― 王国歴 1051年末-1052年春
― 王国南部テリオー領、サンレオナール王都
テリオーの街で知り合いとすれ違って挨拶をする度にナタニエルは自ら進んで私の婚約者だと名乗っていました。
私が恥ずかしがるのにナタニエルは私の手をしっかり握っていますし、時には腰に腕を回されていました。ただの知り合いに見えるはずがありません。
しかし、皆に幸せを喜んでもらえ、私も実は感激していました。
「エマニュエルお嬢さまが相応しい方との良縁に恵まれて……良かったですわ。本当におめでとうございます」
私が今度はやっと幸せを掴んだことを言外に匂わせていた人も多かったのには苦笑してしまいました。領民の皆が以前付き合っていた商人と私の経緯を知っていますから当然と言えば当然でした。
夏にナタニエルが滞在していた時、私たち二人を目撃していた人たちも大勢いました。ナタニエルとは何回か街に出ただけですが、目立つ容貌の彼がやたら私にベタベタしていたので人目を引いていたのです。
私たち一家は年が明ける前にテリオーの街の教会に礼拝に行きました。今年はナタニエルも加わりました。司祭さまにナタニエルを紹介したところ、私たちの結婚を祝福して下さいました。
「本当に良かったですね、お嬢様。お二人の末永いお幸せをお祈りします」
「昔、司祭さまがおっしゃったことを覚えています。神さまは辛い時、悲しい時も私のことをずっと見守っていて下さると。私はそのお言葉にどれだけ救われたことか」
「エマニュエルお嬢様の真摯な祈りが神様に届いたのですよ」
私は十六の歳にこの地に帰ってきてから、心の拠り所を求めて熱心に教会に通っていました。心を無にしてお祈りをすることで私の傷ついた心も少し救われていたのです。
大晦日の夜は静かに更けていきました。私の人生の中でも激動の年が終わります。
「今何時かな? そろそろ年が明けたのじゃない」
「本当だわ。今年もどうぞよろしくお願いします、ナット」
「うん、今年も来年もそれから先もずっとだよ」
ナタニエルに腕枕をされていた私は彼のキスを受けました。
「はい、キス初め」
「なにそれ?」
「今年初めてのキスってこと。ねえヤり初めする元気ある? ねえいいでしょ、エマ?」
「や、やり……何ですって?」
「だから、今年初めての……姫始めとも言うかな」
彼の表情から私は意味を察しました。
「もう、いやだわ、ナットったら! そ、そんな元気ないわよ私……だってつい先程も……」
「あれは去年最後のヤり納めだってばぁ」
「……私、もう疲れたから寝ます。また今度ね、ナット。お休みなさい」
「ちぇっ、まあいいか。お休み」
そして元旦の朝目が覚めた私は起き上がって着替えようとしたところをナタニエルに捕まってしまいました。
「よく寝られて疲れもとれたよね。新年だし早速、いいでしょ、エマ?」
「えっ、やぁ……ナット……」
そして離してもらえず、しばらく寝台から出られませんでした。
「いやだわ……ナット、私がいつまで経っても起きてこないって家族が不審に思うじゃない!」
「いいじゃないか、エマ。彼らだってそこまで野暮じゃないでしょ」
「や、野暮って……もう、いやぁ……」
「しばらく使用人も休みで居ないじゃないか。今回僕の休みは一週間だけだから、その間に十分エマを補給しておかないと。王都で一人春まで生きられないもん」
「それは、私も同じだけど……」
ナタニエルの言う通り、一週間の滞在はあっという間に終わりました。彼も王都で仕事があるので戻らないといけません。再びしばしの別れでした。
「ナット、私に会いに来てくれてありがとう……」
「それって今回の休みのこと?」
「昨年の夏と今回の両方よ。そして私を愛してくれてありがとう」
「じゃあ早く王都に越してきて、僕の愛に応えて。僕もう待てないよ、エマァ」
甘えん坊のナタニエルは私を抱きしめたまま放しません。見送りに出てきていた家族は遠慮してもう屋敷の中に入ったようでした。
「ええ。待てないのは私も同じよ。王都の近くはもう雪深いのでしょう、気を付けて帰ってね、ナット」
「うん。ああ、放したくないよエマ」
「早く出発しないと夜中の雪道は御者も大変でしょう」
彼が渋々馬車に乗るまでかなり時間がかかってしまいました。
王都の雪解けの時期くらいには引っ越したい私は冬の間ドレス作りに専念しました。私が持って行く荷物はそう沢山ありません。身の回りのものくらいでした。テリオー領はもうすっかり暖かくなった春の日、愛する家族に見送られて私は王都に発ちました。
私が王都に着いた日にはナタニエルがルクレール家で迎えてくれました。結婚式を挙げるまでは再びルクレール家の離れに住ませてもらうことになっていました。
余りにも長い間度々お世話になるので恐縮でしたが、結局はルクレール家の皆さまとナタニエルに押し切られたのです。
「エマァ、会いたかったよぉ」
この人はルクレール家の使用人の前だというのに甘えた声を出して私をきつく抱きしめて放しません。またジェレミーさまに
「ええ、私も会いたかったわ、ナット」
「エマ、今度の休みなんだけどね、早速会わせたい人が居るんだ」
「まあ、どなたですか?」
「僕達を結びつけるきっかけになった人だよ。ガストンではなくてね、もっと若くてよっぽど可愛らしい」
確かにガストンは可愛らしいとは言えませんが、私は誰なのか想像もつきませんでした。
そしてその日に私が連れていかれたのは新しい立派なお屋敷でした。私たちと同年代の若い執事の方が迎え入れて下さいました。
「ようこそいらっしゃいました。主人のポワリエ侯爵は生憎留守で夫人だけですが、こちらの居間へどうぞ」
通された居間には黒髪の女性が赤ちゃんを抱いて座っていました。
「ソニアさん、こちらが僕の婚約者、エマニュエル・テリオー伯爵令嬢です。あ、立たなくてもよろしいですよ」
「まあ、いらっしゃいませ。お言葉に甘えて座ったままで失礼致します。お二人とも、ご婚約おめでとうございます」
「初めまして。もしかして、貴女さまは……」
「うん。魔術院の後輩でソニア・ポワリエ侯爵夫人とそのお子さんだよ。先月生まれたばかりだ」
「まあ、本当に……まるで天使のように可愛らしいですわ」
赤ちゃんはすやすやと眠っていました。ソニアさんは遠征直前に妊娠が判明したので、遠征を辞退せざるを得なかったのです。ナタニエルが彼女の代わりにテリオー領に派遣されてきたということは聞いていました。しかしナタニエルもその理由までは知りませんでした。安定期に入ったソニアさんが妊娠を周りに告げたのは、遠征が終わったずっと後、秋も深まっていた頃だったそうです。
「私はまだ就職して二年目で、南部遠征という大きな任務に張り切っていたところに妊娠が分かったのです。悩みましたけれど我が子の安全には代えられませんでした。そのお陰でナタニエルさまがエマニュエルさんという生涯の伴侶を得られたのですよね。ダニエルも無事に元気に生まれてきましたし」
「ね、エマ。ガストンよりもダニエル君の方が僕達のキューピッドと呼ぶに相応しいでしょ?」
「ええ、本当ね。うふふ」
ガストンのことを知らないソニアさんは首を傾げておいででした。
私たちは学生時代からの経緯を話し、ガストンの体格や外見を説明します。そこでお母さまが声を出して笑い出したからか、赤ちゃんが起きて泣き出してしまいました。私たちは長居をせずにそこで失礼しました。
***ひとこと***
実はこのソニアさん、シリーズ作の某スピンオフに既に出演しているあの方です。そして今作では丁度留守中で出てこない彼女の旦那さまも、割にインパクトのある既出の方ですが、それはまた今後のお楽しみです。
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