第二十七話 来ちゃった、エマ……


 ナタニエルは私の一時帰省を渋々受け入れてくれました。


「だってナット、春までのほんの少しの間よ……もちろん私も寂しいわ。ねえ、時々は瞬間移動で会いに来てくれる?」


「瞬間移動ってそんな長距離出来ないよ! どこ〇もドアじゃないもん。王都内とか、テリオーの街から君の屋敷くらいの距離しか行けないから。もし長距離移動が出来ていたら僕の家出少年ライフももっと充実していただろうね!」


 ナタニエルは十代半ばまでは反抗期で荒れていて、家出を繰り返していたそうなのです。


「ああ、やっぱりテリオー領のような遠くは駄目なの……」


 王都やこの辺りの地方が深い雪に入る前に出発しないと乗合馬車での旅も大変になります。ドレス作りも随分と進んで、手直しの為にテリオー領のお客さまを訪れる必要もありました。それに王都に引っ越してくるための荷造りもしないといけません。


「エマが居なくなると寂しいよ。日に日に美しく輝きを増す君を手放さないといけないなんて……」


「ほんの数か月だけよ、ナット」


「今度君が王都に戻って来たら二度と離さないからね」


「ええ、私ももうどこにも行かないわ」


「愛しているよ、僕の奥さん」


「私もよ、気の早い旦那さま」




 短期間に色々なことが起こって、あれよあれよという間に結婚が決まりました。少し信じられない気がしました。私は馬車の窓から遠ざかる王都を眺めながら呟いていました。


「エマニュエル・ソンルグレ……悪くない響きだわ」


 そう言えば我がテリオーの屋敷に来られた時にアナさまもおっしゃっていました。ずっとご実家の領地に居たのに、今の私くらいの歳で王都に出てきてジェレミーさまに会って激しい恋に落ち、すぐに婚約結婚と決まったそうでした。本当に人と人との縁はどこに転がっているか分からないものです。




 テリオー領に着いた私は、家族に温かく迎えられました。もう彼らと過ごす時間も限られていると思うと感慨深いです。弟のパスカルはしばらく見ないうちに益々頼もしい青年になったような気がします。


「僕はここの生活が性に合っています。家族で王都を引き払う決断をしてくれてありがとうございました。貴族学院に居た頃は将来僕が領主となって爵位を継ぐなんて、まず無理だと思っていました」


 ある夜の食卓でパスカルがいきなりそんなことを言い出すので、私と両親は思わず涙ぐみそうになりました。


「そんなお礼を言う必要はありませんよ。もっと早くにここに戻ってきても良かったのですからね」


「まあそれでも王都を離れるのが二年早ければ、姉上が義兄上に出会うこともありませんでしたね」


 パスカルは以前からナタニエルのことを既に義兄上と呼んでいましたが、ふざけていたわけでもなく、今もずっとその呼び方が定着しています。


「そう言われてみればそうね。あの時私たちは二人とも若すぎたけれど……私は将来彼に嫁ぎたいという気持ちはあったわ。それが実現するなんて」


「エマは本当に良い縁に恵まれたわね」


「とにかく全てが良い方向に向かっているじゃないか」


「はい。私は幸せ者ですわ」




 私はテリオー領に居る冬の間、ドレスを注文されたお客さまを訪ね、なるべく仕事を進めるように努めました。まだ予約だけで手を付けていなかったドレス数着は、事情をお客さまに話すと快く注文の取り消しをして下さいました。


「お嬢さま、お式の準備などで大変でしょうに、他人のドレスを縫っている場合じゃございませんわ!」


 そう言って私の結婚を皆さんが喜んでくれたのは嬉しかったです。


 お客さまの中には私が結婚後も時間を作ってはドレスを作り続けるつもりだと知ると、王都の知り合いを紹介して下さった方もいらっしゃいました。




 南部テリオー領には雪はあまり降りません。王都に比べるとずっと過ごしやすいのです。年末が迫ってくると、私たち一家は年越しの準備に追われていました。


 今年は私にとって激動の年でした。まず、春にガストンが訪れて来たことから始まりました。彼があの後王都でナタニエルに会わなかったら、ナタニエルもわざわざこのテリオー領まで来なかったかもしれないのです。




 その日、私は使用人と街に買い物に出かけていました。毎年我が家は大晦日から何日間か、使用人のほとんどに休みを与えています。ですから私たちは塩漬けの魚や干し肉などの保存食を沢山作っておくのです。


 夕方、年越し用の料理の材料を沢山積んだ荷馬車で帰宅したところ、父が慌てて玄関から出てきました。


「エマ、お帰り。荷下ろしは他の人間に任せて早く居間においで」


「お父さま、どうなさったのですか?」


「とにかく急ぎなさい」


 私は言われるままに父と一緒に屋敷に入りました。外套と帽子を脱ぐ時間も父は与えてくれませんでした。私は外出から帰ったそのままの恰好で居間を覗きます。


 そこに居たのは……私がつい先程まで考えていた将来の旦那さまでした。


「来ちゃった、エマ……」


「ナット……」


 私たちはそれ以上言葉を交わすこともなく、どちらからともなく手を取り合いしっかりと抱き合いました。そして貪るように口付けを交わしました。お互いの温もりを十分感じ合った後、少し体が離れると私は今更ながら父に見られていると気付いたのです。恐る恐る辺りを見回してみました。


 ところが父も家族も気を利かせてくれたのか、居間の扉は閉まっており、私たち二人だけでした。


「寂しくて君に会いたくて、居ても立っても居られなかったよ」


「私も会いたかったわ、ナット。お休みが取れたの?」


「うん、一週間だけね」


 ナタニエルと一緒に新年を迎えられると思うと、心が弾んで自然と頬が緩んでしまいます。




 その日の夕食では家族に大いに揶揄からかわれました。


「エマの嬉しそうな顔と言ったらないわね……」


「全く、姉上のそんな笑顔なんて見たことないですよ」


「良かったな、エマ」




 私たちは翌日、テリオーの街の年末市に出かけました。以前はナタニエルが人前で私の手を繋いだり腰を抱いたりするのに抵抗がありました。今でも少しはありますが、もう婚約しているのですから何の問題もないとナタニエルは放してくれません。


 それでも私はやはり周りの目が気になっていました。


「可憐な君が一人で街に出て男たちの目線にさらされていると思うと気が気でないよ、僕は」


「何をおっしゃるの、ナット。私ではなくて貴方が注目を浴びているのよ」


 いかにも貴族といった質の良い外套を着ているナタニエルです。それに彼の美しい金髪と青緑の瞳はこんな田舎の街では目立つのです。


 私は出掛ける前に、一応ナタニエルに父の古い外套といった目立たない恰好を勧めました。


「僕の美しいエマに相応しい装いをして行くに決まっているでしょ」


 婚約者バカのナタニエルはそう言って私の提案を即却下したのです。人目を引くのは当然です。




***ひとこと***

ナタニエル君、「来ちゃった」ですよ、もう!

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