第十二話 早く二人きりになりたくて


 ナタニエルが申請した休みはすぐに許可が下りたそうで、彼のテリオー滞在は一週間延びました。


 パスカルは純粋に喜んでいて、今度は自分がテリオー領南部の国境近くの町なども案内すると言っています。私も本当は嬉しくてたまりませんでした。けれど彼との別れは早かれ遅かれやってくるのです。


「任務が終わったら夜だけでなく日中も君と一緒に居られるね。君のドレス作りの邪魔はしたくないけれど、でも僕のためにも時間を作ってくれると嬉しいな」


 ナタニエルにそうお願いされては私もうんと言うしかありません。


 魔術師のお二人の任務はあと一日を残すところとなりました。彼らの調査によると、国境の森に魔獣は住んでいるものの、人間が森の奥深くに侵入して行かなければ向こうから害を及ぼすことはないとのことでした。主に鳥や大蛇、一角獣までも存在が確認されたそうです。




 その日の午後、我が家の前に一台の立派な馬車が止まりました。紋章から察するに高位の貴族の馬車だということがすぐに分かりました。私だけが在宅中で、慌ててお迎えします。


 馬車から降りてこられたのは、年配の男性でした。短い金髪に緑色の瞳のその男性は容貌がナタニエルに良く似ておられます。けれどそれは彼のお父さまではないことだけは分かりました。ナタニエルとお父さまは血が繋がっていないからです。


「連絡も寄こさず突然押し掛けて申し訳ない。ジェレミー・ルクレールだ。妻と甥がお世話になっている」


「テリオー家の長女、エマニュエル・テリオーでございます。ルクレール侯爵、遠路はるばるお疲れ様でした。どうぞお入りください。奥さまとナタニエルさまはあと四半時ほどでお帰りになられると思いますわ」


「妻が任務を終えるまで私もここに滞在させてもらえると大変ありがたいのだが……」


「もちろんでございます。とりあえず居間でお寛ぎになって下さいませ。今冷たい飲み物をお持ちします」


 ナタニエルに似ているのは彼の実の伯父さまだからでした。座ってお待ちになればいいというのに、ジェレミーさまはイライラとした様子で立ったまま居間の窓から外を眺めておいでです。


「奥さまは侯爵さまがいらっしゃることをご存じなのですか?」


「いや、休みが取れたのが直前だったから文を送るより自分が着く方が早かった」


「では、奥さまを驚かせられますね」


 夕方いつもより遅くやっとアナさまとナタニエルが帰ってこられた時にはジェレミーさまのイライラは最高値に達していたようでした。


「遅くなってごめんなさいね。私がどうしてもまだ買い物をしたかったから、街に寄っていたのです。丁度パスカルさんにも会って、私が買い物中に彼がナタンと一杯飲みに行ったから」


「それは宜しいのですけれど……アナさまとナタニエルさまにお客様が見えていて、居間でお待ちです」


「僕達に客? 誰だろう」


「もしかして……まあ大変!」


 アナさまはご主人がいらっしゃるという予感があったのでしょう。急いで居間に向かわれるアナさまに続こうとするナタニエルの腕を掴んで引き止めました。


「ナットはもうしばらくしてからの方がいいかもしれないわ」


「ということはまさか、伯父様がわざわざここまで来られたってこと?」


「ええ、そのまさかよ」


「へえぇ、じゃあ覗いてみなくっちゃ」


「そんな、趣味悪いわよ、ナット」


 この人は何をそんなに面白がっているのでしょうか……しかし私も好奇心に勝てず、ナタニエルについて居間の扉の前まで行きました。夫婦お二人のお声が聞こえてきます。


「旦那さま! わざわざ私を迎えに来て下さったのですか?」


「よおアナ、遅かったじゃねぇか。残業か?」


「えっと、そうではありません。テリオーの街に少し寄っておりましたので」


「遠方で随分羽を伸ばしているみたいじゃねぇか、アナ=ニコルさんはよぉ!」


「落ち着いて下さいませ、お声が大きいですわ、旦那さま」


「これが落ち着いていられっか! 俺が朝から丸一日かけて馬車を飛ばして来たのにさ、お前は呑気に買い物かよ」


「だって旦那さまがいらっしゃるとは思ってもいませんでしたから。でも予定より早く旦那さまにお会いできてアナは嬉しいです。寂しかったです、旦那さま……」


「素直にそう言えばいいんだよ」


「あ、あふっ……旦那さま、ここは他所のお宅の居間なのに……アナは恥ずかしいです……」


 ナタニエルはニヤニヤしていました。私に小声で囁きます。


「伯母様がご自分のことをアナだなんて……いいこと聞いちゃったなぁ」


 そして彼は少し開いている扉を叩きました。


「ええ伯父様、僕もここにおりますけれど。伯母様と二週間も離れていて寂しかったのは良く分かります。お二人の貴重なイチャイチャシーンが見られて僕はラッキーですね」


「オイ、ナタニエル君はいつから伯父様に対してそんな口を利くようになったのかなぁ。お前な、益々あの腹黒副宰相に似てきたな」


「それは最大級の褒め言葉です」


 私は居間の前でクスっと微笑み、ナタニエルを促して二人でそっとその場を離れました。




 その日の夕食はジェレミーさまも加わり一層賑やかなものとなりました。


「エマさんもパスカルさんも、王都にいらっしゃることがありましたら是非我が家に滞在して下さいね」


「ああ。うちには離れがあるから丁度いい。もちろん御両親のテリオー伯爵夫妻も大歓迎だ」


「まあそんな、もったいないお言葉ですわ」


「こちらこそ二週間の間、大変お世話になりましたもの。その上主人まで押しかけてきて……」


 その夜もいつものようにナタニエルが私の部屋に来ました。


「何だかね、伯父夫婦の仲の良さを見せつけられたから、僕もエマと早く二人きりになりたくてしょうがなかったよ」


「ナットったら……」


 その時私の脳裏に、ナタニエルと結婚して何年経っても彼と仲睦まじくしている自分の姿が映りました。


 そんな場景が思い描けたのは、ナタニエルに良く似たジェレミーさまにお会いしたからに違いありません。彼の二十年後が容易に想像出来たからです。それに結婚後もずっとラブラブな夫婦にあてられたからかもしれません。


 まさか、そんな未来が実現するなんて考えられない、とそんな妄想は慌てて振り払いました。ナタニエルが私を情熱的に求めてくるのは、昔きちんと終わらせられなかった恋がまだ彼の中でくすぶって燃えているだけでしょう。




 アナさまとナタニエルは予定通り二週間で仕事を終えられました。そしてアナさまはジェレミーさまと一緒に王都に帰って行かれました。


「是非、いつでも王都にいらして下さいね。二週間の短い間でしたけれど、快適に過ごせましたわ。ありがとうございました」


「妻も私もお世話になりました。で、ナタニエル君はよっぽどここの暮らしが気に入ったみたいじゃねぇか。一週間したら本当に王都に戻ってくるんだろうなぁ?」


「もちろんですよ、伯父様」




***ひとこと***

ジェレミー、出張中のアナを追いかけて来る「旦那様は寂しがり屋」の巻でした。

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