第十一話 貴方が王都に帰ってしまったら
テリオーの街に着いて三人で歩いている時から、アナさまの目を盗んではナタニエルに手を取られたり、頬や耳にキスをされたりしていました。二人で酒屋に向かっている時はなんと腰を抱かれてしまいました。
「ソンルグレさま、おやめ下さい。領地民の目があります」
「エマ、怒らないで。君が可愛い過ぎるから、つい」
「怒ってはおりませんが、一応私もこの地では領主の娘として顔を知られているのですから、あまり軽率なことは……」
「別に見られてもいいじゃないか。でもまあ嫌がる君にセクハラじみたことはしないって約束するよ」
「???」
時々ナタニエルが使う言葉が良く分からないことがあります。
「人目がないところではいいよね? だって夜は僕を求めてあんなに燃える君のことだから」
「あわわ……な、何てこと……」
とにかく、午前中は良い買い物が出来たようでアナさまも満足されていました。彼女を屋敷にお送りし、私とナタニエルはお弁当を持って領地東部の湖に向かいました。
この湖はその形から三日月湖と呼ばれており、夏の間はピクニックや遊泳の名所となっています。湖畔には何軒かの別荘も建っています。深い森の中にあるこの場所は暑い夏でも割に涼しく過ごせるのです。何だかデートみたい、と思わずにはいられません。
「エマァー、君もおいでよ」
ナタニエルは早速シャツを脱いで湖に飛び込み泳ぎ始めました。水の中から彼が呼んでいます。私はドレスで水に入るわけにはいきません。
男性はともかく、周りの女性たちまでなんと下着姿で堂々と水に入ってはしゃいでいるのです。下着と言っても、露出しているのは膝から下と腕だけなのですが、貴族として育った私にはやはり抵抗がありました。
「ナット、私は貴方みたいに泳げないし……それにドレスを脱ぐわけにはいかないわ」
「じゃあ靴だけ脱いで膝まで水に浸かれば? 気持ちいいよ」
あと一週間少しでナタニエルは王都に戻ってしまいますから、昔の誤解も解けた今、沢山彼との楽しい思い出を作っておきたい気持ちが勝りました。
結局私は足だけ水に入り、ナタニエルに散々水を掛けられてしまいました。けれどこんなに笑ったのは本当に久しぶりでした。
「ナット、貴方はどこで泳ぎを覚えたの? 魔術科では水泳も教わるの?」
「従弟のアンリと妹のマルゴに教えてもらった」
帰りの馬車の中で私はナタニエルの隣で彼に肩を抱かれていました。アンリさんはアナさまの次男で王宮騎士をされているのです。
「まあ、アンリさんはともかくマルゲリットさんまで泳げるの?」
「うん、うちの妹は変わり者だから。マルゴはね、剣の腕は僕よりもずっと立つし、木登りも得意なお転婆娘だよ。確かに流石のマルゴもここの女性達のように野外で下着姿にはならないな。騎士科の学生が着ている稽古着みたいなのを着て泳いでいる」
「そうなのですか?」
「うん。マルゴほど見た目を裏切る侯爵令嬢は居ないよ。あの王妃様も真っ青だ」
今生陛下の王妃さまはナタニエルの伯母さまなのです。王妃さまもかなり豪快でさっぱりとしたお人なりだそうです。ご実家ルクレール侯爵家の血なのでしょうか。
「エマ、今日は楽しかったよ」
「良かった。私、三日月湖に行ったのは久しぶりだったのよ。貴方を案内するためでなかったらまず行こうなんて思わなかったでしょうね。私もとても楽しかったわ、ナット」
彼の美しい青緑色の瞳と目が合いました。私は思わず、貴方が王都に帰ってしまったら寂しくなるわ、と口に出してしまいそうになり、慌てました。
もう彼なしの生活に戻れるか分かりませんでした。私には愛する両親と弟が居ます。けれど、ナタニエルが居なくなったら私はひどく孤独に
何か言わなければ、と思い口を開きかけましたが、その口をナタニエルのそれで塞がれてしまいました。その後の道中、私はずっとナタニエルの腕の中で、屋敷に着く直前にやっと解放されました。
夕食前に二人で帰宅した私たちを弟パスカルはにこやかに迎えてくれました。
「お帰りなさいませ、ナタニエル様。代理の案内人はちゃんと役目を果たしましたか?」
「うん。ありがとう、エマのお陰で色々楽しめたよ」
私は乱れていた衣服をきちんと直したかどうかが気になっていて、彼らが目配せをしていたことに気付きもしませんでした。
その日の夕食の席でパスカルは二週間後に開かれるテリオー領の夏祭りの話題を持ち出していました。
「領民達が毎年開いている祭りで、我が家からは酒や食べ物を差し入れするのですよ。うちの領地で一番規模の大きい祭りです。花火もたくさん打ち上げられますしね」
「まあ、私の実家のボルデュック領では春と秋にお祭りが開かれるのです。庶民のお祭りは開放的で純粋に楽しめるのですよね。それぞれの地域によって踊りも音楽も違いますし。とても残念だわ、私たちの任務はお祭りの前に終わってしまいますもの」
「アナさまは庶民の行事にそこまで興味がおありなのですね」
「私の領地のお祭りはね、豊穣を祈る春祭りと収穫を感謝する秋祭りなのですよ。農作物の出来は領地の繁栄と存続に大きく関わっていますから」
アナさまはご実家も侯爵家で、今は天下の侯爵夫人だというのにやはり領地のことに気を配っておられるようです。
「そうですねぇ、そんな楽しそうなお祭りなら是非僕も見たいなあ……あ、伯母様、僕今いいことを思いつきました。任務が終わった後休暇を取ったらこの地に残れるではないですか」
「まあ、ナタン何をいきなり言い出すのですか? そんな貴方の都合だけで……」
「うちは全然構いませんよ、滞在を何週間延ばされても」
「ありがたいね。パスカル君は話が分かる領主代理殿で良かったよ。じゃあ僕早速魔術院に文を出して休みを申請します。大体夏前から僕は休みを取りたかったのにずっと却下され続けてきたのですからね」
「そ、そうですね。休暇が取れたらこのテリオー領でゆっくりなさってください」
ナタニエルとの別れが少し延びるかもしれないという喜びに溢れていた私でした。それを顔に出さないようにするのに必死でした。
「では僕が明朝テリオーの街からその文を送りますよ。夕方には王都に届くはずです」
「助かるよ、パスカル。魔術院の上の連中だって反対はしない筈です。大体僕はソニアさんの代理でこの地に派遣されることも直前に了承させられたのですし」
「ナタン、貴方が自ら進んでソニアさんの代わりを嬉々として引き受けていたのでは?」
「細かいことはいいのですよ。伯母様も滞在を延長されませんか?」
「そうしたいのは山々なのですけれど、やはり私は二週間も家を留守にすると家族に会えなくて寂しいのです……」
「伯母様よりも伯父様の方が寂しさで発狂していそうですよね」
「もうナタンったら……」
アナさまは真っ赤になってしまわれました。結婚していつまで経ってもそんな仲の良い夫婦には私も純粋に憧れます。
***ひとこと***
マルゲリットのお転婆ぶりにはあの王妃さまも真っ青!?
さてナタニエル君、ガンガン攻めています。
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