第十話 君の温もりを感じていたい

 翌朝、私が目を覚ますと隣にナタニエルの笑顔がありました。


「お早う、エマ。良く寝られたみたいだね」


「……ナット?」


 まだ寝ぼけたままの私は、朝の太陽よりも眩しい彼の笑顔をぼんやり眺めながら少しずつ昨晩のことを思い出していました。


「ま、まあ大変。私ったらあのまま寝入ってしまったのですね!」


 起きようとする私をナタニエルは両腕で制してそのまま口付けてきました。


「慌てる必要ないでしょ、まだ早いのだから。ねえそれより、もう一回シようよ。いいでしょ、エマ?」


 こんなに明るい朝の光の中で、など私の許容範囲を完全に超えています。


「あの、もうすぐ侍女が私を起こしに来ますし……」


「ちっ、しょうがねぇな……」


 驚いたことにナタニエルが今舌打ちをしました。それに彼がこんな言葉遣いをするのは久しぶりに聞きました。それも一瞬のことで、私にとろけるような笑顔を見せた彼にぎゅっと抱きしめられて耳に囁かれました。


「ねえもうちょっとこうしていてもいい? 君の温もりを感じていたい」


 私は嫌と言えるわけがありませんでした。けれど今にも侍女が扉を叩くのではないか、とはらはらしていました。


「また今夜来るよ、エマ……じゃあね、朝食で」


 私の気持ちを読んだのか、しばらくしてナタニエルは名残惜しそうに私の額に軽く口付けた後、起き上がると瞬間移動で消えました。


 私は部屋を見回して、昨夜のバスローブを探しました。それは扉の前に落ちていました。ナタニエルの服と下着も床に散らばって落ちています。


「や、やだ、大変……とりあえず早く何か着て……ナットの服も片付けないと……」


 鏡で自分の姿を確認したところ、彼に何度も口付けられたので唇は赤く腫れています。首筋から胸元にかけては虫に刺されたような跡まであります。


 急いで首回りの開きが少ないドレスを着ている時に侍女が扉を叩きました。余りに恥ずかしかったので支度は自分で出来ると言い、下がらせます。




 朝食の席では昨晩以上にナタニエルはご機嫌でした。彼の私に向けられる視線が熱く感じられます。それに私が意識し過ぎなのでしょうか、アナさまがそんな彼と私を交互に見ながらニコニコされているように見えます。


「姉上、どうなさったのですか? お顔が赤いです。熱でも出ましたか?」


「い、いえ大丈夫ですよ、パスカル」


 私の頬が火照っているのがパスカルには分かったようです。その彼も何だかニヤニヤしているような気がします。


 その日、昨夜起こったことが未だに信じられなかった私は何をするにも集中出来ませんでした。以前からずっと好きだったナタニエルと結ばれて、彼の手で女になったことは夢にしてはあまりに鮮明ですし、体の気だるさや彼の温もりがまだ残っているのです。


 私はナタニエルと付き合っていた当時、十五、六の小娘で、まだ心も体も準備が出来ていませんでした。けれど、彼に求められたら全てを捧げるつもりでした。


 漠然と彼との将来を夢見ていた幼い少女でした。そんな私に、ナタニエルはとても紳士的でした。二人きりになっても、軽い抱擁とキスまでしかしませんでした。その優しそうな風貌通りでした。


「昨晩のナットは……何だか以前の彼とは全然違ったわ……」


 私は運針をしながら独り言を言っていました。六年の歳月は人を変えるには十分でしょう。私も夢見る乙女から、ちゃんと現実を見据えられる女へと変わったのです。




 その日の晩も、その次の晩もナタニエルは夜中に瞬間移動で私の部屋を訪れました。そして明け方に再び瞬間移動で自室に戻るのでした。


 ナタニエルは任務が終了したら王都に帰ってしまう人だとは分かっていました。けれど私はどうしようもなく彼に溺れ、のめり込んでいきました。もう他の男性とねやを共にできると思えませんでした。口付けも、手を触れられるのでさえ、彼でないと嫌でした。




「瞬間移動が出来て良かったと思ったのは幼児の頃以来だよ。以前誘拐されそうになって、瞬間移動で逃げ出したことがあるんだ」


「まあ、そんなことが……昔から貴方は賢かったのね。良かった、ご家族は心配されたことでしょう」


「うん、大騒ぎだった。母は僕の無事が分かるまでは生きた心地がしなかったって言っていたよ」


「お母さまのお気持ち、察するわ」


「僕自身はかくれんぼしているくらいの感覚だったけれどね。とにかく、今になって瞬間移動は夜這いや逢引きにも便利なものだとつくづく思うよ」


「ナットったら……魔法をそんな私利私欲のために使ってはいけないのではないの?」


「そんなこと言ったって、僕が普通に扉を叩いても君は部屋に入れてくれないでしょう?」


「そ、それはそうですけれども」


「悪事や金儲けに使っているわけではないから大丈夫」


 寝台に二人横になってこんな何気ない会話をする時間がとても貴重なものに思えます。




 魔術師の二人が領地にやってきて最初の五日間で森の周囲からの魔獣生態調査は一区切りがついたようでした。六日目はお二人とも仕事に出ずお休みだとおっしゃるので、パスカルがテリオーの街などを案内する予定でした。


 ところが、弟は当日領地北部の農地で問題が起こったと言い朝食もそこそこに外出してしまいました。


「代わりに姉上がナタニエル様をご案内して下さいね。お願いします」


「えっ、そんな……」


 パスカルは有無を言わせずさっさと出掛けてしまいました。パスカルの居ない朝食の席でナタニエルは特に残念がる様子でもありませんでした。


「じゃあエマに案内を頼むとするかな」


「あの、アナさまもいらっしゃいますよね?」


「そうですわね。でも私は涼しい午前中だけ、ご一緒させてもらうわ。午後はこちらで休んで明日に備えます」


「丁度良いですね、伯母様。午前中はテリオーの街に連れて行ってもらう予定ですよ」


 アナさまもいらっしゃるならナタニエルと二人きりは避けられるし、私は街の飲み屋街に娼館、賭博場を案内せずにすむのでほっとしました。


「それでは朝食後、暑くならないうちに出掛けましょうか」




 そして私たち三人はテリオーの街の市場や教会を訪れました。アナさまは南部地方名産の綿の織物や紐細工に興味を示され、ご家族にお土産を購入されていました。


「伯母様、ついでにうちの母や妹達にも適当に見繕って下さいますか?」


「任せて、ナタン」


「男性陣には葡萄酒を何本か買っておけばいいですよね」


「蒸留酒もこの地の名産品がございますわ。酒類はその角のお店が宜しいでしょう」


「ではエマさん、ナタンを酒屋さんに連れて行って下さる? 四半刻後にそこの広場で合流しましょう」


「分かりました」




***ひとこと***

全裸で瞬間移動して自室に戻るナタニエル君でした! 誰に似たのでしょうね?

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