エマニュエル ー現在ー

第九話 僕が再燃させてみせるよ


― 王国歴1051年 夏


― 王国南部テリオー伯爵領




 六年経ってやっと昔のわだかまりがなくなった私は、ずっと双肩にのしかかっていた大きなおもりを下ろしたような気分でした。ですから気が緩んでしまったのかもしれません。私の寝室に夜更けに侵入してきたナタニエルと二人きりという今の状況を把握できていませんでした。


「ソンルグレさま、ありがとうございます。私、貴方をひどく傷つけたことがずっと気になっていたのです。ああ、良かった……」


「ねえ昔みたいにもうナットとは呼んでくれないの?」


 ナタニエルはそう言いながら私の隣に移動してきました。先程から彼の出現自体に驚いていて意識していなかった私ですが、今になって彼の姿が気になってきました。


 白いシャツに濃い色のズボンを身につけているナタニエルです。シャツは羽織っているだけでボタンもはめず前が完全にはだけていて裸の胸が見えています。それに肩にかかる長い髪の毛は結んでいなくて、少し湿っています。彼もお風呂上りなのでしょう。


 今日の夕食の時から気になっていた彼の無精ひげにも男らしさが見えて、私は胸の辺りがキュッと締め付けられる感覚をおぼえました。王都を出てから剃っていないのでしょう。彼に男性としての色気をこれでもかというくらい感じた私はもうそれ以上直視出来ませんでした。


 少しずつ我に返ってきた私でした。こんな姿のナタニエルが私の部屋に入ってくるところを誰かに見られていたら、と思うと気が気ではありません。お喋り好きな侍女から弟の耳に入ったら大騒動に発展してしまいます。滞在先の屋敷の娘と間違いを犯したなんて不名誉な噂を立てられたらナタニエルの方も迷惑でしょう。


「ナ、ナット……あの、でも……」


「逃げないでよ、エマ」


 にじり寄ってきたナタニエルは私の腰をぐっと引き寄せ、彼のもう片方の手は私の髪の毛を触っています。彼の顔との距離が縮まり、熱い息がかかるくらい近付きました。


「こ、こんなことよろしくないですわ!」


 私は彼の手から逃れるように立ち上がり、扉の方へ向かいました。


「今廊下に誰も居ないか確かめますね。貴方さまがそんなお姿で私の部屋から出て行かれるところを使用人ならともかくパスカルに見られでもしたら……一大事に発展しかねませんわ!」


 私が扉に手をかけようとしたところ、後ろからナタニエルにきつく抱きしめられてしまいました。私のバスローブははだけてしまい、肩から落ちそうでした。薄暗い部屋の灯りでもナタニエルに肌を見られていると思うと私は恥ずかしさでいっぱいです。


「そんなに慌てて僕を追い出そうとしなくてもいいじゃない、エマ。ところでこのローブの下は何もつけていないの?」


「そ、そ、それは……」


 ますます羞恥心をあおるようなことを言われます。確かに下着も何もつけていません。これから寝間着を着ようとしたらナタニエルが部屋に居たのです。彼は私のうなじにキスを落としながら片手で扉に鍵をかけてしまいました。


「さっき、欲しいものはないかって聞いたよね。それをしっかり頂く前にここから出て行くわけにはいかないよ」


「で、ですからご入用のものは後でお部屋に届けさせますので……」


「そんな、その欲しいものがこうして目の前にあって半裸の状態で誘ってくるっていうのに、わざわざ回りくどいことする必要ないよね」


「はい? ええっ?」


 欲しいものが半裸で目の前にある……私の思考回路は完全に混線してしまっていました。それと同時に私はナタニエルに振り向かされ、扉を背にした私は彼の両腕に阻まれてもう身動きも出来ません。


「焼け木杭ぼっくいには火が付き易いって知っていた? 僕が再燃させてみせるよ」


 非常に楽しそうな表情のナタニエルの顔が近付いて、私の唇はあっという間に奪われていました。


「あ、あぁ……」


 懐かしい彼の唇の感触にはしたない声を上げてしまいました。一旦唇を離した彼ですが、私を開放する様子はありません。


「壁ドンからのキスか……悪くないね。壁じゃなくて扉だけど」


 ナタニエルが何か言っていますが私には意味が分かりません。そして再び益々激しく貪るように唇を奪われました。


 同時に彼はローブの紐をほどき、私が唯一身にまとっていた薄い布きれをあっという間に脱がせて、床に落としていたのに気付きもしませんでした。


 私は彼のキスに身も心もとろけてしまいそうで、扉にもたれかかっていましたが、力が抜けてそのまま座り込んでしまいそうになりました。そこでナタニエルに寄りかかって彼の背中に両腕を回してしっかりとしがみつきます。


 六年前に失った大事な人に熱くキスをされているのです。私の体の奥は彼を求めてこれ以上ないほどうずいていました。


「ああエマ、可愛いよ……」


 ナタニエルの唇が名残惜しそうに離れると、私は彼に横抱きにされ寝台に連れていかれました。そっと寝台の上に下ろされた時、初めて自分が何もまとっていないのが分かり、慌てて掛布団の下に潜り込もうとしました。しかし、シャツを脱ぎ捨てたナタニエルが私に覆いかぶさってきたのです。


「ナット……あっ、いやぁ……」


 無駄に前を隠そうとしていた私の両腕は彼の手により開かされて寝台に押し付けられてしまいました。


「エマ、エマ……」


 私の名を呼びながらナタニエルの口が、私の額、唇、首筋あらゆる箇所に押し当てられていきます。彼はまるで貴重なものをそっと扱うように優しく、それでいて執拗に私を翻弄しました。



***



 私はナタニエルの腕の中で気だるい体を横たえていました。自分の身に起こったことがまだ信じられません。


「エマ、あのさ君もしかして……初めてだった?」


 彼が遠慮がちに聞いてきます。


「あ、はい。そうですけれど……」


 そう答えた私に向けた彼の表情は何とも言えないものでした。嬉しそうでいて悲しそうでもありました。期待外れだったのかもしれません。


「言ってくれたらもっと優しく出来たのに、君って子はもう! ごめんね、痛かったでしょ?」


 私は緊張でいっぱいいっぱいで、痛みなど感じている余裕なんてありませんでした。


「いいえ……とても、えっと、素敵でした。ありがとうございました」


「いや、そんな、情熱に任せてヤッちゃっただけで……改まってお礼を言われるようなことでは全然ないのだけれど……」


 相手は誰でも良かったわけではありません。私もこの歳でいつまでも大事に純潔を守っていても意味がないと分かっていました。


 けれど一年前に別れた商人とはどうしても出来なかったのです。再会したばかりのナタニエルには何の抵抗もなく初めてを捧げられました。私は後悔なんてしていません。むしろ本望でした。


「ナット……お部屋にお戻りになりますよね……もうこんな夜更けですから誰にも見咎められることはないと思いますけれど……」


 私は体を起こそうとしましたが、ナタニエルの腕にしっかりと抱かれていては動けませんでした。


「もう、エマったらぁ。疲れているのでしょ。ゆっくりとお休み。僕の心配はしなくてもいいから」


 彼の温かさに包まれ、これではいけないと思いながらも私のまぶたはとろんとしてきました。


 王宮魔術院から文が来てからというもの、ずっとお客さまを迎える準備に奔走していた私です。そしてお客さまの一人がナタニエルだった精神的な緊張もあり、疲労が溜まっていました。その夜はそのまま彼の腕の中で寝入ってしまいました。




***ひとこと***

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