第十三話 もっと良い思い出にするためにも


 私がナタニエルと居られるのもあと一週間となりました。アナさまたちが帰られた後のナタニエルは仕事を終えて休暇に入ったからか、とても楽しそうです。


「今日はパスカルが領地の見回りに連れて行ってくれるって。ねえエマも一緒に行こうよ」


 ただの見回りにこんなに張り切っているナタニエルは何だか可愛いです。


 彼はソンルグレ侯爵家の長男ですが、将来は侯爵にはならないのです。お父さまのアントワーヌさまは子供のいない前ソンルグレ侯爵の養子になり、侯爵位を継ぎました。ソンルグレ家の血を受け継いだ後継者はもう居ないため、爵位も領地も王国に返却するつもりだそうです。


「僕は魔術師として働いているだけで十分だから、領地経営なんて縁がないしね。だからパスカルの仕事はただの好奇心で見せてもらっているのだよ」




 楽しい充実した日々はあっという間に過ぎて行くものです。


 ナタニエルが帰る前々日、テリオー領夏祭りの日がやってきました。街の広場は昼間から賑わっています。屋台を建てている者、葡萄酒の大樽を運ぶ者、土産物屋に食べ物の屋台、今夜のお祭りにむけて住人も旅人も入り混じって皆、盛り上がっています。


 領主の家族としては毎年こうしてお祭りが開ける事はとてもありがたいことです。


 昼間は差し入れを街の広場に持って行き、私たちは夕方出直します。馬車でパスカルと三人で街に着くと、パスカルは領主代理として真っ先に踊りの輪に誘われていました。


 今日は多くの住民が南部地方の伝統衣装を身につけています。私はナタニエルにこの地方の風習などを説明しながら屋台を回っていました。彼は歩きながら食べたり飲んだりすることに最初は抵抗があったみたいです。


「私もなんてお行儀の悪い、と小さい頃は思っていたわ。でもお祭りの日だけは特別で、今日だけは私も食べ歩きをするの」


「じゃあ僕も、あーん」


 そう言ってナタニエルは口を開けました。


「まあ、ナットったら。はい、どうぞ」


 私が手にしていた一口大の魚の揚げ物を口に入れてあげました。


「うん、美味しいね」


「こうしてお祭りの雰囲気の中で食べるものは格別に美味しいのよね。不思議よね」


「エマと一緒だったら何でも美味しいに決まっているよ」


 それからナタニエルは私の手を取って広場の方へ向かいます。彼が嬉しそうに指を絡めてギュッと握りしめるのを私が振り払えるはずがありません。


 こうしてお祭りに私が貴族らしき男性と来ていたことはすぐに領民たちの間に広まるでしょう。もう気にしないことにしました。ナタニエルはあと数日で王都に戻るのです。


「ねえ、エマも踊るでしょう?」


「そうね、少しだけ」


 何とナタニエルまで私と腕を組んで踊りに加わりました。ステップ自体は単純な繰り返しです。腕を組んで回って、それから相手を変え、輪になって踊って一周して元の相手に戻って……ナタニエルが庶民のフォークダンスを踊るとは思ってもいませんでした。


 皆が陽気で、暑さをものともせず、暗くなるまで踊って食べて飲んでと楽しみました。




 踊り疲れて二人広場で休んでいるところにパスカルがやってきました。辺りはもうかなり暗くなっています。そろそろ花火が打ち上げられる時間です。


「僕はもう帰ります。お二人で花火を楽しんでください」


「ああ。パスカル、馬車に乗って帰るでしょう? 僕とエマはどうにでもなるから」


「ではお言葉に甘えて」


「パスカルも気を付けてね」


 町から屋敷までは歩けない距離ではありません。私はナタニエルと二人きりで花火を見ることが出来るのです。


 夏祭りの花火の最中に告白や求婚をされると幸せになれる、というのがテリオー領では俗信として知られています。特に若い年代は祭りの前からそわそわし始めます。


 ナタニエルはもちろんこの地の俗習なんて知らないでしょう。私ももっと若い頃には夏祭りに好きな人と一緒に出かけることを夢見ていました。


 普通、貴族令嬢が憧れるのは舞踏会なのでしょうが、何せ私は社交界にデビューすることもなく、田舎の領地に戻ってきたのです。この南部の地では舞踏会などまず縁がありませんから、せいぜい領地の祭りくらいしかおめかしして出掛ける機会はないのです。


「エマ、パスカルに聞いたのだけど、街の北側の丘の上から花火が良く見えるのだって? そこまで歩く元気はまだある?」


「平気よ。舞踏会に履いていくような踵の高い靴ではないもの」


 彼にしっかり手を握られて丘のふもとに着いたところで花火が始まりました。私たちと同じ考えの恋人たちもちらほらいます。私たちは人の居ない所を求めて丘を登り、ナタニエルが浮遊魔法で急な崖の上まで連れて行ってくれました。


「まあ、ここは特等席ね」


「うん、やっと二人きりになれた」


 ナタニエルにそっと寄り添って花火を見ます。


「うちの領の花火なんて王宮での催しの時のものに比べたらささやかなものですけれど」


 それから暫くの間、二人無言で夜空に咲く色とりどりの花を愛でていました。私がナタニエルの方をこっそりうかがうと、花火に照らされたその顔は何やらニヤニヤしています。何かを企んでいる時の彼の顔でした。


「ほらエマ、よく見て」


 私はナタニエルが差す花火の方に視線を戻しました。一際ひときわ大きな玉が上がり、球状に開くはずのその火の玉ははじけ、何だか折れ線を描いています。


「えっ、何? 不発?」


「ほら次も見て」


 次の玉も球状に開かず、今度は赤い火花が大きなハート型を描きました。


「まあ……」


 そしてまた一発、次が上がりました。


「今度もまた折れ線? あ、違うわ!」


 私はそこでやっと理解しました。隣のナタニエルは悪戯が成功した子供のような顔をしています。


「ナット、今のあれは貴方の仕業ね!」


 ナタニエルはまだクスクスと笑いながら私をしっかりと抱きしめました。


 彼は魔法で三発の花火の形を変え『N♡E』と、つまり私たちのイニシャルとハートを夜空に描いたのです。こんなロマンティックな演出を喜ばない女の子なんていないでしょう。


 下の花火師さんたちは不発だったのか、それにしてもおかしい、と疑問に思っているに違いありません。


(私も貴方を愛しているわ、ナット)


 私はナタニエルを縛り付ける気も、困らせる気もありません。でも愛の言葉が自然に口から洩れてしまいそうです。こんな素敵な演出をされて、私は二日後に笑顔でナタニエルを見送れる自信がありませんでした。


「花火師たちは不都合があったって、きっと慌てているわよ」


「三発だけじゃないか」


「確かにそうね、感動したわ。この夜は一生の良い思い出よ……ありがとうナット」


「じゃあもっと良い思い出にするためにも……エマ、ちょっと立ち上がってくれる?」


「なあに?」


 私はナタニエルに手を引かれて立たされました。




***ひとこと***

花火師の皆さん、花火を見ている全然関係ないNさんにEさんたち、お騒がせしました。

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