第七話 君が嘘をつく時はすぐ分かるよ
― 王国歴1051年 夏
― 王国南部テリオー伯爵領
その日の夕食の時、ナタニエルはやたら上機嫌でした。皆で葡萄酒を一本開けると彼は更に饒舌になり、魔術院の仕事の話や軽い冗談でパスカルと盛り上がっていました。
五日後の休みにはテリオーの街にパスカルが彼を案内するということになり、二人で何やら計画を練っています。
楽しそうな様子のナタニエルを見ると私もほっとします。お客さまを迎える準備の為に東奔西走した甲斐もあったというものです。
アナさまとナタニエルが部屋に引きとり、私も明日の食事などの段取りを使用人たちと済ませた後、自室に戻りました。
「ああ、今日も疲れたわ。今晩こそは良く眠れるといいのだけれど……」
独り呟きながら湯浴みの準備をして浴室に入りました。お風呂から上がり、さっぱりした私はバスローブだけを羽織って部屋に戻ります。
そして鏡台の前で強情な癖毛を梳かしている時、誰かに見られている視線を感じました。確かに部屋の窓は開けていましたが、誰が入り込んでくると言うのでしょう。恐る恐る振り向きました。
「あ、エマ、やっと気付いた? 君がその炎のような色の髪の毛を下ろしているところ、初めて見るね。悪くないよ、可愛い」
私の薄暗い部屋の椅子に足を組んで座っているその人は何故か楽しそうに口を開きました。
「キャッ……な、な……何をなさっているのですか!?」
驚いた私は立ち上がり、思わず昔のようにナットと呼びそうになって叫んでしまうのを辛うじて息をのみました。私の大声で侍女や弟が駆けつけてきたら大変です。
「だってね、昨日僕達が到着してからというもの、エマはとても忙しそうでさ、こうでもしないとなかなか二人きりになる機会がないから」
だからと言ってどうしてナタニエルが私の部屋に忍び込んでくるのかが分かりません。
「もしかして何かご入用なのですか、ソンルグレさま?」
「ご入用といえばまあ、どうしても欲しいものはあるよ。でもその前に君に話がある」
「何でございましょうか?」
私は頼りない薄手のバスローブの前をしっかりと合わせて彼の向かいの長椅子に座りました。
「昔、君が僕に別れを告げた時、僕はこれでもかと酷いことを言った。許して欲しい」
ナタニエルに何故か謝られました。彼が私のことを侮蔑したのは、私の責任です。
「そんなこと、私が貴方にしたことを考えれば当然ですわ」
「不本意な別れ方をしたことでしょ、それには理由があったって後から知った」
確かにあの時、私はそうするしかありませんでした。
「君が嘘をつく時はすぐ分かるよ。瞬きの数が異常に増えて、そうやって髪を触り出すのだよね。動揺した時にもだよね。正に今君がそうしているように」
「えっ?」
自分では気付いていませんでした。確かに私は右耳の辺りの髪を意味もなく撫でつけています。
「君の性格は良く知っていたつもりだった。でも、君に突然別れを切り出された時の僕は怒りで何も考えられなくなって、冷静な判断が出来なかった。今でも悔やまれるよ。僕は君を
ナタニエルが私に謝罪する必要なんてありません。
「貴方のお怒りはもっともでしたわ……」
「しばらしくて、やっと僕は我に返った。君の態度と言葉には絶対何か裏があると思い始めた時には既に遅すぎたよ。君とご家族は屋敷を売り払って王都を引き払っていた。君はずっと僕のことを怒っていて愛想をつかされたのだと……」
「そんなこと、ないです。全て私が悪かったのです」
私は彼に深く頭を下げました。
「それにね、春の初めにあのガストンの野郎が訪ねてきて、一部始終を教えてくれて謝罪された」
「まあ……彼は王都にも行ったのですか……」
ガストンとは私が八年前火だるまにしたあのいじめっ子で、学生時代ナタニエルとは犬猿の仲でした。
***
ガストンはこの春、いきなり我が家を訪ねてきたのです。伯爵家長男の彼ですが、家督は弟に継いでもらって彼自身は王国南東部の港町、ペルセで商売を営んでいるとのことでした。
今は愛する人とのささやかな幸福を得ている彼は昔の愚行を大いに悔いていました。それを今更だけど伝えたかったと言いました。ガストンは私の前で深く頭を下げてひたすら学院時代のことを謝りました。
もう昔のことで、許すも何もありません。
「私たち、皆幼かったわね。貴方は悪意地の働くいじめっ子だったけれど、私との約束だけはきちんと守ってくれたわ」
「お前、ソンルグレのこと本気だったんだろう。あんな別れ方をさせた俺のことをずっと恨んでいると思っていた。実は心の広い良い人間だな、なんで未だに独身で
「一言も二言も余計よ」
「まあ何だ、ペルセに来ることがあったらいつでも連絡くれ。ここテリオー領よりも旨い南部料理と舶来の葡萄酒をたんまり振舞ってやる」
「貴方、テリオー民に対して喧嘩を売っているの?」
テリオー領を含め、この辺り一帯は王国南部と呼ばれています。文化も似通っているものの、料理もそれぞれ少しずつ違いますが、一括りに南部料理と言われます。魚介類にふんだんに香草と香辛料を使うのが特徴なのです。
テリオー領はその上、葡萄酒の産地でテリオーの領民はこの地の料理と葡萄酒が一番だと誇りにしています。それはどこの領地でも同じことでしょう。
***
あの後ガストンは王都に向かい、ナタニエルに会っていたのでした。私の近況まで告げていたとは知りませんでした。
「ガストンが王都の僕のところに来たのはここテリオー領に寄ったすぐ後だったみたいだね。僕にひとしきり昔のことを謝って、君がまだ独身で婚約者も居ないって教えてくれた」
「……それは、まあそうですけれど」
「昨年君が婚約する筈だった男は彼の方から破談してきたってパスカルに聞いたよ。馬鹿な男も居るものだね」
それでも元婚約者予定の男性は外面だけは良い人でした。最初、私が貴族であることを鼻にかけていて、ただの商人との縁には不満だったと周りには思われていました。
その後三角関係のもつれで刃傷沙汰になった時には、私も関わっていて四角関係だったのだと人は興味津々で噂していました。それも含めて全てはもう過去のことです。
それよりも、向かいに座るナタニエルと六年の時を経てきちんと話が出来て私はほっとしていました。必死だった十代の愚かな私もこれで報われるというものです。
長年の心のしこりがすっかりなくなりました。涙が出て来そうでした。けれど私はナタニエルの前で泣くわけにはいきません。今晩は私は安堵の涙で枕を濡らすことでしょう。
***ひとこと***
ナタニエル君、不法侵入!? 覗き見盗み聞きが得意なあの方よりも大胆です。
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