第八話 何を言われようが平気だもの


― 王国歴1045年 春


― サンレオナール王都 貴族学院




 今から六年前のことです。当時貴族学院二年生になっていた弟のパスカルは病弱な上に気も弱く、見た目も女の子のような男の子でした。そのせいで級友たちなどに良く揶揄からかわれていたことは知っていました。


 風邪や体調不良で学院も休みがちで、勉強も遅れるのでますます学院に行きたがらず、悪循環になっていました。


 パスカルに学院を卒業して欲しいというのは家族皆の切なる願いでした。




 姉として心を痛めていたある日、学院の中庭でガストンとその仲間がパスカルを囲んでいていたのです。丁度通りがかった私は焦って割って入りました。


 ガストンの仲間のうち、彼自身か誰かは知りませんが女の子ではなく男の子の方が好きな男子生徒がいるということは有名でした。


 目を付けた下級生の可愛い男の子にみだらな行為をするという噂がまことしやかに流れていました。そんな奴らに私の弟が目を付けられたらたまったものではありません。私は目の前が真っ暗になり眩暈めまいまでしてきました。


 勇気を振り絞って彼らに近付きます。私は自分自身を犠牲にしてでもパスカルだけは守らないと、という思いに駆られていました。


「パスカルに何の用なの、貴方たち?」


「なんだぁ、この威勢のいい女は」


「あ、姉上」


「この子、体が弱いせいで中々学院にも馴染めないの。放っておいて、お願いよ」


「ガストン、こいつソンルグレとたまに一緒にいる女ですよ」


「へぇーえ」


 その頃のガストンは悪知恵だけは良く働く狡猾こうかつな人間でした。


「いいこと考え付いたぞ、おい女、このモヤシ君に手を出さない代わりに俺の出す条件を飲め」


「姉上、ダメです!」


「パスカル、貴方は心配しないでいいのよ」


 そこで始業の予鈴が鳴りました。ガストンは私とパスカルの顔を見比べてニヤニヤと笑いながらこっそりと私に告げました。


「昼休みに仕切り直しだ、お前一人でここに来い」


「分かったわ」


 心配そうな顔をするパスカルを彼の教室まで送って行き、自分の教室に急ぎました。そしてガストンとの約束通り昼休みに中庭に戻りました。


「よぉ、怖気ずにやって来たか」


「それで、条件って何?」


「ソンルグレと付き合っているんだってな」


「それが貴方と関係あるの?」


「ああ、大いにある。俺の条件はな、奴をこっぴどく振って俺に乗り換えることだ」


「な、何ですって……」


「出来ないんならしょうがねぇなあ……」


 パスカルとナタニエル、二人とも私にとっては大事です。どちらがより大切かなんて決められる筈がありません。けれど当時の私は迷わず体の弱いパスカルを守ることを優先しました。


「出来ないなんて言ってないじゃないの。私の条件も飲んでくれる?」


「言ってみろ」


「他のいじめっ子たちから弟を守って欲しいの。それから貴方と付き合うフリをするだけでいいのでしょ? だったら指一本私に触れないで」


「ちゃっかりしてんな、お前。二つも条件出しやがって。でもまあいいだろう」


 彼は意外にも律儀に私が出した交換条件を飲み、たがえることはありませんでした。ガストンとの約束はパスカルもナタニエルも知りません。これが私がナタニエルに突然別れを切り出した理由です。




 私がナタニエルと別れたという噂はあっという間に広まりました。私が悪者にされて面白可笑しく語られると分かっていたことでした。ナタニエルを慕う女学生たちに良くからまれました。


「貴女ね、ナタニエル君をこっぴどくふるなんて何様のつもり?」


「そうよ確かにね、その程度の容姿で彼に釣り合っているとは言えないけれど!」


「けれどあのガストンに乗り換えるなんてねぇ。何がそんなに良かったのかしら?」


「これだからいやだわぁ、下賤の者は」


 一人が隣の女子の耳にひそひそと囁いています。私のことを下賤と言いながら、貴族令嬢らしからぬ下品なことを言っているに違いません。彼女たちの笑い方から分かります。


 でも、こうなることは分かっていました。学院でも目立つ有名人であるナタニエルと付き合っていたのです。公の場で堂々と一緒に居たことはあまりありませんでしたが、ナタニエルの同級生など、一部の学生たちには私たちの仲のことを知られていました。


 その私がナタニエルに別れを告げ、彼の天敵ガストンと付き合うようになったのです。


 ナタニエルに好意を寄せていたのに、彼からは見向きもされていなかった女子学生たちの心境は複雑でしょう。けれどこうして私をおとしめることでナタニエルまで侮辱しているということを彼女たちは分かっていないようです。


 私は無言でその場を去ろうとしていました。そこにいきなりガストンが現れたのです。


「何やってんだ、てめえら?」


「あら、新しい彼のお出ましよ」


「コイツの何があのナタニエルさまより勝っているのかしらねぇ」


「それはもちろん、決まっているでしょ……野蛮で激しいのが良いのでしょ、ウフフ」


 彼女達のいやらしい視線がガストンの下半身に集中しています。貴族令嬢が聞いて呆れます。ガストンがカッとなって手を付けられなくなるかもしれません。私はこんな所でこの人たちと揉め事など起こしたくはありませんでした。


「おい、テリオー、こんな奴ら相手にすんなよ。行くぞ」


「え、ええ」


 ガストンはあっさりしたものでした。私の肩を強引に抱いてその場から去りました。拍子抜けです。


「ちょっと、何なのよ待ちなさいよ!」


「待つわけねぇだろが……バカ女どもが」


 校舎の角を曲がり、彼は私の肩からさっと手を離してくれました。


わりいな、アンタには指一本触らないって約束だった」


「別にいいわ。私もあそこから逃げ出したかったから。それにしても貴方って案外大人なのね。あの人たちの挑発に乗るかと思ったわ」


「一言多いんだよ。アンタがああして性悪女に嫌がらせを受けるようになるのは俺も本意じゃねぇし」


「私のことは心配しないでいいのよ、何を言われようが平気だもの。貴方はパスカルを守っていればいいのよ」


「お前のカワイイ弟くんは俺の仲間が見張っている。これから帰りか、気を付けろよ。じゃあな」


「ええ、さようなら」


 ナタニエルと別れてからというもの、私は自分の感情を奥深くにしまい込みました。学院生活は何の楽しみもないものとなりました。見えない鎧をまとってその日その日をなんとかやり過ごそうと必死でした。


 唯一の救いはパスカルが学院で過ごしやすくなったことです。弟が心配事もなく、何に怯えることもなく毎日が送れるのなら私も耐えられました。




***ひとこと***

今まで引っ張って、もったいぶってしまいましたが、別れの理由はこんなものでした。

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