第六話 誰よりも好きだった貴方

― 王国歴1045年初夏-1051年夏


― サンレオナール王都、王国南部テリオー伯爵領




 六年前、両親は弟パスカルを連れてテリオー領に戻ると言い出しました。体の弱い弟のために、人口の多い王都よりも田舎で暮らすのが一番と考えたからです。王都に比べてテリオー領は南部に位置するので冬もそう厳しくありません。


 パスカルはどうしても貴族学院での集団生活に馴染めなかったということもありました。


 丁度ナタニエルとの辛い別れをした傷心の私も、家族と一緒に領地に引きとる決心をしました。私だけはせめて学院卒業まで、残りたければ卒業しても王都に居たらいいと両親は言ってくれました。


 しかし、当時の私は全ての煩わしさから逃げ出すことしか考えられませんでした。王都に一人残って、針のむしろのような学院生活を続けていく意義なんて見出せませんでした。


 家族全員でそう決めたら、王都の屋敷も売りに出し、学期末を待つまでもなくさっさと領地に四人で戻りました。


 私はその夏、卒業式でナタニエルの晴れ姿を物陰からこっそり見たいと思っていましたが、そんなことをしても自分が惨めになるだけだと言い聞かせました。きっと彼の隣には新しい恋人が居るに決まっているのです。別れてから時々ナタニエルと一緒のところを見かけた、美しい茶色の髪をした知的な印象のあの彼女です。


 学院に通う最後の日、ナタニエルがもしかして秘密基地で一人で居ないかと裏庭に行ってみました。彼にお別れだけでも言いたかったのです。


 秘密基地の木が見えてきた時、私をさげすむナタニエルの視線を思い出し、勇気をなくしてしまいました。私は足がすくんで、それ以上あの大木に近付けなくなったのです。


 くるりと踵を返し、私はそのまま貴族学院を去りました。




 王都を離れるその日、馬車の窓から私は遠くなっていく街をずっと眺めていました。


(さようなら、ナット。誰よりも好きだった貴方……遠くから幸せを祈っているわ)


 私が感極まって涙ぐんでいたのに家族は皆気付いていたことでしょう。けれど何も言わず、無言で見守っていてくれました。


 幼かった私の恋は不完全燃焼でそのままいつまでも私の心の中でくすぶっているのです。




 領地に戻った私たち姉弟に両親は教師を雇いました。私は領地民の行く学校に通っても良かったのですが、弟のパスカルには個人教師の方が良いという両親の考えでした。私の勉強も弟と一緒に見てもらうことになりました。


 弟には田舎の生活が合っていたようでした。彼はみるみるうちに健康になりました。貴族学院での集団生活の重圧から逃れられ、田舎でのびのびと暮らせて勉強も自分のペースで進められたことが大きかったようです。


 自分に自信がなかったパスカルも、今では次期領主としての自覚が出来、その肩書に見合うような立派な青年です。


 私はこちらに戻ってきてから、空いた時間には刺繍に没頭するようになりました。心を無にして針を動かしていると気が紛れたのです。


 そのうち刺繍では物足りなくなり、私は簡単なドレスを縫うようになりました。貴族令嬢として刺繍の技術は習得していた私ですが、ドレス作りという実用的な分野は基礎的な知識しかありませんでした。


 最初は手探りで、少しずつ時間をかけて作りました。それから私はどんどん裁縫という新しい趣味にのめり込んでいきました。


 テリオーの街の仕立屋で自分のドレスを仕立ててもらう度に色々と尋ね、知識を広げ、古い型紙を譲ってもらい、そうして私は独学で技術を培ってきました。


 今ではドレスのデザインをし、型紙も作ります。私が王都を去った頃に流行り始めた切り替えの高い、腰回りに余裕のあるドレスは普段着にも愛用できる上、簡単に縫えるのです。


 自作のドレスを着ていたら街で領民たちにどこで入手したのか聞かれ、それを切っ掛けに注文を受けてドレス作りをするようになりました。


 現在は家族を手伝って領地経営をし、ドレスを縫う日々です。私にドレスを縫って欲しいというお客さんも口伝えで評判が広まり、少しずつ増えてきています。




 こんな私でも、縁談はありました。二年ほど前テリオーの街の裕福な商人と交際を始めたのです。領主の娘をめとることは商売にとっても有利で、何と言っても箔がつくからということで彼はすぐに婚約、結婚したがっていました。


 最初からお互いの求めているものが大きく食い違っていたのに、二人共気付いていないふりをしていたのかもしれません。


 そして私たちもそろそろ婚約、という時に彼の浮気が発覚したのです。相手はテリオー領の北にある都市、トロイに住む女性でした。彼によると、私が体を許さないからつい出来心だったとのことでした。


 トロイはテリオーの街よりも規模が大きい都市です。そこで堂々と二人が逢引きを繰り返していたのを何人もの知り合いが目撃していました。


 それが私の両親の耳に入り、私たちの交際は破局しました。今から一年前のことでした。


 私の交際相手は、自分の不実が別れの原因なのに、浮気を正当化するような人でした。私のことをお高くとまった考えが固い潔癖すぎる女だと最後に捨て台詞を残して彼は去って行きました。キス以上のことがどうしても出来なかった私に彼は呆れて嫌気がさしていたのでした。


 私はひどく傷ついたと同時に、実は内心ほっとしていました。将来結婚して夫婦の契りを結ぶということが、その人とはどうしても想像出来なかった私です。いつまで経っても、ひどい別れ方をした学生時代の恋の傷が癒えていないからだと私は思っています。


 その頃から私はもう一生独り身でもいいと腹をくくったのです。当分はこのまま当主となる弟を支えて行くと決意しました。


 家族は私を腫れ物でも扱うような態度で、無駄に気を遣ってくれました。


 それからしばらくして、元交際相手にはまた別の女性が居たことが発覚して、トロイの彼女も巻き込んで刃傷沙汰に発展したことを風の便りに聞きました。しかも女性のどちらかのお腹にはもう彼の子供までいたのです。私にはもう関係ないことでした。


 しかし以前交際していた私の評判までおとしめられたと、両親と弟が私の代わりに憤っていました。相手の浮気が原因で別れたのですが、悪い評判が立ってしまったのできっとこのテリオー領ではもう良縁は望めないでしょう。


 幸せな家庭を築くという将来の夢がないわけではありません。でも私にはとても縁のないことに思えます。両親は近隣の貴族などに良い人がいないか、私に縁談を取り付けようとしていたこともありました。


 私自身はどうしてももうそんな気にはなれないのです。しかし、いつまでも独り身で実家に残っているわけにもいきません。いつか弟のパスカルは領主となり、奥さまを迎えることでしょう。


 その日が来たら私はテリオーの街でドレスを作りながら細々と暮らしていくつもりでした。




***ひとこと***

王都からテリオー領に戻ったことはパスカル君にとっては良かったのですね。エマも自分の道を探して、ドレス作りという生きがいを見つけましたが……

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