第五話 その姿が凛々しくて、眩しくて

― 王国歴1051年 夏


― 王国南部テリオー伯爵領




 翌朝、アナさまとナタニエルは魔術師の黒いローブを着て朝食の席にいらっしゃいました。今日から早速仕事のために魔獣の住む森まで向かわれるそうです。


 魔術師のローブをまとったナタニエルを見るのは初めてでした。肩の下辺りまでの美しい金髪は後ろで一つにまとめて縛っています。黒は彼の金髪がより映えます。その姿が凛々しくて、眩しくて直視できないと言うか、私がジロジロ見るのも失礼に当たるでしょうから、慌てて目を伏せました。


 ナタニエルが十代の貴族学院時代よりもずっと素敵になっていることを私は苦々しく認めざるを得ませんでした。


 私は当時短かった彼のさらさらの髪を撫でるのが好きでした。吸い込まれそうな青緑の瞳は、もう私には優しい眼差しを向けることはないでしょうし、私の姿を映すこともないのです。


 ナタニエルはエリート中のエリートと言われる王宮魔術師で、方や私はしがない田舎貴族の娘です。こんな形で再会を果たしても私が惨めさを再確認するだけでした。


 ナタニエルにとって私との付き合いと別れは苦い青春の一コマとして心の片隅に残っているだけでしょう。馬鹿な女も居たな、くらいに考えてくれていると願います。というよりもすっかり忘れているかもしれません。何年たってもそれを引きずっているのは私だけでいいのです。


 とにかく今はアナさまとナタニエルが我が領地に滞在中、快適に過ごせるように務めるのが私の役目です。




 魔術師の二人が出掛けた後、弟は領地の見回りで昼間は留守でした。私は執事のベルナールに一言告げました。


「ベルナール、ソンルグレさまに何か必要なものや頼み事がないか時々聞いて差し上げてね。最初は女性が二人おいでだと連絡が来ていたのに……えっと男性ですから、その、私には聞きにくいこともあるでしょうしね。それにパスカルよりも使用人の貴方の方がソンルグレさまも遠慮なく相談できることもあると思うのよ」


 人にもよるでしょうが、娯楽や気晴らしが必要だと思ったのです。テリオーの街は国境に近くて人の行き来も多く、飲み屋や賭博場、娼館などの施設もまずまず充実しているのです。


 ベルナールは表情も変えず、私の言葉に眉を少し上げただけでした。


かしこまりました、お嬢さま」


「ありがとう、お願いします」


 けれどナタニエルはお酒も賭け事も付き合い程度にたしなむくらいだと思いました。それに決まったお相手が居るなら旅先で女遊びなどする人ではないと私は信じています。少なくとも私が付き合っていた頃の彼はそんな人でした。


 彼はもう結婚しているのかしら、でなければ素敵な恋人がいるのかしら、などと考え出すと気になってしょうがなくなりました。針仕事に集中しようとしても、どうしても能率が下がり気味で、気付いたら針を持つ手が止まってため息をついている自分がいました。




 その日は遠征の初日ということで魔術師のお二人は午後の早い時間には帰宅されていたようです。自分の部屋にいた私は侍女に呼ばれてアナさまのお部屋に顔を出しました。


「エマさん、今お茶をいれてもらっているのです。お時間よろしかったらご一緒しませんか?」


「はい、ありがとうございます。喜んで」


 アナさまとは差し障りのない世間話をしました。ナタニエルの伯母にあたる彼女には三人のお子さんが居るそうです。


「どの子もまだ独身なのですよ。そろそろ決まったお相手が居てもいい年頃なのですけれどね」


 彼らは皆、私やパスカルと同年代です。上のお二人は私もお顔とお名前くらいは知っています。


「では、ナタニエルさまはもうご結婚なさっているのですか? それともご婚約されているとか? あ、そのえっと……学生時代から更にご立派な青年になっておいでなので……」


 話の流れとは言え、私の方からアナさまにこんな質問をいきなりするとは……思わず口を開いた後しまったと思いましたがもう遅すぎました。


「ナタンは結婚もまだだし、婚約もしていませんわ。お付き合いをされている方が居るのかどうかは知りませんけれども。でもきっと居ないと思うのです。もしそうだったら彼の両親のアントワーヌとフロレンスさまがすぐに教えて下さるでしょうから」


 アナさまはニコニコしながらそうおっしゃいました。


「アナさま、いえ、あの……お客さまのことをそこまで根掘り葉掘り聞こうとしたわけでは決して……失礼致しました」


 私は恐縮してしまいました。アナさまには私が身の程もわきまえず、物欲しそうにしていると思われたに違いありません。一応私にだって田舎貴族の誇りというものがあります。


「いえ、別に構いませんよ。ナタンには妹が二人居ることはご存じですよね。ローズは去年結婚して私たちがこの地に発つ直前に元気な男の子を出産したのですよ。それから末のマルゴにもどうやら将来を誓い合った方がいるらしいのです」


「まあ、それはおめでとうございます」


 アナさまは相変わらずにこやかなお顔を崩されません。私はほっとしました。


 ナタニエルの上の妹ローズさんと弟パスカルは学院時代の同級生で、彼女の結婚式には弟も招かれて出席したのです。このテリオー領に戻ってきてから弟が王都に出たのはその時一度だけでした。ローズさんに弟は学生時代にとても良くしてもらったそうなのです。


「では、エマさんとパスカルさんはどうなのですか?」


「私も弟もまだ良縁には恵まれておりませんわ。弟はともかく、私はもう……特にこんな田舎では女性の適齢期というものは王都に比べるとかなり低いですし」


「けれど私が結婚したのもエマさんと同じくらいの歳だったのですよ。それまではろくに恋なんてしたこともなかったのに、王都に出てきて今の主人と出会って……お互い一目惚れだったのです。それからとんとん拍子に話が進んで……人と人との縁ってどこに転がっているか分かりませんわ」


 アナさまが頬を少し赤らめている様子はとても微笑ましいです。


「まあ、アナさまはとても素敵な出会いをされたのですね」


 幸せな結婚をし、三人のお子さまに恵まれたというアナさまが羨ましくないと言えば嘘になります。




 アナさまとお喋りした後、私は厨房に向かい、今晩の夕食の準備を確認しました。女主人として滞りなく料理が出来ているか見るだけでした。それでも材料の買い出しに私が行くこともあったし、料理の内容は料理人たちと何度も話し合います。普段は料理人に任せきっている事柄でも、王都からのお客さまを招いている時はそうはいきません。




***ひとこと***

アナの語る『奥様は変幻自在』ダイジェスト!

「それまではろくに恋なんてしたこともなかったのに、王都に出てきて今の主人と出会って……お互い一目惚れだったのです。それからとんとん拍子に話が進んで……」

とんとん拍子に話が進んだのは確かですが、かなり端折っています!


さて、話は現在と過去を行き来します。

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