第三話 確かに炎のような綺麗な色だ

― 王国歴1043年 春


― サンレオナール王都 貴族学院

 



 ナタニエルに出会ったのは私が貴族学院に通っていた十四の時でした。今から八年前のことになります。当時、私たち家族は王都に住んでいました。貴族学院で二つ年上の彼は有名人でしたので知っていました。


 弟パスカルは十一歳で初等科に在学中でした。パスカルは病弱な上に人が大勢いる場所が苦手なので、滅多に食堂で食事をすることはなかったのです。ですから初等科の校舎との間にある校庭の片隅で私たち姉弟は良く一緒に昼食をとっていました。


 そんなある昼休み、私はまずナタニエルが一人で校舎裏の森に向かうのを見ていました。それからしばらくして、ガラの悪い男の子たちが数人同じ方向に行きました。


「何て名前だったかしらあのいじめっ子……パスカル、貴方はここに居なさい。昼休みが終わったら校舎に戻りなさいね」


「姉上、まさかあいつらを追いかけて行くのですか?」


「大丈夫よ、心配しないで、パスカル。私いざとなったら魔法も使えるし。じゃあね」




 ソンルグレ侯爵家の長男ナタニエルは家庭の事情が複雑でした。彼の実の父親、元ラングロワ侯爵は芥子栽培などの罪を犯して牢獄で亡くなっていたのです。ナタニエルは当時まだ二、三歳でした。そのラングロワの罪を告発したのがその後に彼の継父となるアントワーヌ・ソンルグレ侯爵です。


 そんな事情もあって、彼は良く学院内でいじめっ子たちに目を付けられていて、彼らとやり合って問題を起こしていました。





 私がつけて行ったガラの悪い男子達は案の定、森の中でナタニエルに何やら言いがかりをつけているようでした。一人を大勢で囲んで、卑怯なこと極まりないです。


「何を生意気に! やっちまおうぜ!」


 こっそりと近付いた私は奴らの一人の背中に魔法で火を放ってやりました。もちろん私は彼が火傷を負うような大きい炎はつけませんし、自分でつけた火はすぐに消せます。


 その後は傑作でした。火を消そうと慌てて地面を転がり回るいじめっ子に、何も出来ずオロオロするだけの他の男子、それをケラケラと笑いながら見ているナタニエルが居ました。


「サンレオナール王都貴族学院周辺に森林火災警報が出ていたとは知らなかったなぁ。僕は何もやっていないのだけど、まあ可哀そうだから消火してやるよ」


 最後にナタニエルは魔法で大量の水をいじめっ子にかけ、火を消していました。


「覚えていろよ!」


 捨て台詞を残してうの体で逃げていく奴らを私は茂みの陰からこっそりと眺めていました。


(ざまーみろ、だわ! フン!)


 私はナタニエルに見つからないように密かにそこから去るつもりだったのに、いつの間にか彼は私の隣に来ていました。


「僕は君に助けてもらったお礼を言わないといけないのかな?」


「あっ、いいえ……そんなわけでは……」


「まあそれでも奴らが去ったのは君のお陰だからね、ありがとう」


「あの、私はただ……貴方はいつも一人なのにあいつらは複数で卑怯だと思ったから……」


「僕は一人でも負けないよ。それで僕の方がむやみやたらに魔法を使ってあいつらをいじめているって教師たちから目を付けられているくらいだし」


「じゃあ、私余計な事をしてしまったのですね、ごめんなさい。けれど貴方は何も悪くないのに……えっと、その、子供は親を選べないってうちの両親も良く言っています。私の髪がこんな変な色なのも、私が好きでそうなったわけではないのと同じですから……せめてこの赤色が映えるような緑色の目だったら、と思うのです。けれど、贅沢を言い出したらきりがありませんね」


 私は昔から自分の赤毛が嫌でしょうがありませんでした。しかも強情な癖毛なのです。そして私の目は何の変哲もない地味な茶色なのです。それでも言ってしまってから後悔しました。今から思えば彼が一番気にしているであろうことを初対面でずけずけと無神経にも口に出してしまったのです。


「へえ、なるほど、極端な例えだけども本当だね。確かに炎のような綺麗な色だ。僕の名前は知っていると思うけれど、ナタニエル・ソンルグレ」


「エマニュエル・テリオーです」


「君、魔術科ではないよね」


「普通科です。私、火の魔法が少し使えるだけですから。でも、自分がつけた火は責任を持って消しますよ」




 幼児の頃に癇癪を起こした私が周りを火の海にしたことはいつまで経っても家族の中での笑い話になっています。その後は両親に火の魔法をきちんと自分で制御出来るようになるまで練習させられました。残念ながら私が使える魔術といったらそれだけで、魔術師になるには程遠かったのです。




 その日から時々ナタニエルは私を見かける度に声を掛けてくるようになりました。パスカルと一緒に昼食をとろうと裏庭の隅に居た時が多かったです。


「エマ、髪の毛が目立つからすぐに遠くからでも君だって分かったよ」


 私は髪の色を気にしていましたが、ナタニエルに言われるとこんな赤い髪でも彼にとっては特別なものなのだと嬉しくなってしまいました。それに、彼が人混みの中で私を見つけてくれたことで、自分の髪の毛も少しだけ好きになれました。


 ナタニエルと他愛のないお喋りをするのも楽しかったのです。彼もそうだといいな、と切に思っていました。


 けれど学年も科も違うナタニエルとは休み時間や昼休みに運が良かったら顔を合わせるだけなのです。ですから私は彼と顔見知り以上の関係になるだなんて思ってもいませんでした。


 ナタニエルは亡くなった実の父親が犯罪者だっただけで、お母さまは王妃さまの妹です。それに継父のソンルグレ侯爵はいずれ王国史上最年少で副宰相の地位に就くと当時言われていて、実際その数年後副宰相に就任されたのです。そして美しい容貌に貴公子紳士的な立ち居振る舞いのナタニエルは女子学生にとても人気がありました。




 それから秋になり、肌寒くなってくると休み時間も校舎の中で過ごすことが多くなります。魔術科とは棟が違いますから、ナタニエルと会えない冬の間にきっと取るに足らない存在の私のことは忘れられると思っていました。


 そんなある日の昼休み、食堂に向かっていた私は上着を着たナタニエルとすれ違いました。私は軽く会釈をします。


「エマ、一人? だったら一緒に来ない?」


 涼しくなった途端にパスカルは風邪を引いてしまい、その日は休んでいました。私は一人で食堂で昼食を取るつもりだったのです。


「ええ、一人ですけれど、どちらに向かうのですか?」


「着くまで内緒」




***ひとこと***

エマ十四歳、ナタニエル十六歳の出会いでした。ナタニエル君はこの頃は既に反抗期も終わり、落ち着いておりました。

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