第二話 どう見ても冴えない田舎貴族の娘ね
大事なお客様のお越しだというのにあまりの衝撃で動けない私でした。代わりに弟のパスカルはまずアナさまの前に
そこで私もハッと我に返り、慌てて口を開きました。
「お、王都からのお客さまをお迎えできるとは大変光栄です。何かご要望がおありでしたら私どもに何なりとお申し付けくださいませ」
私は再び深く頭を下げました。そして顔を上げるとにっこり笑っているアナさまが差し出してくれた手を軽く取り、膝を曲げて略式の挨拶をしました。
その後、私に一歩近付いたナタニエルはしっかりと私の右手を取ります。私が反射的に手を引っ込めようとするも、彼はその手をぐいっと引き、何とそこに軽く口付けたのでした。
私は動揺で何も言えなくなってしまっていました。先日のあの悪夢は予知夢だったのでしょうか。
「長旅でお疲れでしょう。どうぞ屋敷にお入り下さい。お部屋にご案内致します。夕食前に入浴されて汗をお流しになるとよろしいですよ」
「ああ、そうだね。ありがたいね」
ナタニエルに再会した驚きで固まってしまって役立たない私の側でパスカルがテキパキとこの場を仕切っていました。
「ベルナール、お客様の荷物を運んで、馬車も頼むよ」
「かしこまりました、若旦那様」
「お二人には一階の客間を使っていただきます。この暑さですと一階の部屋の方が涼しいのです。女性お二人と聞いておりましたが……ええ、もちろん別々の部屋を用意致しておりますので」
「まあ、至れり尽くせりですわね。ありがとうございます」
お客さまがパスカルに続いて屋敷に入って行かれるのに私はまだ玄関先に立ったままでした。
ナタニエルがそこで振り向き、なんと私に向かって意味ありげな表情でウィンクをしたのです。私は何が何だか分からないまま、皆について屋敷に入りました。
「ソンルグレ様はこちらの部屋がよろしいでしょうね。姉上、ルクレール侯爵夫人をあちらの角部屋にご案内して下さい」
「あっ、はい」
パスカルに指示され、私は慌ててアナさまを部屋に導きます。
「エマニュエルさん、私のことはどうぞアナと呼んでくださいね」
「では私のことはエマとお呼び下さいませ」
アナさまは小柄で漆黒の美しい髪に碧い瞳の、可愛らしいと言う形容詞がぴったりの女性です。
魔術師と言えば黒いマントと思い込んでいましたが、アナさまはクリーム色の夏のドレス、ナタニエルは白いシャツに茶色のズボンという軽装でした。
「パスカルさんのおっしゃる通りね。このお部屋は風も入るし涼しいわ」
「気に入っていただけたようで何よりです」
「何から何までお世話になります。本当はね、私たちは宿に泊まる予定だったのですよ。それに魔術院からの文には私ともう一人の女性魔術師が派遣されると書かれていたでしょう? それでも……テリオー家に文を出した後、少々変更があってね……」
「そうでございましたか」
「夕食の時にでも詳しくお話ししますね」
私たち家族にはあまり魔術師の知り合いは居ません。ですからどんな方がいらっしゃるのか、実は私はびくびくしていたのです。
けれど、アナさまはとても気さくなお優しい方のようでとりあえずはほっとしました。もう一人のお客さまであるナタニエルも、私に対する感情は複雑なわだかまりが残っているかもしれませんが、根は真っ直ぐで思いやりのある人なのです。
お客さまが夕食の時間まで部屋で寛いでいる間、夕食の準備が滞りないかどうか、私は厨房を覗いて確かめました。
夕食で再びナタニエルと顔を合わせる前に鏡を見て自らの姿を確認しました。普段着ではなくよそ行きの少し良いドレスを着ている私ですが、寝不足のためか疲れた顔をしています。
「どう見ても冴えない田舎貴族の娘ね。それに……彼は私が目にくまを作っていようが何を着てようが気にも留めないでしょうね……」
私は鏡に映るやつれた赤毛の女にそう呟き、そっとため息をつきました。
夕食はアナさまにナタニエル、私たち姉弟の四人でとりました。
アナさまによると、彼女と一緒に来る予定だった女性の魔術師の方がつい先日、急にやむを得ない理由で遠征を辞退しないといけなくなったそうでした。そして代わりの魔術師としてナタニエルが任命されたのでした。
「本当はビアンカさまがいらっしゃりたかったのですね。ご実家のボション領も近いですから。けれど、旦那さまで総裁のクロードさまに反対されてしまって……」
ビアンカさまとは珍しい白魔術を使う方で、魔術院の幹部の一人ということは知っていました。確かに我がテリオー領と彼女のボション領はそう離れていません。
「総裁はビアンカ様に置いていかれて一人で留守番するのが寂しいだけですよ。魔術院の幹部が二人も抜けてしまっては業務に障る、とごもっともな理由を掲げていましたけれどね。そう言うジェレミー伯父様だって伯母様が遠征されるのに渋い顔をされていましたよ」
ナタニエルはアナさまの甥にあたります。アナさまの夫ジェレミーさまと彼のお母さまが兄妹なのです。
「ええ、確かに喜んで見送ってくれたわけではなかったわ……」
「伯母様が遠征に向けてやる気満々ではしゃいでいらっしゃったから、物分りのいい夫を演じていただけですよ。強がってはいますけど本当は伯母様がいないと寂しいに決まっています」
「うふふ」
結婚していつまで経っても仲の良い夫婦に私は憧れます。
そこでパスカルが今回の遠征のお仕事について聞いていました。
「お二人は明日から魔獣の生態調査をされるとのことですが、あの森は地元の人間も怖がって避けているほどなのですよ。お気を付けて下さい」
魔術師のお二人が調査に向かう森はとても深いのです。いくら強い魔力を持った魔術師と言えたった二人で臨むなんて危険ではないのか心配でした。しかも当初は女性二人で向かわれる予定だったのです。
「心配いらないよ。今回は森の中には入らずにどんな魔獣が何頭くらいいるのか、遠方から彼らの魔力を測るだけだから」
「魔獣は人間の男性よりも女性の方に懐きやすいと言われているのですよ」
「今回の調査を上に報告して、更なる調べが必要と彼らが判断したらもっと大人数の調査団が結成されるかもしれないね」
我が国の王宮魔術院には三十名弱の魔術師が所属しているだけです。私は魔術院からの文を受け取った時、女性の魔術師が派遣されて来ると知り、ナタニエルの近況が分かるのではないかと複雑な心境でした。
そんな私の感情があの悪夢に繋がったのでしょう。その晩は再び寝付けない夜を過ごしました。
***ひとこと***
突然の再会に戸惑うエマでした。
アナとジェレミー、ビアンカとクロードの夫婦は安定の仲の良さですね。
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