奇妙な生き物


「痛い……」

 頬に痛みが走ってロビンはぼやく。

「僕を助けようとした、間抜けな君が悪い」

 そんなロビンを責めるように、冷たいエドワードの声が降ってきた。ここはモリーハウスの一室。プライベートルームになっているこの部屋のソファにロビンは寝そべり、その頭をエドワードの膝に乗せていた。

 エドワードはと言うと、いつもの青いドレスに身を包み、すっかり『エドワルダ』に成り変わっている。美しい髪を結い上げた彼女の体には返り血一つなく、その身を蒼いドレスが飾っていた。

 あのあと、ロビンはエドワードに襲い掛かった男たちの一人に殴られ、気を失っていた。なので、あの場で何があったのかロビンは把握していない。エドワードによると、違法なネズミ殺しをおこなった主催者をボウ街の判事に突き出したという。

 その話が本当なら、彼はほぼ一人であの残酷な劇場を壊滅させたことになる。

「君は、本当に何者なんだ?」

「僕はモリーさ、モリーでなきゃ何物でもない」

 優しくロビンの頭をソファに下ろし、エドワルダは立ちあがってみせる。彼女は纏っているステイズの紐をゆっくりと外し、その下に広がるペチコートを床に落としていく。

「ちょ、エドワルダっ!」 

 エドワルダが服を脱ごうとしている。その事実にロビンは大きく眼を見開き、起き上がっていた。女の裸など見ていいものではない。立ちあがり慌てて彼女に駆け寄るも、彼女はすでにシュミューズをとドロワーズを脱ぎ、生まれたままの姿になっていた。

 その姿に、ロビンは立ち止まる。彼女の胸には女の象徴する豊かな乳房はなく、代わりに薄い胸板があった。股間に男にあるべきものがぶら下がっているが、それは大きく傷つけられている。彼には陰嚢がなかった。

 それでも彼の肩はなで肩で、腰は丸みを帯びて女のようだ。背の高さもロビンの頭より一つ小さい。筋張った手足はまるで社交庭園に植えられている百日紅のようだ。

 男とも女とも思えない生き物が目の前にいる。ロビンはそっとエドワルダへと、歩み寄っていた。

「その体は……」

「12歳のときに犬に襲われて、性器を食いちぎられた。あのネズミ殺しの劇場みたいな場所で、僕は買われてたんだ。僕を手術した床屋は、僕の金玉を摘出するしか僕を助ける方法を思いつかなかった。あそこは僕がいた劇場の下っ端が始めた場所でね、情報屋のミス・レッドのお陰でようやく探し出せた。お陰でボウ街の判事にも恩が売れた」

 淡々と、生まれた姿になったモリーは身の上を語りだす。彼はそっと眼を伏せて、言葉を続けた。

「マダムがいなかったら、僕はとっくに死んでいた。あの猟犬たちに食い殺されて、この世にいないだろうな。王も、教皇も、誰も僕を救ってはくれなかった。僕を救ってくれたのは、マダムとここに集うモリーたちだ。彼らこそ僕にとっての聖人なんだよ」

 金の睫毛に彩られた彼の眼が、潤んでいるのは気のせいだろうか。そっとロビンはそんな彼の頬に手を差し伸べる。その手をエドワードはそっと握りしめていた。

「気持ち悪いだろ。僕には永遠に声変りもこないし、子を成すこともできない。この体が男らしいそれへと変わることもない。だからといって、女でもない。モリーとしか形容することが出来ないんだよ」

「エドワルダ……」

「君にとって僕は女なの……。こんな格好でも……?」

 エドワードが笑う。男でも、女でもない中途半端な体を見せびらかしながら。

 それでもロビンは、不思議と彼女を厭うことができなかった。むしろ、その姿を自然なものだと感じたからだ。

 男でも女でもない彼は、まさしくモリーというしか形容のしようがない。そんな生き物をロビンは生まれて初めて目にした。

 そして、今にも泣きそうなこの生き物を美しい女だと思ったのだ。

「エドワルダ……」

 だから、ロビンは彼女をエドワルダと呼ぶ。彼女が、女にしか見えないから。

「僕は、女じゃない」

 エドワルダの言葉にロビンは首を振る。綺麗だと彼女に告げると、ボーンチャイナのように白い頬が、薔薇色に染まった。

「おかしいよ、ロビン。僕は、君にここを摘発してほしなくて君をあそこに連れて行ったんだ。そりゃ、君に思わせぶりなことは言ったけど、あれは君の気をひく芝居みたいなもので…… 」

「判事と繋がっている時点で、君たちの駒鳥亭は摘発を免れているんだろう。風紀改善協会の僕らが動いても、君たちは裁かれないだろうね。それより残忍な悪を、君たちは許さない……」

 顔を逸らすエドワルダに、ロビンはそっと言葉を放つ。エドワルダは唇を噛みロビンを見つめた。

「そうだよ。君は僕たちに手を出すことはできない。だから、君に残された選択は二つだ。ここで見たことを忘れるか、僕らの側に来るのか。もし忘れるとしたら――」

「僕は、君たちに始末される?」

 エドワルダが口を噤む。予想どおりの反応に、ロビンは苦笑していた。そっとロビンは両手で彼女の頬を包み込み、その唇に口づけを落としていた。

 驚いて離れようとするエドワルダの体をロビンは引き寄せる。ナイフで犬たちを切り裂いた腕は驚くほどに細く、ロビンは可憐な彼女のどこにあの凶暴な獣が眠るのか不思議に思た。腰を引き寄せれば、彼女はびくりと体を震わせる。

「処女みたいだ……」

「君、女は抱いたことがないんじゃないのか?」

「伴侶以外は抱かないと心に誓ったよ。娼婦通いを辞めた後でね」

「は……」

「お気に入りの子が死んだ。それで空しくなって、新しい復讐方法に風紀改善協会を選んだ。それでもあの人は動じないけれど……」

「何の話をしてるんだ、ロビン……?」

 エドワルダが訝しげに眼を歪める。そんな彼女の耳元で、ロビンは囁いていた。

「君は経験があるんだろう。ここのモリーたちと一緒で……」

「ないよ……。モリーたちも思いの通じた相手としか、そういうことはしない……。君流に言うなら僕は処女だ……」

「処女か、君が」

 こちらを睨みつけるエドワルダの言葉に、ロビンは苦笑していた。たしかに、ロビンにとって女である彼女は、処女なのだろう。そうして同時に安心する。彼女がまだ誰のものでもないと分かったから。

「もう一つ、僕には選択肢があるんじゃないのか? エドワルダ」

 そっとロビンはエドワルダ問う。彼女は怪訝そうに眼を顰め、言葉を返してきた。

「君の選択肢は二つしかないよ。こちらに残るか、忘れるかだ」

「いや、もう一つある。君が僕に協力するんだ、エドワルダ」

「協力?」

「僕と結婚してほしい。僕を、あの人の呪縛から解き放ってくれ」

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