フォーカス邸にて

 フォーカス家は貴族ではないものの、大きな所領を地方にもつジェントリの家柄だ。その跡取りとしてロビンは生を受け、生まれてすぐになくなった姉の身代わりを母親にさせられていた。

 小さなころから、ロビンが男物の服を着ることをは禁止されていた。ロビンが家で着られるのは常に女物のドレスだけ。客前に出るときだけ、ロビンは男物の服を着ることを許された。

 その名の通り、彼は母親という鳥籠の中に囚われながら成長していったのだ。その母から逃れる手立てをロビンはずっと考えていた。

 ロビンから聴かされたことの顛末を思い返しながら、エドワルダは甘い吐息を吐いていた。紅茶ととともに出されたヒルベリーのタルトが美味しくて、ついほうっとため息をついてしまったのだ。

 そんなエドワルダはというと、夢見る乙女のように愛らしい桃色のドレスにを包んでいた。薄い桜色のペチコートの上に袖にレースがふんだんにあしらわれた桃色のガウンを羽織った彼女を、うっとりと見つめる夫人がいる。

 ロビンと同じ翠色の眼に、ロビンのそれより明るい髪色をした彼女は、黒い喪服に身を包んでいた。彼女の胸元には、娘の遺髪が入っているというブローチがある。幼い娘を亡くしてから、自分はずっと喪に服しているのだとロビンの母親、ナイチンゲール夫人は打ち明けてくれた。

「まさか、ロビンにこんな愛らしい恋人がいたなんて……。この子ったら、本当に昔から女性には疎くて心配していたの。それがこんなに可愛らしいお嬢さんの心を射止めるなんて」

 うっとりと皺の寄った翠色の眼を細め、彼女は微笑む。そんな彼女を見て、エドワルダは引き攣った笑みを浮かべていた。

 その美しいお嬢さんが貧民街生まれのモリーだと知ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。

「いいの、母さん? 僕が娼婦に夢中になっていたときは、カンカンに怒ってたじゃないか」

「あれは、お前の紹介したお嬢さんが、自分の卑しい身の上を改めようとしなかったためよ。貧しくあろうと、心が清く正しい女性なら私はいいの」

 優しい微笑みを顔に浮かべ、ロビンの母親はそっと両指を組んでみせる。神に感謝の祈りをささげる彼女を見て、エドワルダはますます顔を引き攣らせていた。

 死んだ娘の身代わりとして、息子に女装を強制していた母親。そんなロビンの話からは想像もつかないほど、彼女は寛容で穏やかな人に見える。

 一見すると美しいサンルームでお茶を囲む、年若いカップルと母親のもとに、家政婦がしずしずとやってくる。彼女は気まずそうに女主人から一瞬目を放し、そして口を開いた。

「奥様、お客様がお見えです」

「あら、人払いはしといてっていったでしょうっ」

 黒い扇子を口元にあて、夫人は嫌そうに顔を顰める。困ったとばかりに家政婦は視線を泳がせ、言葉を続けた。

「その、ミス・レッドが……」

「まあ、私のレッドが……」

 夫人は椅子から立ちあがり、驚いた様子で声をあげていた。すみません、席を外しますわとエドワルダに返事をして、彼女はサンルームを召使と共に後にする。

「どうしてミス・レッドがここに……」

「僕も先週知ったばかりだが、どうも彼女は母の愛人らしい……」

 ロビンの言葉に、エドワルダは思わず彼を見つめる。

「だから、母は僕がどんな女性を連れてきても、賛成しかしないんだよ」

「はあ、それ以外では、寛容でいい人に見えたけれど……」

「そうだね、いい人だ。そんな人が泣き叫びながら娘の代わりになってくれって言ったら、断れるかい?」

「そういうことか……」

 ロビンの言葉を聞いてエドワルダは苦笑する。その優しさをもって、彼女はロビンの良心を縛っていたのだ。優しい母を裏切ることが出来ず、彼は歪んでいったのだろう。

「その優しさからどうやって君を解き放てと?」

「簡単さ、僕と君が結婚すればいい。モリーハウスの中でなく、堂々と国教会の教会でね」

「君、清教徒じゃなかったのか」

「風紀改善協会は母へのあてつけで入っていただけだから」

 ロビンが嗤う。その歪んだ彼の眼を見つめながら、エドワルダは言葉をはなっていた。

「呆れた……。そんなことしたら、君はタイバーン処刑場に送られるぞ」

「そのときは、君も一緒だ。僕は、あの人の不幸になる姿が見てみたい。それが、僕があの人にする復讐なんだ」

「狂ってるね……君は」

「君の存在には及ばないさ……」

 ロビンの眼が妖しく光り、彼の指がエドワルダの顎へと延びる。彼はそっとエドワルダの顎を掬い、耳元で囁いた。

「僕はもうこの世界に充満する、優しさという名の悪意にうんざりしてる。僕を取り巻く優しさも、君を取り巻いてるモリーハウスという名の優しさも、全部滅茶苦茶にして壊してやりたいよ」

 ロビンに押し倒され、エドワルダの体がソファに沈む。彼はそっとエドワルダの耳を食んで、言葉を続けた。

「君のあの美しい姿を母が見たら、どんな顔をするんだろう。それを想像するだけで、本当にゾクゾクするんだ……。母の眼の前で君を抱いたら、僕はきっと……」

「やめてくれ、ここではしたくない」

 蒼い眼を鋭く細め、エドワルダはロビンを睨みつける。ロビンはあざ笑うかのような笑みを浮かべたまま、そっとエドワルダから離れていた。

「僕はただ君を監視してるだけだ。言うことをきけば君がモリーたちを告発しないというから、僕は付き合ってるだけ。それにいくら問題があるとはいえ、母親に復讐するってその考えが分からない……」

「君のマダムは優しいもの。僕と君の取引にも快く応じてくれた」

 ロビンの眼が優しさを帯びる。彼はそっとエドワルダの頬に手を添え、言葉を続けていた。

「彼女は君の母親だ。君が、そんな母親を恨めないのも無理はない。いいね、幸せな家庭をで育って、本当に羨ましい」

「僕の身の上が幸せだと言えるなら、君の身の上はもっと幸福だろうよ」

 皮肉を口にすると、ロビンの顔から笑みが消えた。彼は不機嫌そうに顔を逸らして、エドワルダの頬から手を放す。エドワルダはそんなロビンを睨みつけ、言葉を続けた。

「いくら何でも復讐のためだけに男に抱かれるなんて、ごめんだよ」

「復讐のためだけじゃない」

 ぴくりと顔を動かし、ロビンはこちらを見つめてくる。伏せた眼を彼はこちらに向け、そっとエドワルダの両頬を手で包み込む。

「僕は女を、母を愛したくないんだ。だから、新しい愛の対象が欲しい。君みたいな、男でも女でもない。そんな生き物が必要なんだ」

「女を愛したくないから、女モドキの僕を愛するのか」

「そういうことになるね。でも、ちゃんと君は幸せにするよ。モリーハウスのことだって、誰にも言わない。君だって、僕を殺したくはないだろう?」

 ロビンの言葉にエドワルダは眼を顰めていた。ご名答だ。ロビンを始末したくない。だからエドワルダは彼を監視している。彼が、変な気を起こさないように。

「そうだよ。君に死なれちゃ後味が悪いんだ……」

「僕のこと、そんなに大切に思ってくれてるんだ」

「人殺しはそれだけで睨まれる。そうなったら判事に売った恩がぱあだ。それを避けたいだけだよ」

「君は、モリーハウスのことばかりだな」

「マダムが、モリーたちが僕のすべてだ」

「そこに僕も加えてよ」

「いやだ」

 きっぱりとエドワルダはロビンを拒絶する。そんなエドワルダに苦笑を送り、ロビンは彼女の唇にキスを落とした。

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