矛盾攻撃

海蘊 藻屑

矛盾攻撃

正午を過ぎて少しした頃、頭の中で警報が鳴った。

オフィスの隅に居た上司がちらりとこちらを見た。僕は黙って頷き、第二視野を起動してアラームを止めると、ファイヤーウォールが正常に作動しているか、視界の隅に表示されているステータスを何度か繰り返し確認した。

クローン側からAI側へ、大規模なネットワーク攻撃が近々行われるのではないかという専らの噂だった。セキュリティを強化するためにうちのアンチウィルスを購入する人が増えたため対応に追われ、ここ数日オフィスはにわかに騒々しかった。

上司が自分の第二視野から僕の第二視野に、アラートの点いたユーザー情報を転送してくる。

「昨日ファイヤウォールを入れた客だ」

「どんな症状でしょうか」

「さあ。エラー表記だけで詳細情報が送られてこない。他所のアンチウィルスと競合でもしたんだろう」

「遠隔処理しますか」

「それが、いくら呼び掛けても答えない。行ってくれるか」

エラーに対して直接現地へ赴いて対処するのは久しぶりだった。

僕は必要になりそうないくつかの道具を手早くまとめるとオフィスを出た。


建物を出てすぐ、路上に立ち止まっている男にぶつかった。

「すみません」

謝っても男は答えず、直立不動のまま斜め上の一点を見つめている。

男の見つめる先に視線を移してみるが、そこには何もなく、ただうっすらと青白く霞んだ空があるだけである。

何を見ているのだろう。第二視野に何かを映し出しているのだろうか。

いぶかしく思いつつも、その場を後にした。


次の交差点で少女を見た。

少女型のAIは最近では珍しいのでつい凝視してしまう。

少女は私の視線に気付いたようにこちらを振り向く。

まじまじと見つめていたことが恥ずかしくなり、僕は目を少し逸らした。

少女はこちらに向かって駆け出し、すれ違いざまに僕の指先にそっと触れ、そのまま鈴のような笑い声を残して走り去った。

振り返って彼女の姿を追ったが、すぐそこの路地を曲がったのか、姿は見えなかった。


第二視野に転送されてくるユーザー情報は相変わらずエラー表記のみだ。

詳細レポートがまだ届かないということは、状況はことのほか深刻なのかも知れない。

僕は歩みを速めた。

大通りを駆け足で横切ろうとしたその時、通りの向こうにエリカがいた。


そんなはずはなかった。

エリカが死んだのは、AIとクローンが戦争を始めるよりずっと前だったからだ。

クローンの寿命は僕らよりもはるかに短い。

そして、ほかならぬ自分自身のこの眼で、エリカの死ぬ瞬間を見届けたのだ。

クローンはAIと違い、記憶と人格をハードウェアと分離することができない。

だから、クローンとAIが少しでも長い時間共に過ごすためには、絶えず劣化し続ける脳が死を迎えるまで、同型遺伝子のクローンへの移植を繰り返すしか方法がなかった。

エリカはその脳移植を拒んだのだ。

僕に出来ることは衰えて機能低下していくエリカがやがて停止するのを見届けることだけだった。

目を閉じ息苦しそうなエリカの顔を、僕は今でも思い出せる。


待て、おかしい。

エリカが死んだのち、OSが視界に入る同型遺伝子のクローンを片っ端からエリカとしてサジェストしてくるので、サジェスト機能を停止し、そののちエリカに関する一切の記憶を補助脳に移して本体脳からは消去した。

だから僕自身はエリカのことを覚えていないはずなのだ。

いつの間にか補助脳への自動アクセスをオンにしていたのだろうか。

何故、死んだはずのエリカがここにいるのか。

第二視野に表示された個体IDが示しているのは、目の前にいるのが単なる同型クローンではなく、紛れもなくエリカに他ならないということだ。

肩まで伸びた栗色の髪、白く透き通った肌、澄んだ色をして少しつり上がった眼、好きだと言っていたマリーゴールド色のフレアスカート、見間違うはずもない、間違いなくあの頃のまま、僕が愛したエリカの姿だった。

エリカのことを思い出すのはいつぶりだろうか。

いや、分かっている。

エリカの記憶を本体脳から削除したのは34,871,950,331秒前だ。

こんなにも長い間君のことを忘れていた僕を君は薄情だと詰るだろうか。


君は僕によく、クローンとAIの感覚について話して聞かせてくれたね。

僕は、同じ人間というものをベースに作られた者同士なんだから、同じように物事を捉えているんだと、そう思っていたよ。

でも多分、君が正しかったんだ。

君が死んでから程なくして、クローンとAIの間の恋愛は正式に禁止された。

僕と君はよく、AIとクローンはどちらが人間に近いだろうかという話をしたよね。

二人とも人間を見たことがなかったから議論はいつまでも平行線だった。

僕たちは、互いに分かり合えない存在だったんだろうか。

ねえ、どう思う?

結局その答えを聞けないまま、君は僕の元から去ってしまった。

ずっと握っていた手の、少しずつ失われていく体温。

本当はもっと僕のそばで生きて欲しかったんだ。

ねえ、エリカ。


君を見ると世界が静止したみたいに見えた。

今だってそうだ。

通りを行き交う全てのものが停止して、時間が止まったかのようだ。

そして世界は美しく色鮮やかに輝く。

まるで君自身が強い光を放っているかのように。

あの柔らかい肌の。

生命を宿すものだけが放つあの温もり。

どんなに手を伸ばそうとしても、静止した世界では永遠に君には届かない。


待って。

おかしい。

だって君はあの時死んだじゃないか。

そうだろ。

今通りの向こうで僕に向かって微笑み掛けている君は一体何者なんだ。

君は死んだ。

それが事実。

でも君は紛れもなくここにいる。

生きている。

違う。

エリカ。

君は死んだんだエリカ。

だからそこにいる君は君じゃなくて君じゃない何かなんだろ。

でもエリカはここにいる。

そう。

君はここに居る。

エリカ。

生きている。

君は。

おかしい。

君は死んだ。

エリカは死んだ。

分かってる。

違う。

エリカはそこに居る。

生きている。

エリカは死んだ。

エリカは生きている。

エリカ。

君は。

死んだ。

そこにいる。

エリカ。

エリカは。

死。

生。

死。

生。

エリカ。

エリカは。

エリカは死んエリカはそこにいて死んでいて生きていてエリカはエリカ死んエリカは生きてエリカが生き君は死んでいる居る死エリカ生エリ死んエ生死エリカ生きてエリカいる居ない死居るエリエリカ死エリカエリ生エ死居るエリカ死エ死生エ居エリ死エリカエリカエリカエ死エリ生エリカエリ死エリエリエエリカ生エ死エリエリエリエリカエリエリエリエリカ生エリエエ生エ死エエ生死エ死エ生エエ死エエ生死エエエエ死エエ生エエエエエエエ生エ死エエエエエエ生エエエエエエエエエ死エエエエエエエエエエエエ生エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ死エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ









* 



その日正午、クローン陣営が仕掛けたネットワーク攻撃は世界中のAIの脳に侵入し、戦局を決定づける甚大な打撃を与えた。

現実と矛盾する情報を強制的に流し込まれたAIたちは、その全ての計算リソースを消えることない矛盾を解消すべく働かせ、その他全ての機能を停止させ直立不動のまま数千年の時間を過ごしやがて停止した。

世界からAIが消えクローンだけが生き残った。

今でも残っているいくつかのAIの都市の遺跡では、当時の姿のまま静止し続けるAIの姿を見ることができる。

多くのAIは永年に亘る風雨にさらされてひどく劣化しているが、まるで美しい夢を見続けているような恍惚とした表情をしているという。

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