後日談 中編
――南総里見の長老の屋敷。
古き日本家屋であり、一人暮らしには広すぎる家。庭や離れもあるぐらいだ。
「お兄ちゃん、こっちだよ」
そこの一室に通された僕は、少しだけ緊張していた。
何せ、里の長の家である。それに――恋人の親、ということにもなる。その和室の畳の上に正座すると、サラは機嫌良さそうににこにこと微笑んでいる。
その彼女は、いつもラフな格好ではなく――桜色の着物に身を包んでいる。
そっと引かれた紅のせいで、どこか大人びて感じ、どきどきしてしまう。
「あは、お兄ちゃん、そんなに緊張しなくていいのに」
「いや、緊張しない方が無理だろ……大体、サラの考えは分かるぞ」
「あ、やっぱり?」
「――長老に、ご挨拶、か?」
確認も兼ねて訊ねると、サラは少し頬を染めて頷く。僕はため息をこぼすと、肚を決めてサラの手を握る。彼女は嬉しそうに目を細めて、犬耳を左右に振る。
「やっぱり、覚悟を決めてくれるんだ」
「まあ、な。そろそろ白黒はっきりつけようと思ったし――ただ、殴り合いにならなければいいんだけどなあ……」
あの子煩悩な長老である。サラが一人暮らしするのに、何時間も説得する必要があったくらいだ。少しげんなりしていると、彼女は嬉しそうに上目遣いで見てくる。
「嬉しいな、お兄ちゃん――本気で、挨拶してくれるんだ」
「ま、それが筋ってものだろ」
「ふふ、でも一人で抱え込まなくてもいいんだよ。いつも、お兄ちゃんには世話をかけているから、今度は私に任せて」
そういうサラは自信ありげだ。その根拠は、どこにあるのだろう。
眉を寄せていると――不意に、襖が開く。そこから、厳めしい顔つきの長老が現れた。紋付羽織を着て、明らかにこっちを威嚇している。
だが、僕も引けない。その場で床に手をつき、頭を下げる。
「長老、ご機嫌麗しゅう」
「――うむ。二人から何か申したいことがあると、サラから聞いたが」
「はっ、実は――」
「リントさん、そこは私から」
ふと、澄んだ声で遮られる。驚いて視線を上げると、サラが背筋を伸ばして、見たこともないほど、大人びた顔つきで微笑んでいた。
そのまま、少しだけ驚いている長老に視線を移し、張りのある声で言う。
「長老――私、サラは、リントさんとお付き合いさせていただいております。この関係を認めていただきたく、こちらに足を運ばせていただきました」
堂々とした言葉に、わずかに怯んだように長老は瞬きをする。だが、すぐに顔をしかめると、低い声で告げる。
「ふざけたことをぬかすな。二人はまだ二十歳ですらない、というのに――」
「お言葉を返すようですが――里では、とっくに我々は成人――子を産むにも値します」
ちなみに、里での成人年齢は十四歳。
体と精神の成熟は、普通の人間よりも早く、かつ、長生きでもあるのだ。
うぐ、と言葉を詰まらせた長老に対し、先んじて言い訳を潰すようにサラはすらすらと言葉を続けていく。
「加えて、リントさんは里とハルトさんとの連絡番を立派にこなしており、私はそれを支えたいと思っています。役目を果たすには充分な実績を、私たちは積んでいます」
「う、だ。だが――」
「それに何より――私たちは、愛し合っております。それだけの理由では、不十分でしょうか……?」
サラがはっきりとその言葉を口にする。
こちらも照れくさくなるほど、真っ直ぐな言葉――だが、長老は逆に打ちのめされたようにショックを受け……じろり、と僕に矛先を移してくる。
「――リント、貴様と話がある……二人きりでな」
それに答えようとした瞬間、サラが間髪入れずに声を挟んだ。
「ここで受け答えして下さい。私たちは隠し事なき夫婦になると誓いました。二人で話そうと、夫からすぐに聞く所存です」
「う、ぐ……だ、黙れ、男同士の話し合いに……」
「それが時代遅れと言っているのです」
一刀両断。反論を許さず、サラは冷たく言い放つ。それに、僕と長老は思わず呆気にとられた。彼女は僕の傍により、腕を取りながら続ける。
「今や男女は関係なき社会――そこで区別するのは、いささか時代遅れです。時代は流々と変わりつつある。それに、順応しなければなりません」
そこで一息置き、彼女は据わった目を見せる。彼女が、本気になった目つきだ。
「もし――長老が、時代に逆らい、私たちの婚姻に反対するなら、考えがあります」
「ほ、ほう、言ってみろ」
威厳たっぷりに答える長老――だけど、虚勢にも感じる。
サラは背筋を正し、掌で僕を指し示しながら丁寧な口調で告げる。
「リントさんは当代との水神様の子であり、竜人の力を持つ由緒正しきお方です。そこに、長老の血筋たる私が嫁げば、その資格は十分にあります」
そこまで聞き、ようやく僕はサラの描いていた絵が見え始める。
なるほど、兄さんや母さんに根回ししていたのは、ここまで考えて――!
サラは僕に流し目をくれて微笑むと、背筋を正してはっきりと告げる。
「私は、リントさんを新しいこの里の長老としたいと思います」
「な――ッ! ば、ばかな……!」
長老が面食らう。娘の凄まじい反抗に、二の句も告げないようだった。
だが、いち早く考えに気づいた僕は、すぐに肚に決めていた。サラとの関係を認めてもらうのなら、どんな試練でも乗り越えよう。
ぐっと唾を呑み込み、僕は背筋を伸ばして口を開く。
「自分もサラさんをお嫁にいただく以上、心に決めています――どんな道でも、歩もうと。サラさんを幸せにするのに、村を背負う必要があるなら、僕は謹んで受けます」
「お兄ちゃん……」
僕の決然とした言葉に、サラは嬉しそうに顔を綻ばせる。
長老が顔面蒼白に唇を震わせる中、サラはこほんと咳払いをし、すみません、と廊下に向かって声を掛ける。それに応じるように襖が開く。
そこに立っていたのは――見知った顔ぶれ。
「母さん、兄さん――それに、アイリまで」
「あはは、お邪魔しています……その、サラに呼ばれて」
アイリが気まずそうにする中、にっこりと母さんは進み出て僕の隣に静かに正座する。
「長老、申し訳ございません。若い者が、好き放題申しまして――」
「そ、そうだ、そなたからも一言――」
「はい、私は新族長として、リントを推します」
にっこりと母さんは笑顔で告げ――長老はさらに固まる。ダメ押しするように、そっとアイリの方が進み出て、控えめに言葉を添える。
「その、鬼の里の名代として――こちらも、リントさんを支持させていただきます」
ぱくぱくと口を開け閉めする長老。
これで結婚を認めないと言えば――自分の里は混乱に陥るどころか、他の里まで巻き込む。長老は震える声を絞り出した。
「しょ、正気か――サラ。他の里まで、自分の色恋に巻き込んで……」
「色恋ではありません――私は、お兄ちゃん……リントさんの傍に添い遂げ、家族の為に頑張っていきたい。そういう覚悟を決めたのです」
サラは視線を上げ、はっきりと告げる。その瞳は、絶対に揺るがない。
そのまま、彼女はゆっくりと、はっきりと自分の想いを――自分の親にぶつけていく。成長し切った、一人の女性として。
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