最終章 もう、お隣さんじゃないよ

後日談 前編

「ふむ、帰ったか、ハルト、リント――そして、サラ」

 里の結界に入ると、その入り口で出迎えてくれたのは、長老だった。厳かな顔に柔和な笑みを浮かべ、両手を広げて出迎える

「アイリ殿も、よく無事に戻られた――フィアンメッタ殿、並びにアヤメ殿も、歓迎するぞ」

「ありがとうございます。長老様」

「……ん」

「恐れ入ります」

 兄さんの背に隠れ、小さく一礼したフィアは――もう、異常はなさそうだ。神々しさも失われ、いつもの寡黙な少女に戻っている。

 だが、兄さんと一緒で、どことなく表情が緩んでいる。

 長老は目を細める中、兄さんは長老に声をかける。

「キメラの連中、里にも追手を向けたと言っていましたが――」

「おお、来たぞ」

「そうですか。ま、大丈夫だと思いましたが」

「大丈夫ですよね」

 僕と兄さんがしみじみと頷く中、アイリが戸惑うように眉を寄せる。

「え、っと……? 大丈夫、とは……?」

「むしろ、連中には同情するくらいだよ」

 追手が差し向けられたと聞いても、里に関しては心配していなかった。

 何故なら、里の守備を受け持っているのが、あの人だと聞いていたから。

「――と、噂をすれば、だ」

 兄さんは苦笑いを浮かべる。その長老の背後から、長い髪の女性がそっと歩いてくる。柔和な笑顔を見せ、面々を見渡した。

「みんな、おかえりなさい――夜食、作ってあるわ」

「ただいま。母さん。相変わらずの手際だな」

「ふふ、家のことは任せておきなさい」

 くすり、と微笑んだ母さんは振り返って視線を後ろに向ける。

 里の中心――池が氷漬けになっている。その中心にいるのは――遠目でも分かる。

「失礼なお客様は、あそこに。どうする? 明日の朝に処分する?」

 まるでゴミ出しをするような気軽な訊ね方だ。兄さんは苦笑いをし、首を振る。

「俺が引き取るよ。母さんに始末させるわけにもいかない」

「そう? 山の肥やしにはなると思うけど」

「――冗談でもよしてくれ。怖いわ」

「――なるほど、納得しました」

 アイリは引きつった笑みで頷き、サラが補足するように小声でささやく。

「ちなみに、お兄ちゃんのお母さんは、現役の水神――怒らせると、あの笑顔で滝の中に叩き込まれるから気をつけてね」

 そういえば、そんなこともあったなあ。

 母さん、身内を傷つける奴は容赦ないから――ひどいいじめをした子を、一度、あの笑顔で滝つぼに叩き落としたことがあった。

「さ、みんな、ごはんにしましょう。ハルト、お友達も来ているわ」

「ああ、あいつら、もう来ているのか……ありがと、母さん」

「ううん、気にしないで」

 母さんが先導して歩いて行き、みんなでそれに従う。長老はサラの方に歩いて行き、厳めしい顔で声をかける。

「サラ、なんでお前がここに――」

「あ、お兄ちゃん、お兄ちゃん」

 だが、それをさっぱり無視し、にこにことした笑顔でサラは僕の隣に並ぶ。軽くショックを受けたような表情の長老をちらりと見て苦笑いする。

「あの、サラ、長老が呼んでいるけど――」

「あ、あの時代遅れは気にしなくていいから」

「じ、時代遅れ……っ!」

 辛辣な言葉によろめく長老。慌ててアイリがそれを支える。

 それを全く気にせず、笑顔でサラは僕の手を取って引っ張り、母さんの方へ歩いていく。

「あの、義母さん、よろしいですか?」

「あら、サラちゃん――ふふ、何かしら?」

 今、すごくイントネーションが違ったような?

 僕が首を傾げる中で、母さんとサラは笑顔で視線を行き交わせる。母さんは僕を見て、ふぅんと意味ありげに笑い、にっこりとさらに微笑みかける。

「もしかして――そういうこと?」

「はい、よろしくお願いします。義母さん」

「ええ、ハルトから大体、話は聞いているわ。本当はリントの口から聞きたかったのだけど、まあ、あの長老ですものね」

「そうなんですよぅ……それで、お願いがあるのですが」

「ふふ、いいわよ、何でも協力しちゃう。お食事の後に、詳しいお話をしましょ?」

 なにやら、僕を置き去りにして、二人はうきうきと話している。

 手を取られたままの僕は、少し困惑しながら二人の何気ない会話を耳にしていると――ふと、兄さんが僕の肩を叩き、感慨深そうに言う。

「――三日会わざれば括目して見よ、だな」

「それは、男子に使う言葉だけど――それで?」

「まあ、うん、サラちゃんに前々から頼まれていたんだ。父さんや母さんに事情を話しておいて欲しい、って」

「そういえば、外堀を埋める、とか言っていたな」

「気をつけろよぅ、リント、あの子はしたたかだ」

 にやにやと笑いながら、ハルト兄さんは肘で突いてそう告げる。

 その意味が、よく分かっていなかったが――その意味が明らかになるのは、その翌日の昼まであった。

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