第6話
その彼女が目を開いた瞬間――凄まじい圧力が、僕たちに襲い掛かった。
「くっ……サラ……!」
「お兄ちゃん……!」
一瞬で身を縮めてしまったサラを抱きしめるように傍に寄せる。あまりの猛威に、動けないでいる僕たちの中――兄さんはそっと前に進み出た。
「フィア――待たせたな」
優しい声色で告げる兄さんは、とても優しげで――。
その彼を、感情のこもらない目で見つめ返すフィア。その彼女はそっと空を見上げ、口を開き――その喉の奥が瞬き、大きく息が吸い込まれる。
その反応に、僕は目を見開き、サラを庇いながら耳を塞いだ。
瞬間――がつんと、耳から衝撃が叩き込まれた。
脳を直に揺さぶられるような激しい音の爆発に、思わずその場で膝をつく。地面すらも揺れているように思え、吐き気が込み上げてくる。
腕の中で、サラが耳を塞いで喘ぐ――耳鳴りがする中、視線を上げて絶句する。
黒雲が――綺麗さっぱり吹き飛んでいる。
爆音波に晒され、それらは霧散してしまったのだ。それほどの威力の音――。
セイレーンの、数倍強く感じる。これが、万能の異能――。
そうする中、風が渦巻いて行き、フィアの周りを取り囲んでいく――兄さんは、それを見て一つ吐息をつくと、僕を振り返った。
「リント、サラちゃん、頼みがあるんだ」
その声色は、どこまでも落ち着いていた。だが、その目から闘志は消えていない。
僕は立ち上がって見つめ返すと、兄さんはフィアに視線を向けて言う。
「俺を、フィアの声の届く場所まで連れて行ってほしい」
「――連れ戻せる?」
「もちろん――いや、連れ戻してみせる」
自信満々の一言に、僕は頷いて抱きかかえたサラを支える。彼女は犬耳を震わせていたが、小さく頷いて空を見上げる。
「分かった――私も、全力を出すよ……」
どこかぼんやりとしたような声で――大きな瞳は、空の黄金色を宿す。
空に浮かぶ、巨大な満月を――。
瞬間、彼女の瞳孔が見開かれた。身を震わせ、びく、びくとその身体を波打たせる――彼女の茶髪がぐんぐん伸びていき、金色の光を帯びていく。
めき、めきと骨が軋むような音を立てながら、彼女の身体が大きくなる。
それを、僕は静かに傍で見守り続ける。彼女の、変身を。
今日は、満月――彼女たちが野性を抑え切れなくなる、その一日だ。
さっきまでは黒雲が空を覆っていたが――さっき、フィアが吹き飛ばした。
そして――満月時の、純血人狼は異能使いの中でも最強の部類だ。
「――サラ」
声を掛ける。その身体はもう、僕の身長の二倍以上ある。
身体中から金色の毛を生やし、その顔つきはもう人間ではなく、狼そのもの――それでも、その琥珀色の目は、変わりなく僕を見つめてくれる。
どこか不安げに見つめてくるサラの首筋をそっと撫で――微笑みかけた。
「綺麗だよ。サラ」
心から、そう思えた。
サラの姿はどんなときでも醜くない。美しいとすら思える。
サラが僕の異形を認めてくれたみたいに――僕もすんなりと彼女を受け入れることがきるのだ。彼女は嬉しそうに目を細めると、頭を垂れ、足を伸ばす。
背中に乗れ、ということだろう。僕は頷いてひらりと背に登る。
そうしている間にも、フィアの周りに竜巻が強く渦巻いている――このままだと、被害が拡大するばかりだ。
「さて――行くぞ。サラ。道を切り拓く」
妖の神に向かって、サラは体勢を立て直し――唸り声を上げる。
そして、地を蹴り、竜人と人狼は暴風の中に突っ込んでいった。
突っ込むと息ができないほどの暴風――僕は目を細めながらサラの背にしがみつく。彼女は暴風をものともせず、力強く駆ける。
フィアが感情のこもらない目でサラを見ると、こちらに意識を向ける。
それだけで、激しい突風が襲い掛かってきた。
フィアはひらりと回り込むように駆け、フィアの側面を取る――だが、その地面が盛り上がり、何かが鋭く突き出てきた。
植物の蔓だ。それらが、サラの足元から襲い掛かってくる。
さすがの、人狼の足も、それは無視できない――なら!
「サラ!」
僕は叫びながらその背から飛び降り、息を吸い込み――吐息を噴き出す。
竜の息吹――業火の奔流が、根を素早く焼き払う。宙を舞ったサラは、僕の身体を前足で掻っ攫い、さらに駆けて行く。
徐々に詰まっていく距離――瞬間、フィアが地を軽く足で踏み鳴らす。
直後、地面が激しく揺れ、サラが体勢を崩す。その隙を逃さず、フィアは指先を持ち上げる――それに応じるように、冷えた風が吹きつけてきた。
「――ッ!」
咄嗟に竜の吐息で迎撃――その狭間で、凍りついた地面が砕け散る。間に落ちた根っこが瞬時に凍りつくのを見て、ぞっとする。
意識を向けるだけで、氷点下を作り出せるのか――!
まさに、
だけど――それでも、隙がある。それに、サラも気づいているようだ。
(お兄ちゃん――)
視線が、交錯する。前足が振り上げられ、僕は宙を舞いながら再び彼女の背に戻って答える。
「ああ、術の放出――どういうわけか、インターバルがある。その時間は、恐らく」
そう言いかけた瞬間、サラが大きく地を跳ねた。その足元で、稲妻が激しく迸る。サラが優雅に着地。僕は言葉を続ける。
「五秒間。それが隙だな。そこに、竜の息吹を叩き込めばいい」
どこかで、兄さんが隙を伺っているのは感じ取っている。
つまり、彼女に致命的な隙を作らせれば――兄さんの声が、彼女に届くはずだ。
僕はサラの背に手を添える。それだけで、意志を疎通させる。
暴風のバリアを潜り抜けるのは、サラの足の速さでも五秒以上かかるのは間違いない。となれば、選択肢は一つだけ――。
「タイミングは一瞬。息が合わなければおしまい――」
僕はそう言うと、サラの気持ちが掌から伝わってくる。
(大丈夫だよ。お兄ちゃん――任せて)
ああ、なんて頼もしい。僕は思わず口角を吊り上げながら視線を上げる。
不意に、その空間が捻じ曲がる――空間断絶!
サラが横っ飛びに跳ねる。その瞬間に、二人の思考が交錯した。
「チャンスは――」
(――今ッ!)
素早く僕がサラの背から跳ぶ。中空で膝をたわめ、力を溜める――。
その真下から、サラはしなやかに前脚を振り上げ――鋭く、僕の足を弾く。それに合わせて、一気に足を伸ばした。
まさに、どんぴしゃりの呼吸――弾丸のように、僕は宙を駆けた。
その勢いのまま、フィアへ突っ込むように飛ぶ。そのフィアの無感情な視線とぶつかる。その瞳孔がわずかに細められる――。
もはや、一刻の猶予もない。すまない、と心の中で詫び――。
竜の息吹を、吐き出した。
ほぼ同時に、フィアの異能が弾け――気が付けば、僕は中空に投げ飛ばされていた。
まさか――念動力、か!?
宙で浮遊した身体が、自由落下を始める――寸前、横合いからサラが駆けてきて攫って行く。僕はその背に乗り直しながら視線を上げた。
フィアの身体は、渦巻く業火に包まれている。僕を退けるので精一杯だったのだろう。
三秒後、業火を吹き飛ばすように、風が吹き抜け――。
晴れた視界の中――すでに、兄さんはフィアの傍に、立っていた。
「――フィア」
兄さんは静かに名を呼びながらそっと彼女に手を伸ばす。その掌が彼女の額に触れた瞬間――青白い閃光が手から迸った。
瞬間、霧散するように淡い光は消えていく――暴風の渦も次第に収まる。
そうしながら、兄さんは小さな声でいたわるようにささやいた。
「おかえり、フィア」
「――あ、ただ、い……ま……」
ふにゃり、と表情をゆるめた彼女は甘えるように兄さんに笑いかけ――。
そのまま、彼の腕に倒れ込み、気を失ってしまった。
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