第11話

 サラが訪ねてきて一週間が経った。六畳間の部屋はいつの間にか、サラの色に――二人の色の染まりつつある。

 洗面台に置かれている、一つのマグカップに入っている二つの歯ブラシを見やり、一つ苦笑い。大分、この部屋は共同生活に染まってきたな……。

「お兄ちゃーん、洗濯物干し終わったよー!」

「了解ー。こっちも洗面台の掃除終わるわー」

「あ、じゃあ、緑茶入れとくね。氷出し、緑茶、いい感じになっているよね?」

「ありがとう。さっさと片付けるわ」

 最後に、洗面台をしっかり雑巾で拭き上がる――よし、いい感じ。

 軽く汗ばんだ額を拭い、雑巾を洗い籠に放り込んでから、居間に戻る。そこは、クーラーが利いていて涼しい。そこの座卓で、サラはすでに正座して冷茶を煎れていた。

 今日は、水色のタンクトップに、白のハーフパンツ――随分、涼しげな服装だ。

 ボーイッシュな感じだが、同時に、幼さも少し感じて可愛らしい。

 向かいに腰を降ろすと、マグカップを彼女は笑顔で差し出してくれる。

「あ、お兄ちゃんっ、どうぞっ!」

「おう、ありがと――」

 口に運ぶ――澄んだ味わいが口の中で広がる。お茶独特の甘みが、氷でしっかりと抽出されている。ほっと一息つくと、サラもぴこぴこ耳を上下させながら一口飲んでいた。

「氷出し、緑茶――こんなにおいしい、お茶のいれ方があったなんて……!」

「最近はネットで調べれば、いろいろ分かるからな」

「こっく、ぱっど? 先生ならではだねっ!」

 サラもネットに馴れてきたようで何よりである。二人でまったりとしていると、サラがふと引き出しから何かを取り出す――と、あれは……。

「例の、異境狩りの資料か……何回か見直してみているな」

「うん、ちょこちょこ気になるところがあって……」

「そうか? あんまり共通点すらないように思えたが」

「そう――被害者に共通点がないことが、気になっていて」

 書類をぱらぱらとめくりながら、視線を通していく。

「性別、歳、年齢、背格好、職業――住所に至っては、北は青森、南は大分まで……行動範囲も広すぎるし。これじゃ警戒しろ、っていうのも難しいかも」

「随分、熱心だな」

「そりゃあ……その、お兄ちゃんを、守るためだもの……」

 ぼそぼそと呟きながら、心なしか頬を染めるサラ。その表情に、言葉が詰まってしまう。

「あ……その、ありがと……」

「うん……」

 沈黙。だけど、居心地が悪いわけではない。お茶を口にしながら、ちらりとサラを見つめる。彼女はぱら、ぱらと書類をめくり、真剣な表情を見せている。

 思えば、少しサラの様子が、この暮らしで徐々に変わってきた。

 昔みたいな、無邪気さが少しだけ鳴りを潜め――今みたいに、少し恥じらう面も見せてくる。甘えるだけではなく、徐々に、僕を補佐するように動いている。

 兄さんからの一報があって、心境の変化があったのかもしれないけど……。

 ふと、サラは顔を上げ、少しだけ首を傾げる。

「どうかしたの? お兄ちゃん」

「ん? ああ、いやなんでもないが――そうだ、スマホ買いに行かないか?」

「スマホっ! あ、でも――お兄ちゃんのスマホ使えればいいよ?」

 少しだけしおらしく遠慮するサラ。その頭を軽く撫でて笑いかける。

「遠慮するな。それに、僕の安全のためでもあるから」

「えっと、じーぴーえす、だっけ」

「ああ。GPSで連動するアプリがあるから、それを入れておけば常に二人の位置が分かるようになる――万が一、離れているときに襲われても駆けつけられるわけだ」

「なるほど……うんっ、そういうことなら」

 サラはぱっと笑顔になって頷き、立ち上がる。

「じゃあ、お出かけだねっ」

「ああ、準備ができたら、すぐ出発しよう。暑くなる前に、な」

 外からセミのなき声が聞こえ始めている――今日も、暑くなりそうだ。


 前回、買い物に来たショッピングモールに二人で来る。

 タンクトップの上に、青のカーディガンを羽織ったサラと、携帯ショップを見て回る。

 と、いっても買い物自体はすぐに済んでしまった。『お兄ちゃんの一緒の機種がいい』というサラの希望で、色違いのスマホに決定。

 手続きも、自分の名義で済ませる――本当は、あまりよろしくないのだけど、異境の住民のサラは戸籍がないので、仕方がない。ちなみに自分の戸籍は兄が確保していた。

 店から出ると、サラにスマホを渡す。彼女は大事そうにそれを抱き締め、ほう、と一息。

「お兄ちゃんには、何から何までお世話になっちゃうね」

「護衛してもらっているからな。ギブアンドテイクよ。それに、金は里から出る」

「そうだとしても、やっぱりお兄ちゃんから買ってもらえるのは嬉しいな」

「そんなこと言っても何も買わないぞ? 少しだけなら、考えるけど」

「やったっ! お兄ちゃんって本当に甘いよね。少し心配になるよ?」

「まあ、なんだかんだでサラも甘いところある気がするが」

「私は、お兄ちゃんにだけ甘いのっ!」

「僕もサラになら何でもしてあげたい――いや、忘れてくれ」

 思わず変なことを口走ってしまう。思わず目を伏せると、彼女は緩んだ顔で笑顔を見せ、そっと手を握ってくる。

「なら――また、散歩しよ?」

「い、いいけど……今日も炎天下だぞ?」

「なら、ショッピングモールの中で! ここ広いから、十分、お散歩になるよね?」

「ああ、それなら熱中症にもならないと思うし……」

「……ほんと、お兄ちゃんって優しいよね。私のこと、気遣ってくれて」

「――気のせいだろ」

 気恥ずかしくなって、握った小さい手を引くと、彼女は嬉しそうに目を細める。しまった尻尾を振り出しそうな勢いで、笑顔で歩きだし――。


 ぞくり、と背筋が凍るような感触が走った。


 ぐっと手を引かれ、サラが庇うように立ち位置を変える。視線があちこちに走る。

「ねえ、お兄ちゃん、今――」

「ああ、感じた――間違いない、異境の力だ。しかも――」

「誰かが、ぶつかり合っている……?」

 視線を、交錯する。すぐに、二人の意思が一致する。頷き合い、二人ですぐに駆け出していった。


 異境の住民たちは、何かしら人離れした力を持っている。

 サラであれば、獣のような感覚と、優れた身体能力。僕なら、丈夫な肉体を持っているが――その力を一気に行使すると、不可思議な力場が発生する。

 それらは、異境の住民なら、すぐに感知できる――先ほどの、僕たちのように。


 その力を感じ取った場所は――ショッピングモールの裏手だった。

 そこは、公園になっている。原っぱやアスレチックがあり、子供たちや親子連れの、遊びの場になっている――。

 だが、二人が駆けつけたその場所は、明らかに人気がなかった。不自然なほどに。

 連日の猛暑とはいえ、ここまで無人はあり得ない……っ!

「――ッ! お兄ちゃん、あれ……っ!」

 サラがぱっと駆け出す。その後ろに続きながら、目を見開く。

 滑り台の下――倒れている、誰かがいる。そこに歩み寄る、人影。

 瞬時にサラは地を蹴った。抜き放った短刀を、鋭く投げ放つ。人影はそれに弾かれたように後ろに下がり、身を翻した。

「お兄ちゃん、その子をお願い!」

「分かった! 深追いはするなよッ!」

 素早い連携で、僕は遊具の傍の、倒れた人影に駆け寄る。その姿に、背筋が冷える。

 身体が、血まみれ――ぞっとするほどの、血の量だ。

「おい、大丈夫か……?」

 声をかけながら、その様子を確かめる――大丈夫、一見、出血は多そうに見えるが、動脈はやられていない。返り血で汚れた、その子の頬を軽く叩く。

「う、ん……っ」

 微かな呻き声――思わず安堵しながら、その様子を確認していく。

 その子は、少女だった。長い黒髪で、大人びた顔立ちの少女だ。目鼻立ちも整っているが、血化粧がひどく、顔色も真っ青――早めに、手当てしないと。

 その髪が、さらり、と揺れた拍子に、ふとそれが目に入った。

「――なるほど、道理で……」

 納得する。異境の力同士が、ぶつかっている気配があったが……これか。

「ごめんっ、お兄ちゃん、見失った……! さすがに、深追いできなくて」

 サラが駆け戻ってくる。手を挙げて応じながら、少女の身体をそっと抱え上げる。

「とにかく、この子を手当てしないと……」

「救急車?」

「いや、この子は――異境の子だよ」

 そう言いながら、僕は少女の髪を少しだけ掻き分ける。その合間から覗いたものを見て、納得したように、サラは小さくつぶやく。

「鬼の子……」


 そこに生えていたのは、立派な二本の角であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る