第10話

 拓朗が家に帰り、穏やかな時間が訪れる。

 僕はシャワーを浴びて、さっぱりとして部屋に戻り――思わず半眼になる。

「あの、サラさん? 何されているんですか?」

「ん? お布団敷いているだけだよ?」

 座卓を壁際に片づけ、いそいそと布団を敷いている少女は、きょとんと見つめ返してくる。

「いいよね? お兄ちゃん」

「いや、当たり前みたいに言うけど……」

 隣の部屋がある意味が、ないような気がするけど――物置かな?

「あ、お風呂から出たなら、お湯、もらうねっ」

「あ、ああ、いいよ」

 そして、当然のようにお風呂まで使っていく――ますます、隣の部屋の意味が分からないな。苦笑いしながら、僕は台所に立った。

 緑茶の葉を取り出し、急須の中に入れる。そこに、氷をいくつか放り込む。

 氷出し緑茶。サラが出るぐらいには、いい感じになっているはずだ。

 エアコンの温度も少しだけ下げる。そうすると、湯上りが快適だ。

 そうしながら、サラと過ごす夜が楽しいことに少しだけ気づいてしまう。苦笑いをしながら、テレビをつけ、深夜のバラエティ番組を見ていると――。

 ふと、鳴り響くスマホの着信音――おや?

「里から――じゃ、ないな。これは……」

 液晶の画面を見つめ、その名前に眉を寄せながら、画面をスワイプ。

「――兄さん?」

『おお、リントか? 久々だな』

 探偵として各地を飛び回る、兄のハルトの声が、耳に響く。穏やかな声に目を細める。

「前回の定時連絡以来だからね。今、どこに?」

『ん、ああ今は、イタリアで――』


 瞬間、ずきゅん、ばきゅん、と凄まじい音が耳を貫いた。


「――今の音は?」

『ああ、抗争の音。気にするな』

「ガチの銃声かよッ! 気にしねえ方が難しいわッ!」

『ったく、しゃあねえなあ……待っていろ』

 次の瞬間、立てつづけに弾けるような銃声。悲鳴と罵声が一斉に響き渡る。

 一旦、スマホから耳から離す――とはいえ、ばき、ぼき、と何かを折るような音が響き渡っている――僕は何も聞いていないぞぅ……。

『――よし、待たせたな。ミュート完了だ』

 物理ミュートかな?

『んで――メールは見たぜ。サラちゃんがそっちに来ているんだって?』

「ああ、護衛として来てくれている」

『ま、お前は少し頼りないからな。助かるわ』

「悪かったな……てか、日本でそんな事態は想定されていないからな」

『ああ――まさか、異境狩りなんて現れるとは思っていなかった。しかも、調べてみると厄介でな、日本でも出没するらしい』

「マジか……あ、ちょい待ち」

 風呂からサラが出てきたのを見て、手招きする。彼女は目を丸くしながら、ちょこちょこと歩み寄ってくる。

「兄さんから電話。今、テレビ電話に切り替えるから……」

『お、サラちゃんか? おっけ、じゃあ、こっちも……っと』

 サラは頷き、隣に腰を降ろす。二人で並んで映るようにして――っと。

 兄さん側も調整が終わったのか、あちらの映像が映る――。


 血まみれの壁を、背景にして笑う、兄さんの姿が。


「おおおおいっ!? なんだ、その壁はっ!」

『だから、抗争つったろ? あっちのマフィアが異境人に目をつけて、人身売買していたんだよ。異境人って、人身売買には格好のエサだからな』

「は? 人身売買? 不穏だな……」

『残念だが、日本では不穏でも、海外じゃ日常茶飯事。しかも、異境人は戸籍を持っていない。だから、隠ぺい工作が楽だったりする――んなこと、許さねえから、こうやって突き止めて一人で武装集団壊滅させてんだけど』

「――相変わらず、無茶するな、兄さん」

『ま、封印を少し解除したから、楽勝、楽勝――それよりも、だ』

 軽い調子で笑う兄さんは、歩きながら通話を続ける。

 揺れる背景で、ちょくちょく、目に毒なものが映るのですが……。

『例の、異境狩り――ああ、便宜上、こう呼んでいるんだけどな。これは実際に出没しているのが、裏が取れたわ。日本でも、五、六件起きている』

「ハルトさん、お久しぶり。それの詳しい事情を、教えてくれるかな」

 ふと、真剣な表情のサラが口を挟む。おお、と兄さんは頷く。

『サラちゃん、おひさ。いいぜ。つっても、もう資料はリントのアパートに送っている。明日あたり、届くんじゃね? 一応、里にも共有しておいてくれや』

「うん、分かった。ハルトさんの見解は、どう?」

『まあ、そうだな――こっちみたいに、マフィアみたいな大きな組織はいねえ、と思う。ただ、異境に関して知っている人間なのは、事実で――』

 そこで口ごもると、兄さんはちらりとこちらを見やってから続ける。

『これは推測の域を出ねえからな……今から言うことは、二人の胸の内にしまっておいてくれねぇか? 特に、里には聞かれたくねえ』

「あ、ああ、構わないが……」

「う、うん」


『俺は――この犯人、同じ異境の住民ではないか、と睨んでいる』


「――は?」

 思わず声が漏れる。兄さんはそれ以上言わず、二人を順に見て言う。

『もちろん、推測の域を出ない話だ。だが、十分に気をつけて欲しい。異境人は、異境人の弱点を心得ている。二人も、資料を見て何か気づいたら連絡を回してくれ。俺の方も、知り合いの異境人たちに連絡を回すから』

「あ、ああ、了解した――兄さんも、気をつけろよ」

『誰の心配をしてやがる。サラちゃんも、気をつけろよ?』

「あははっ、私は護衛だよっ? 心配するなら、リントお兄ちゃんの方を……」

『いやいや、そのリントに襲われないようにな? 二人とも、そんな無防備で、くっつき合いやがって……ちっ、見せつけてんのか?』

「無防備……?」

「見せつけて、いる?」

 ふと、視線を合わせる。風呂上がりの、色っぽいサラ――今日は、タンクトップ姿で涼しげな寝間着だ。濡れた、艶っぽい髪が、さらっと肩を撫で――。

 慌てて、視線を逸らす。

『ほーう? にやにや』

「にやにやを口で言うなよ。兄貴――もう切るぞ」

『ああ、すまんがいつも通り、里への連絡は任せた。一応、俺の方も日本に保険はかけておく――二人とも、気をつけろよ』

「はいっ、ハルトさん、またね」

 サラが手を振り、電話を切る――ふう、とどちらからともなくため息がこぼれる。視線を合わせ、苦笑いを交わし合った。

「本当に、サラのお世話になるかもな」

「そのときは、大船に乗っていてね――って言っても、同じ異境の住民の可能性か……」

 物憂げに考え込むサラ。僕は頷きながら腰を上げた。

「あくまで、可能性の一つ、だから囚われるのはよくないかもしれないけど」

「うん……でも、対処法を考えとかないとね」

「まあ、それよりも、だ――髪、乾かすぞ」

 僕はドライヤーを取り出すと、サラは犬耳をぴんと立て、尻尾を楽しそうに揺らす。

「やったっ、お兄ちゃん、やってっ」

「はいはい――あんまり尻尾振るな。水が散るぞ」

 今日も丹念にドライヤーをかけていき、尻尾をもふもふのふわふわに仕上げる。

 そして、二人で氷出しの緑茶を飲みながら、ゆっくりとした夜――。

 こんな平和が続けばいい――そう、願ってやまない、ひと時だった。

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