浴槽で胎児のように体を折り、死出の度には仮初めのウェディング・ドレスを纏う。
生き死にのあわいにあるゾンビがそれらをするということは、筆者の「ゾンビ観」(そんなのものある?)を表していると共に、構図の妙をも産み出している。
この話には、周りの大人が主人公の抱える諸問題にコミットしたり、反対に主人公が周囲の大人の心のくびきを溶かしたり、そういった劇的な展開は特にない。
ただ他人のような距離感があり、他人事のような会話があり、誰かのために開けられたスペースがある。
だからこそ最後の奥多の行為が、奇妙な素晴らしさを持って読者の心を揺さぶってくるのだと思う。
人間はゾンビではない。
死んだように生きることはできても、生きるように死ぬことはできない。