愛してる、愛シテル。愛してる?

めそ

アイシテル

 彼は実の妹を愛していた。

 その妹も彼を愛していた。

 だけれども、彼らの相手に向ける『愛』というものの意味が全く異なるということは、おそらく彼ら自身、よくわかっていると思う。


 そも、なぜぼくがこんなことを考えているかというと、それは彼に、否、彼らに相談されてしまったからだ。


 妹を愛しているし、妹が自分に向けている気持ちはわかっているけれど、自分が妹に向ける愛は家族に向けるためのものであり、一人の女性に向けるそれではない。

 兄のことを一人の男性として愛しているけれど、兄がそれを望んでいないことはわかっている。だけど、兄に対する愛は簡単に偽れるものではない。


 互いに相手がいない時を見計らい、ぼくと二人きりになってからそんなことを言ってきた。

 ぼくは、彼らとは旧知の仲と言っても過言ではない。

 物心つく以前から彼らと共に在り、彼らと共に語り、彼らと共に笑っていた。

 ぼくには兄弟姉妹と呼べる家族がいなかったが、しかし彼らは唯一無二の友人であると同時に、血は繋がっていなくともぼくにとって彼らはかけがえのない兄妹である、とぼくは考えている。

 だから、できることなら二人の相談、あるいは頼み事を解決してやりたい。

 だけれども、簡単にそれが出来ないから考えてしまう。

 悩んでしまう。


 どうしたものか、と。



   ❆   ❆   ❆



 そも、ぼくは感情表現が苦手だ。ついでに、他人の気持ちを考えることも苦手だ。

 だが、しかし、そうは言っても、

 彼女が兄を好く、否、愛する理由はわかる。

 わかりすぎるほどによくわかる。

 彼女はリザードマンなのだ。いや、この場合はリザードウーマンだろうか? とにかく、彼女が生まれた村では神の仔として信仰されるその姿は、およそ普通の目で見られることはまずあり得ない。


 親にさえ、

 自身を産み育てる親にさえ、我が子としてではなく神が仔として接せられ、そして彼女もそのように振る舞わなければならないのである。

 他人の目があるところでは、兄にさえ敬われる。

 その苦しみは、当然ながらぼくには想像しかできない。

 だが、他人の気持ちがわからないぼくでさえ想像させられるほど、彼女はとても苦しそうな表情をしていた。

 それでも彼女が平常心を保っていられたのは、兄という存在のおかげなのだろう。

 これも、想像でしかないが。


 彼女が酷く荒れた時があった。と言っても、つい数日前の話なのだが。

 村の中で彼女を同じヒューマンとして接していたのは、ぼくと彼女の兄だけだった。

 村の人々がそれを疎ましく思っているのはわかっていた。だが、ぼくは彼女の嫌がる顔を見たくはなかったので、周りの視線や無言の訴えというものなんとなく理解できるようになっても、それらを無視して彼女とはあくまで今まで通り、対等な者として接していた。


 だが、彼女の兄はそうしなかった。

 周りの視線や無言の訴えだけでなく、村の大人になにか言われたのだろう。嫌味だろうか、小言だろうか、ぼくには想像することしかできないが、しかし、彼はある日突然、二人きりであるにも関わらず、妹に対して敬語で話し始めたらしい。


――朝ですよ、起きてください。


 その時彼女が発した憤怒の叫び声は、あるいは悲哀に満ちた悲鳴は、言うまでもなく村中に、村の外にまで響き渡った。

 こんなことを口にすれば彼女に怒られるのは違いないが、しかしなるほど、流石は神の仔と呼ばれるわけだ。その日、ぼくは彼女を怒らせまいと固く胸に誓った。


 まず、彼女の絶叫を一番近くで耳にした兄の鼓膜が幸い破れはしなかったものの一時的に聞こえなくなってしまったのは当然のこととして。

 彼女の悲鳴を耳にした近くの森に棲む猛獣達が怒り狂った様子で村の畑や貯水池、倉庫や家屋など、目に付くものは生きていようがいまいが全て敵といった様子で破壊の限りを尽くしていった。

 が、被害はそれだけに留まらない。

 彼女が流す涙のように地面を泡立たせるほどの豪雨が振り始め、

 彼女が発す泣き声のように辺りを切り裂く雷鳴が轟きだし、

 彼女の沸き立つ怒りのように地面が大きく震え割れだした。


 天災とは、

 天災とはまさにこのことか。


 慌てふためき逃げ惑い、恐怖と敵意に満ちた目を彼女に向ける村の人々を眺めながら、

 まるで他人事のように、

 それこそ他人事のように、

 あるいは他人事のように、


 どうしたものか、と。

 ぼくは悩んでみたりした。



 そんな混乱の最中、彼は妹の手を取ってどこかへ行こうとしていた。

 だけれども、自分を裏切った兄に心を許すはずもなく、彼女はその手を払いのける。

 ううむ、どちらの味方をすれば良いのだろう。

 目の前で人が人に轢き殺される様を見せつけられながら、ぼくは悠長に悩んでいた。


 やはりここは兄だろうか。弁解させてあげなければ、勘違いを正してやらねば、この天災はいつまでも続くだろう。

 だけど、あの妹の機嫌を損ねるのも怖い。ぼくが彼に味方して、自身に一人も味方がいないと確信し、絶望したその時、果たして世界はどうなってしまうのか。


 妹の味方に付くか、と妥協し、さてどんな言葉をかけたものかと再び悩み始めたその瞬間。

 彼は妹に抱き着いた。

 熱く、強く、誰の目も忍ぶことなく抱擁した。

 雨音さえ雨音に掻き消される豪雨の中、彼は大声で妹になにか伝えているようだった。


 おそらくは、謝罪の言葉。

 おそらくは、約束の言葉。

 おそらくは、愛の言葉……は、ありえないか。


 ともかく、熱い抱擁と心の限りを尽くした言葉により、ひとまず多くの人々が犠牲となった事件、否、天災は終わりを迎えた。

 ぼくが、ぼくらが生まれた村がどうなったかは、知らない。



   ❆   ❆   ❆



 ヒューマンとリザードマンの兄妹は、互いに手を取り合って小さな村から逃げ出した。

 住んでいた村と帰る家を同時に失ったぼくは、もともと村ではつまはじきものだったこともあり、こそこそと二人の後を追って村から抜け出した。

 そして、三人で狩りをして暮らす中で、頭を抱える厄介な問題を二つも同時に押し付けられてしまったわけだが。

 流石は兄妹といったところか。姿形は似ていなくとも、そういう妙なところは似るらしい。


 そんなふうに似るのなら、愛の向け方も似て欲しいものである。

 ……ふうむ。

 いや、なるほど、これは名案かもしれない。


 そも、彼の語る妹に対する愛と彼女が語る兄に対する愛は、本質が全く異なる。

 守らなければならない、悲しませてはならない、という後悔と自責の現れ。

 唯一でありたい、必要とされたい、という歪んだ欲望の現れ。

 同様に歪んではいるが、単純に異なる愛の形。


 彼は妹のためと愛を語り、

 彼女は自身のために愛を語る。

 なるほど、ならば簡単だ。



 ぼくは彼と二人きりになった時、いくつかの質問と助言をした。

 もし妹に押し倒された時、どうするのか。

 もし妹が自分ではない誰かを好きになった時、どうするのか。

 答えはやはり、想像どおりだった。

 だから僕は、助言した。

 座して待て、と。



 僕は彼女と二人きりになった時、いくつかの質問をした。

 もし仮に、兄ではない別の誰かを愛する時が自身に来ると思うのか。

 答えは、今はまだ想像もつかない。

 もし仮に、兄ではない別の誰かに愛を囁かれた時その誰かを愛することができるのか。

 答えは、今はまだ想像もつかない。

 もし仮に、兄が自分ではない別の誰かに愛を囁くことがあったとしたらどうするのか。

 答えは、今はまだ想像もつかない。

 やはり、彼女の答えも想像どおりだった。

 だからぼくは、助言した。

 答えを出すにはまだ早い、と。

 この問題はまだ少し難しすぎるかもしれない、と。



   ❆   ❆   ❆



 もしかしなくても、ぼくは二人のことを愛していることは明らかだ。

 恋愛や友愛。

 親愛や敬愛。

 どれでもないし、どれでもある。

 一緒に居たいし、離れたくない。

 隣に居たいし、居て欲しい。

 彼のような責任感などがあるわけではないが、

 彼女のような独占欲などがあるわけではないが、


 いつまでも、どこまでも、

 二人と一緒に居たい。


 だけれども、それが叶わないことをぼくは知っている。

 知っているというより、わかっている。

 わかっているからこそ、ぼくは二人に向ける愛を言葉にはしない。


 だって、

 言葉にしてしまったら、

 離したくなくなってしまうから。


 それはとても歪なことで、

 それはとても不自然な形で、

 もしそうなってしまったら、

 ぼくが愛した二人ではなくなってしまう。


 だからぼくは、悩むまでもなく、考えるまでもなく、

 ひたすら悩みながら、

 ひたすら考えながら、

 彼と彼女の歪んだ兄妹愛を保ち続けている。



 二人が人並みの幸せというものを見つけるまで、ぼくは悩み続けるのだろう。


 さて、どうしたものか。

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