トロロアオイのせい
~ 八月二十四日(土) afternoon ~
トロロアオイの花言葉 願う気持ち
ラーメン屋からの帰り道。
いつも、ここへ足を運ぶたび。
心がすくわれて。
一歩だけ、前に進むことが出来た錯覚を覚える。
私が笑うと。
この子も笑う。
そんな簡単なことを。
そんな温かなことを。
いつも教えてくれるのだ。
……でも。
私が作り笑いをすると。
この子も、作り笑いで返す。
そんな現実も同時に。
冷たく突き付けられるのだ。
いつまでもこのままではいけない。
でも、顔なんて上げることができない。
幸せとは。
失って、初めて気付くことができるというけれど。
私が最後に送った言葉。
せめてそれだけは。
幸せに満ちたものにしてあげたかった。
きっとあの人は。
悲しい思いのままにこの地を去ったのだろう。
きっとあの人は。
未だに私を恨んでいるのだろう。
一言一言を。
いつでも、今を大切に。
心を込めて紡ぎましょう。
……私が汚い言葉を使う度。
あの人が、いつも言っていた。
そんな大切なことを教えてくれた人に。
私は、仇で返したのだ。
……そんな私に。
幸せになる資格なんて無い。
「ママ? あたし、ママと一緒にラーメン来るの、たのしい!」
「そう……。ママはね。海の真ん中で、いつも独りぼっちなの」
「一人? あたしがいるよ?」
いつも着ているワンピース。
何年も着たきりで。
すでに小さくなったワンピース。
その薄汚れたぼろにお似合いの。
不器用に歪ませた笑顔。
私は、暗い言葉を聞きたくないと言いたげな小さな気持ちを。
引き裂くつもりで言葉をつづけた。
「……暗い海しか見えない。寂しい光景なのよ」
そう。
どこを向いても光無く。
波に揺られる意識は。
地に足もつくことなく。
小さな子供、ひとりすら。
幸せにすることもない。
こんな私に。
どうしてあなたは。
不器用ながらも。
そんな笑顔を向けるのかしら。
「……ママ、元気ない?」
「そうね。ないわ」
「じゃあ、元気の出るもの置くの!」
「ふうん。……なにを置く気?」
「なにがいい? ひまわり?」
ヒマワリ。
……花、か。
「あんた、花、好き?」
「パパが好きなやつだから、好き!」
そうね。
パパは、好きだったわよね。
でも。
「……ママは、お花が嫌いって知ってた?」
「え?」
「ふふっ……。あなたは、どっちの味方になる? お花が好きなあの人と、お花が嫌いな私と」
ああ。
意地の悪い言葉。
そんな言葉を聞いて。
この子はどう思うだろう。
困った表情で。
目を泳がせて。
……そうね。
答えなんか、出ないわよね。
「えっと……、ママが、お花を好きになって欲しいの」
「無理よ。……あの人がいた時は、無理に頑張ってたけど」
ほらごらん。
答えなんか出ないのよ。
でも。
この子の、考え無しと思われた返事が。
唯一の解決方法なのだと知って。
私は少なからず。
衝撃を受けた。
「だって、パパがお花嫌いになるの、もうできないの」
…………そうね。
ええ、ほんとに。
例え、あの人が生きていたとして。
こんな無理難題を押しつけられたとして。
意固地に、花を捨てずにいられたのかしら。
それとも…………。
茜色に染まりゆく空の下。
久しぶりに感じた色彩の中で。
私は思う。
もう、取り返しがつかないのなら。
もう、笑うことができないのなら。
いっそ、悪に徹して。
この子がそばからいなくなった方が。
楽なのかもしれない。
「…………あんた、私が一人じゃないって言ってたわよね」
「うん! あたしがいるの!」
「じゃあ、私を幸せにしなさい。例えあなたが不幸になっても」
誰でも、誰にだって。
決して叶えることのできない夢。
だって、あの人無くして。
私が幸せになることなんかできないんだから。
……あなたがいたっていなくたって。
それだけは決して変わらない。
そう、信じていた。
信じていたのに。
「じゃあ、あれ! あった! ママがね、元気になるヤツ!」
「……無いわよ」
「あるの! だって、パパが見せたいって言ってたやつだから!」
…………え?
「パパがね、ママが見たら元気になるって!」
あの人が。
言っていた?
私に見せたい?
「そう。…………それを見たら、元気になれる、かな?」
「なるの! だって、パパは何だってできるから!」
……そう、ね。
あの人なら、できるかもね。
すでに、ここにはいない人が。
記憶の中に、ずっといるあの人が。
私のために。
私を元気にするものを。
……私の知らない何かを。
くれるというのね。
私は、久しぶりに。
我が子の手を掴んであげながら空を仰ぐ。
指にすら余るほどだったその手は。
いつの間にか。
私の手を半分も。
温かく包み込むほどになっていた。
…………久しぶりに感じた色彩の下。
私は、世の定説を覆す。
はちきれんばかりの笑顔を浮かべたこの子に。
いつの間にか、私は。
作り笑いを返していたのだ。
~🌹~🌹~🌹~
世の中にはままならないことがいくつもあるもので。
大空へはばたくための翼を折られたエンジェルたちは。
「スパシーバ……」
「シャシリク……」
四人掛けのテーブルに二人。
身を寄せ合うように突っ伏して。
「頭の上に乗せちゃいますよ?」
ハンバーガーセットを乗せたトレーを持った俺を立たせたまま。
ぐずぐずと、覚えたてのフランス語(仮)を披露し続けているのです。
そんな二人が。
未練たらたらに掲げたフランス国旗を。
ダリアさんが取り上げて。
「何をするのです?」
眉根を寄せる俺の目の前で。
泣いてすがる二人の目の前で。
ハサミでちょきんと半分こ。
「ぎゃーーーー! スパシーバ!!」
「鬼ですかあなたは!」
おいおいと。
泣いて抱き合うおばさんと穂咲。
そんな二人のテーブルに。
三色のハンカチを並べるダリアさん。
「なんでこんなひどいことするのです!?」
「先に酷いことをしたのはこのフタリ」
「なんで?」
「……我がソコクは、白、青、赤」
「ああ、はい。なるほどね」
フランス国旗を横にしたら。
ロシア国旗だと思っていたのですが。
横にしただけじゃなくて。
色の並び順、違うのですね。
フランスフランス言いながら。
ロシア語を連呼していたお二人さん。
叱られてやむなしなのです。
「わたしのフランスがーーー!」
「翼が生えてとんでっちゃったのーーー!」
「ああうるさい」
結局、地元へ帰ってきたのはお昼すぎ。
お腹もペコペコになったので。
イギリスへ寄ることもなく。
直接フランスへやってきて。
名物のハンバーガーでお昼にすることにしたのですが。
「今日の所は、このフランスで我慢するのです」
「こんなとこフランスじゃないの!」
「うるさいので静かになさい」
「いいえ、ここはフランスよ! 翼よ、あれがパリの灯だ!」
「晴花さんもうるさい」
厨房のコンロを指差して。
今日も絶好調な晴花さんですが。
今の穂咲に。
そんな冗談は通じません。
「あんなのパリじゃないの! せいぜいイカ釣り漁船なの!」
「その方が目立つでしょうに」
「ならば、私には見えるぞエッフェル塔!」
「そんな大きな塔なんか見えないの! せいぜい東京タワーなの!」
「……その方が高いでしょうに」
ああもう。
呆れたヤツ。
これは早いとこ。
絵ハガキの場所へ連れて行ってしまうのが吉なのです。
「ええと……、まーくんは?」
「キュウキョ、人が増えたから。たくさん乗れる車を取りに行っている」
「へえ。どんな車を?」
「トゥクトゥク」
「はみ出てます」
あれはたくさん乗れるのではなくて。
たくさん乗ってる光景が面白いだけ。
相変わらずのダリアさんですが。
まーくんが来るまで。
お相手せねばなりますまい。
「それにしても、人が増えたってどなたの事です?」
俺の質問に。
無言で店の奥へ目をやるダリアさんなのですが。
その、灰色の瞳が見つめているのは……。
「道久! 海外じゃないなら一緒に行くさね!」
「夏休みだからな。家族旅行くらいせんと」
「いたんかい!」
入店してから十数分で。
一体、何度突っ込むことになったのやら。
ちょっと、これはピンチかも。
せめてこいつらだけでも家に帰さないと。
「ここから三十分のとこですって。旅行じゃないのでお帰り下さい」
「なに言ってるんさね! 一泊して来りゃ旅行さね!」
「は? 一泊?」
「ああ、幻想的な宿と言うことだ。寒いと言っていたが……」
ええと。
あれ?
美術館へ行くのではないのです?
俺は、おじさんの絵ハガキを取り出して。
結局これは、どこなのかしらと確認していると。
「あら? モネの池? ……ああ! それでフランスに行こうとしてたの?」
「晴花さん。……その顔は、どうやらこいつの場所をご存じなのですね?」
「金澤先輩に連れられてね。……って、いけない! ミステリーツアーだった?」
「ご安心ください。ただ結果的に、そうなっただけなのです」
俺の返事に胸をなでおろした晴花さんは。
これ以上は言わないねなどと。
余計な気を使うのですけど。
「そこ……、これから行くの?」
「はい。とは言え今日になるのか明日になるのか」
「なにそれ?」
「どこかで一泊するらしいのですが」
「それ、私も行っていい?」
「え? はい、大丈夫だとは思うのですが。いいでしょうか、ダリアさん」
ホストを正座させることができる。
この人に聞けば間違いなし。
そう思って聞いたのに。
なぜか、ダリアさんはじっと穂咲を見つめるのです。
「え? 決定権はこいつ?」
ダリアさんの無言は、恐らく肯定。
理由はよく分かりませんが。
俺は穂咲に許可を取ります。
「いいですよね?」
すると穂咲は、ちょっぴり考えてから。
こくりと頷いたので。
晴花さんは大喜びで。
俺にハイタッチなどしてくるのです。
そして。
「ごめんね穂咲ちゃん! 邪魔はしないから!」
「別にいいの。邪魔なんて事も無いの」
「そう? だって、気合い入れておしゃれしてるじゃない」
そんな言葉に。
ぴくっと反応する穂咲なのですが。
「気合い?」
「何でもないの」
「入れてたの? なんでまた……」
「入れると普通なのに、だしたり立たせたりすると途端に苦くなるものなーんだ」
「お茶?」
俺が即答すると。
無言で急停止。
「正解ですよね?」
「ぶっぶー。正解は、紅茶」
「紅茶は立てませんよね?」
「うるさいの。じゃあ、立ってばかりなせいで足が短くなってしまった憐れなみち……、人はだーれだ」
おい。
意地でも正解したくない問題出しなさんな。
俺は、自分の股下を気にして身をよじりながら考えます。
クイズのせいで、何かを誤魔化された気がするのですけれど。
そもそも、何を誤魔化されたのでしたっけ。
……でも、結局思い出すことが出来ない間に。
お店のドアから、まーくんとひかりちゃんが顔を出しました。
「待たせたな、いくぞ!」
「いくぞー!」
お揃いのサングラスをかけた二人組。
かっこいいやら可愛らしいやら。
そんなお二人を。
待たせるわけにはまいりません。
「じゃあ、行きますか」
「ママ! 頑張って立つの!」
「やれやれ……。今夜はやけ酒になりそう……」
「道久! 母ちゃんの荷物持つさね!」
「あと、俺たちの勘定も持て」
「待てい保護者の約二名!」
荷物はともかく。
ハンバーガー屋で。
お勘定って。
初めて見た、後払い伝票なる物を押しつけて。
飄々と出て行くお二人さんを。
唖然と見つめる俺に。
穂咲が、なにやら押し付けてくるのですが……。
「二枚目っ!? こら、押し付けるな! 俺だって怒る時は怒りますよ?」
「怒っちゃダメなの。だって、道久君に押し付けていいルールがあるの」
「腹が立ちますね。なんですか、そのおかしな話は」
憮然と穂咲をにらみつけていた俺に。
こいつは珍しく。
殊勝に頭を下げるのです。
「ちゃんとお礼を言うから安心するの」
「お礼……、ですか」
なんだか納得いきませんが。
そこまで言われたらやむなしなのです。
「よし、ちゃんとできたら出してあげましょう」
「感謝しているの。あたしを陰から、経済的に支えてくれる存在なの」
「ふむふむ」
「まるで道久君は、あたしの……」
「君の?」
「あたしの……」
そこでリピートを始めた穂咲さん。
俺の事を、じっと見つめながら。
「……あたしの、足みじかおじさんなの」
「やかましい」
もちろん、二枚目の伝票は。
穂咲の鼻に叩きつけてやりました。
~🌹~🌹~🌹~
まあるい地球。
その外側には宇宙。
絵で見ていると、急に不安になるのです。
まあるい地球の内側に住んでいるのだとしたら。
こんなことは考えないのですけれど。
俺たち、この外側に立っているのですよね?
宇宙に野ざらしなのですけど?
どうなっているのでしょう。
意味が分かりません。
でも、今日、初めて。
俺たちは本当に。
宇宙に野ざらしだということを。
心から納得できたのです。
……家から三十分。
幻想的なお宿。
そんな言葉に。
何をバカなと思っていましたが。
「確かにこれは!」
「幻想的なの!」
「な? 滅多に見れねえだろ?」
至る所からあがる興奮の声。
それもそのはず。
目の前には。
半球の宇宙がどこまでも広がっているのです。
ここは、驚くことに。
ゴルフ場のど真ん中。
芝生に横になって。
みんなで寝ころぶと。
お隣りの人も視界に入らないから。
一人一人、自分だけの満天の星空。
「すげええええええ」
まあるいボールの上に寝ころんだ向こうには。
宇宙が剥き出しになっていて。
まるで真空の中に。
放り捨てられた心地。
……まーくんいわく。
冬の方が空気が澄んでいて。
もっと綺麗だと言うのですけれど。
どこまでも無限に続く虚無と。
その中で、幾億と漂う星たち。
壮大な神秘を。
感じずにはいられません。
……まあ、こいつがいると。
そんな気分も、数十秒でへし折られてしまうのですが。
「道久君。ちっと寒いの」
「……きみの旅行カバン、持ってきましょうか?」
「あんなおっきいのが横にあったら、せっかくの絶景が台無しなの」
「そうは言いましても、服だけ持ってこれないのです。鍵あけられませんし」
俺だって、もっとこの景色を楽しみたい。
面倒なことは勘弁なのです。
「暗証番号教えればいいの?」
「やれやれ……。何番なのです?」
「語呂合わせなの」
「ほう」
「『ミチヒサくん』なの」
「了解、分かりまし…………、なんて?」
せっかくの静かな夜が。
神秘的な空間が。
そこいらじゅうから湧き起こる笑いで台無しなのですが。
どうして君といると。
俺は恥ずかしい思いばかりするのでしょう。
「語呂って言葉の意味か、正しい番号か。いずれかを言いなさい」
「…………明日、緑の中の黄色に会えるの」
人の話も聞かずに。
思い付いたことをそのまま口にして。
「パパに、会いに行くの」
それなのに。
どうして君の言葉は。
こんなにも。
誰かの心を惹くのでしょう。
もちろん、その誰かの中に。
俺も含まれていて。
仕方がないので。
いつものエプロンをかけてあげながら。
俺は、自分のカバンへ向けて歩き出しました。
明日、君が。
幸せな気持ちでおじさんに出会えますように。
俺は、そんな願いを胸に。
暗証番号を入力します。
番号は、もちろん。
『ほさき』
なのですが。
こればっかりは。
誰にも内緒なのです。
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