第32話 あの夏1987
「あー! もう東京帰れない」
私は頭を抱えた。付き合ったうえで別れたのじゃなく、知らずに偽装に付き合わされていた悲しいピエロだと全国にバレているなんて!
「大丈夫だよ。人の噂も七十五日って言うじゃん! それより、逆にレズビアン疑惑がまた再燃してきたことの方が問題じゃない?」
「なんだと!」
「苦しいよ美紀ちゃん。息できない!」
私は驚きの余り掴んだ裕二の襟首を離した。
「はぁ、なんでこうもツイてないのよ」
「それでなんだけどさ。11年前のやり直しをしないか」
そう言って、裕二は手を伸ばして私の手に重ねてきた。
「何? ヤろうっていうの?」
「ちょっとはムードある言い方出来ないの?」
「この前だって無理だったじゃん。どうせ立たないでしょ」
「今日の僕は違う」
ヤケに目力を込めて見つめてきた彼は、ポケットから楕円形の錠剤を取り出した。
「まさか……」
「そう、先輩のツテ頼って手に入れたんだ。だから、あの崖の上のホテルに今から行こう」
裕二が振り返った視線の先を目で追うと、崖の上にポツンと立つラブホテルが見えた……。
あれは11年前の夏の日。
たぶん高校最後の夏休みに入っていたか、いや、期末試験が終わり、休みに入るのを待ち遠しくしていた平日の午後だったろうか?
周囲にバレないように、秘密で付き合い始めていた私たちは、免許取りたての裕二が運転する銀色のベンツSクラスで今日と同じように海岸線をドライブしに来ていたのだった。
「すごいね裕二くん。ほんと、滑らかな走りだよー。うちのガタピシいう日本車とは全然違うんだね。なんだか、窓の外の景色も素敵なものに見えて来ちゃうな」
「美紀ちゃん。僕の運転が上手いからっての忘れちゃ困るぜ」
「うふふ、何キザな事言ってんの!」
裕二はダッシュボードから取り出した父親のレイバンを掛け、トム・クルーズ気取りで左腕を窓の外へ投げ出していた。車は夏の海水浴客で賑わう浜辺に差し掛かった。
「あれ、マホショじゃね?」
裕二は車を脇に止めて、砂浜の先を指さした。私は裕二の後ろから身を乗り出して外を見た。
「どれどれ? あの海の先? 海鳥じゃないの?」
「海鳥がピンクや緑なんて事ないでしょ」
快晴の空の下、色とりどりの小さな物体が3つ、鳥のように海を渡っていた。
「えー、なんでこんな田舎まで来てんのよ。騒がしくなったらヤダな」
「パトロールじゃね? 最近、真昼間に港を襲う魔獣が出たとか」
「ふーん……」
「何だよ? 意味深な目で見てきてさ」
「おニャン子とか好きだもんね裕二くん」
「何言ってんだよ。アレは、男子の間じゃメジャーな話題だから付き合ってるだけで、アイドルなんか興味ないよ。それに、この前の放送で解散するって言ってたし」
「ほら! やっぱ見てるんじゃん」
「いやだからー。あれ? 水しぶき上がった!」
「なにはぐらかしてんのよ」
「そうじゃなくて、あれ見て!」
「なんだろう? クジラ?」
「魔法少女が戦ってんだよ! ああ、双眼鏡が有ればなぁ」
海の彼方で大きな水の柱が立ち上がり、その周りを米粒のような赤青ピンクの点が蠅のように忙しく回っていた。
「大丈夫かな」
「急いだほうが良いかも」
「え?」
「車返さなきゃなんないし、またいつ来れるか判んないじゃん」
「そうだけど、心の準備が」
「美紀ちゃん。僕を信じて」
裕二はそう言うと唇を重ねてきた。
「うっうぅくん! はぁはぁ、誰かに見られちゃうよ」
「我慢できないよ美紀ちゃん。お願い」
「しょうがないなぁ」
「へへっ。やった!」
ベンツは路肩から海岸道路に復帰し、やがて山道を登り始めた。せり出した崖を上り切った所で
「裕二くん……」
「帽子被って」
肩の出たワンピースにツバの広い帽子を目深に被り車を降りた私は、サングラス姿の裕二に手を取られラブホテルへと入って行った。
「休憩で」
「3千円ね」
薄暗いフロントの小窓に裕二はお金を渡し、鍵を受けとった。エレベーターに乗って3階に上がり、目当ての部屋に入った。
「はぁ、緊張したぁ」
私はダブルベッドに寝っ転がり、息を吐いた。潰れたリゾートホテルを改造したラブホの内装は思ったよりさっぱりとしていて、普通のホテルとの違いと言えば、ベッド脇にコンドームが置いてあることと、窓が木の扉で塞がれているくらい。お風呂もトイレと一緒になった小さなユニットバスだった。
「ああ、特別室って言えばよかった。失敗したぁ」
裕二が風呂場を覗き込みながら、後悔した。
「大丈夫だよ。逆に広いと緊張しちゃうかも。今度の楽しみに取っておきましょ?」
「そうだね! また、今度はそうしようね」
立ち直りの早い裕二は、私の横に飛び込んで来た。そしてそのままベッドの上で舌を絡めたキスをしてきた。舌を押し込みすぎよ! と思ったけれど、何も言い返さずに成すがままに体を
「ねぇ、服が皺くちゃになっちゃう。シャワー浴びましょ」
「うん。じゃあ、一緒に」
「ダメ」
「なんで」
「恥ずかしいから。先に入ってきて」
「ちぇっ、ケチ」
私は待っている間にバスローブに着替えた。手持ち無沙汰でテレビを点けると、いきなりAVのチャンネルが映し出された。
「キャッ!」
まだウブだった私は、誰も居ないのに顔を手で覆い、指の隙間からあられもない行為を垣間見た。大きなモザイクで知りたい部分が良く分からなかったけれども、乱れる女性の姿と聞いたことも無いような奇声に戸惑いと恐怖を覚えた。それが、AV女優の中でもへたくそな演技だと知るのはもっと後になってからだった。
――ガチャ。
風呂場の扉が開く音が聞こえて、慌ててチャンネルを変えた。映像はヘリからの生中継に切り替わり、どうやら、さっき見た海上での魔法少女たちの戦いを映し出しているらしかった。
「何見てるの?」
「なんか、さっきのマホショみたい。って、キャー!」
風呂場から出てきた裕二は肩にタオルをかけているだけで、何も隠していなかったのだ。私は今度はホントに目を覆った。
「何、驚いてるの? 小次郎の見たことくらいあるでしょ?」
「小次郎は小6よ! 全然違うもん!」
「そうか? 僕はその頃にはムケてたけど」
「わ、私も行ってくるね!」
私は裕二を避けるように風呂場へと駆け込んだ。
「はぁ……」
シャワーを浴びながらため息をついた。いつもは私の方がリードするのに、今日の裕二は何なんだろう? まだその頃、幼かった私は、童貞高校生特有の余裕の無さが裕二のワザとらしく下手くそなセックスアピールに繋がってるなどとは思いもしなかったのだ。必要も無いのに髪まで洗った私は、丹念にドライヤーを掛けてからバスローブの胸元をしっかり閉じて風呂場から出た。
裕二の待つベッドルームは、微かに匂いが変わった気がした。それが栗の花の匂いと判るのも後々のことである。今思えば、待ちくたびれた彼がAVを見て一発抜いたのだろうことは十分理解できる。何故なら、お風呂に入る前とは打って変わって、バスローブを着た彼は穏やかな表情でベッドに腰掛けていたから。
ベッドに二人して横になり、彼は優しく私の髪を撫でてきた。
「脱がすよ。美紀ちゃん」
「その前に、照明を暗くして」
「ああ」
薄暗がりの中、初めて素肌を合わせた。薄い筋肉と骨のゴツゴツした感触や、背中に回された手の暖かさ、堅くなってお腹に触れる異物の突っ張り。すべて、鮮明に覚えてる。もちろん、いまだに処女だということは、このまま成就とは行かなかったわけだけど。その原因は、いよいよ彼のモノを受け入れようと姿勢を変えた直後に訪れた。彼が一旦、重ねた私の体から離れ、私の足を拡げ、手に持った自らモノで狙いを定めようとした瞬間、いきなり部屋が真っ暗になったのだ。
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