第26話 夫婦

「さっきの話、ずっと聞いて……」

「まったく、私に気を遣わせるなんて朋子もまだまだね。それに、言っときますけど、さっきの話、彼女の勝手な解釈もいっぱいあってよ。特に旦那の事はちょっと惚気のろけたついでに文句みたいなこと言っただけで、とても良くしてくれているわ。だって、彼は彼は……、うぅ、ぐっすぅ」

 言葉に詰まった恵利華は、いきなりすすり泣き始めた。結婚前の彼女は、人に弱いところ見せるなんて無かったのに。

「おいおいどうした?! 大丈夫か恵利華?」

「うわーん!」

 彼女は堰を切ったようにギャン泣きして私に持たれかかってきた。こんなの、新人時代に仕事でミスした時以来だよ。しばらくして落ち着きを取り戻した恵利華は、突き飛ばすように私から離れ、背を向けてまた話し出した。

「旦那ね、凄い痩せてるでしょ」

「ああ、数年見ない間に随分とやつれたなぁとは思った」

「ガンなのよ」

「え?」

「手術は成功したけど、若いからいつ再発や転移が見つかるかわからない。姑は変な民間療法や祈祷なんかに狂っちゃって、旦那も性格的に母親に逆らえないし、そんなことにかまけてるから、ここ1年は私が事業を取り仕切らなきゃならなくなって、子作りに向き合う時間なんて無かった。でもようやく彼も仕事に向き合う気が出来てきて、子作りも30までは自然に任せようって。だから、哀れみなんて要らない。結婚して3年だけど、何十年も連れ添った夫婦みたいに私たちは強く結ばれてるから」

 最後、こちらに向き直った彼女の目は赤く腫れていたけど、その表情はいつもの強気な恵利華様のモノに戻っていた。

「椿先輩に話したらなんかスッキリしたわ」

「恵利華、あんた大丈夫なの?」

「朋子には黙っておいてくださいね。知らんぷりくらい私だって出来ますから」

「へぇ、他人に気を遣うなんて珍しいな」

「何をおっしゃるのよ。私はいつだって気遣いの人ですわよ。オホホホホ!」

『恵利華ー! 大丈夫かー!』

 化粧室の外から呼びかける声が聞こえてきた。

「旦那ですわ」

「心配してくれるなんて、優しいんだな」

「もちろん! 私のお眼鏡に掛かったんですから」

 そう言った後、恵利華は外の旦那に叫びかけ、化粧を直してから出て行った。そっと、その後に外に出ると、私には見せたことのないような穏やかな微笑みを心配そうに見つめる旦那に投げかけていた。その後、何事も無かったかのように会場に戻り、滞りなく結婚式は終了した。いつの間にかサングラスを掛けていた恵利華は夫を引っ張って会場を後にする。以前だったら、鬼嫁に引っ張られる可哀そうな旦那と思ったであろう光景が、今見ると、心配そうに恵利華を見下ろす痩せ細った夫の眼差しに心からの心配と優しさが溢れているように感じられるのだった。


「良い結婚式でしたね」

 帰りのタクシーで環が話しかけてきた。

「そうだね。旦那が勤めてたレストランだけあって、料理に手抜きも無かったし。しかし、午後から仕事だからって、飲めなかったのが残念だったなぁ。結構良いワイン出してたでしょ?」

「そう言うことじゃなくって、でもまぁ、フフフ、それでも良いかな」

「なんだよ? いきなり笑い出して気持ち悪いなぁ」

「色気より食い気の先輩に戻って嬉しいなって、ああ! 鳩尾グリグリしないで! お腹いっぱいなんですから、戻しちゃいますよ!」

「それだけじゃないよ。色々夫婦ってものを考えさせられたよわたしゃ」

 牧歌的な結婚式の余韻に浸りふざけ合う私たちを乗せ、12月にしては暖かい日差しの中を、タクシーは一路渋谷へと向かうだった。


「ほい、お土産!」

 結婚式で出た料理の余りをドギーバッグに詰めて司令部に持ち帰ったのだ。

「おお、大漁だぁ! 上手そうだけど、バター使ってねぇか?」

「青葉、付け合わせは分かんないけど、ブタの丸焼きは大丈夫でしょ。温めて来なさいよ。あ、電子レンジじゃなくて、オーブントースター使いなさいよ! 堅くなっちゃうから」

「青葉ちゃん食べ過ぎないようにね」

 ブタの切れ端を給湯室に運ぶ青葉を追いかけながら琴葉が心配して声を掛けた。

「でえじょぶだぁ。おら、いくら食っても太らねぇからよ」

「えー! 羨ましいなぁ」

 すでに2時過ぎだったが、豪勢なおすそ分けが有るのを司令部のスタッフ全員腹を空かせて待ち構えていたのだ。ある意味、職場のクリスマスパーティーみたいな気分で50過ぎのおっさん職員たちも食べ物に群がっていた。

「上司を呼ばないなんて、時代も変わったわねぇ」

 橘署長がオードブルを摘まみながら、話しかけてきた。

「なんか朋子は、東京は過去として全部捨てて行く気なのかもって思いましたよ。私たちには見せなかったドライな部分が彼女の中にはあるのかもしれないって」

「そういや、また今年もクリスマスは家族と一緒に過ごさないんですか署長?」

「うちは妻は元気で留守が良いってね。今日から父方の祖父の家に子どもたちは行ってるわよ。三が日明けに毎年定番のハワイに行くから、そこで家族サービスは挽回できるし」

「なんかバブリーですよね橘署長ん家って」

「何言ってんの、貧乏暇なしよ。息子二人のアメリカンスクールの学費は高いし、世田谷の家だってバブル末期に買ったからローンが大変だし。二馬力で稼がなきゃやってられないわ」

 橘署長は、わざと辛い思いしてるんじゃないかというほど馬車馬に働いてる気がする。地方に居る両親の協力を得られない彼女は、子供が小さい時は近所の託児所へ深夜まで預けて仕事をしていた。貧しいという程では無いが、わざわざ東京の大学に行かせるのはキツイ家庭から、学費の安い国立大学ならという条件で見事東大に合格して上京。同期入所のキャリアと20代末に結婚し、30過ぎて子供が出来たら退官するつもりが、バブルが弾けたために住宅ローンが重くのしかかった。女性の方が再就職が厳しいので彼女が公務員のまま残り、旦那はツテのある東京の一流商社マンへ転身。子供のお受験の面倒を見る暇が無いと考えて、二人とも小学校からはアメリカンスクールへ。最新のファッションに身を包み、業界関係者や政治家のパーティーに顔を出す。若い頃は、上司のゴルフにすら付き合っていたそうだ。

 実際、クリスマスに休んだって咎められないのに、一番忙しい時期にトップが休んでどうするという昔ながらの日本人なのだ。でも、これだけ頑張って、家庭を犠牲にして何を得ることが出来るんだろう? たぶん彼女は事務次官には成れないだろう。なぜなら、女性の事務次官が誕生したのだって去年になってやっと、戦後50年すぎてやっと一人だ。だからといって50過ぎてから天下って、のんびり過ごしてる所なんてもっと想像できない。


「橘署長はいったい何を目指してるんですか? そんなに頑張って」

「なによ椿。これ以上上がり目が無いのに何やってんのってこと?」

「そこまでは言ってないですけど……」

 まぁ、そういう事だけど。

「目指すものなんて無いわよ。ただ、自分が頑張りたいと思ったことを精一杯頑張りたいの。周りから陰口叩かれようが、後ろ指さされようが、私以上に頑張ってる人間にしかそれを言う資格がない、そして、そんな人間は一人もいないってくらいに頑張りたいのよ。そうしたら、後悔なんてしなくて済むじゃない。失敗に終わったって、自分の限界はそこまでだって納得できるから」

「嫌になったりしないんですか? ふと、空しくなったり」

「無いわね」

 署長はきっぱりと言い切った。

「私は、署長の様には生きられそうにないや」

「そうね。多少は期待してたんだけど、とっとと結婚して暇を持て余して噂話と悪口に精を出す専業主婦になるが良いわ」

 辛辣な毒を吐いた後、署長は料理のお代わりを取りに席を立った。

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