第23話 ピクニック

 クリスマスが目前に迫り、どこか浮ついた雰囲気が街を支配する。夜のパトロールで渋谷の空を飛べば、眼下にはイルミネーションの明滅が街を彩り、地上に降りれば、綿の雪やプラスチックの聖者でショウウインドウが飾られ、身を寄せあうカップルの群れがまるでこの世の支配者のように通りを練り歩く。

 一緒に宇田川町をパトロールする琴葉が苦虫を嚙み潰したような顔で呟く。

「こいつらみんなサラマンダーに焼き尽くされれば良いのに」

 過去の私なら、即座に同意の言葉を繰り出しただろう。だけど、今は違うのだ。

「椿先輩、気持ち悪いですよニヤニヤして。仕事中は左手の指輪外したらどうですか? 服務規程違反ですよ」

「魔獣が出てきたら外すからさ、そんなカリカリしないでよ琴葉ちゃん」

「なんか、椿先輩にちゃん付けで呼ばれるの気持ち悪いです。きゃっ! 抱き着かないでください!」

「あんたにもきっとイイ人見つかるって、クリスマス本番まではまだ数日有るんだから希望を捨てずにさ」

「そんな色ボケしてたら、絶対、足元すくわれますよ!」

 左手の薬指で神々しく光るルビーとダイヤが嵌められたゴールドリング。もちろん、こんな豪勢なプレゼントをくれるのはアランしかいない。話は、前日の朝に遡る。


 12月の刺すような寒さが心を清廉なものへとしてくれるよな、そんな朝の空気に包まれた明治神宮をアランと二人で歩いていた。

「留学して日本を離れるまでは、それほど神社仏閣や古い日本家屋に興味無かったんだけど。長く離れることによって、その不在が心の中で大きな位置を占めて来て、帰ったら見に行かなくちゃいけないという気持ちになったんです。中学の修学旅行以来訪れていなかった京都にも足繁く通うようになったのはその時からです。美紀子さんは良くこの辺りはいらっしゃるんですよね?」

「ええ。でも、明治神宮は結界があるのか、魔獣たちも避けるんですよね。なので、手前まで追い詰めて倒すか、代々木公園に誘導することの方が多いです」

「へぇ、それは興味深いな。神社仏閣ならどこでも結界が有るということですか?」

「そういう訳でもないですよ。拝金主義の生臭坊主がいる寺なんかは、逆に魔獣の発生源になってたりしますし。逆に、強い魔を封印している神社なんかは、他の魔獣も遠慮して近づかないなんてことも有りますけどね」


 参拝後、北に進んで芝生公園に出た。冬の平日なのもあり、人影もまばらだった。芝生の上にアランがシートを敷き、二人してなだらかな芝生の起伏とその先にある池を眺める。アランは珍しく大きなボストンバッグを持参していた。

「何が入ってるんですか?」

「ああ、お弁当を作って来たんです」

「え?!」

 ここで「言ってくれれば、私が作ってきたのに!」と言いたいところだけれど、それは無理な相談だ。だって、家事は裕二に全部やらせてたし、独り暮らしの頃も、料理なんか全然やってこなかった。だって、田舎と違って24時間好きな時に好きなものを大抵は近所で食べられるしさ。ファミレスだろうが牛丼屋だろうが一人で行けるし。ま、テイクアウトにするけど。ああ、母さんにちったぁ料理習っておくんだったなぁ。今からでも、料理教室行った方が良いのかしら。

「でも、ここは飲食禁止なんですね。見落としてました」

 注意書きの看板を見ながらアランは残念そうに呟いた。

「ああ、原宿方面に戻った記念館前のテラスでなら飲食OKのハズです。ちょっと風情が無いけど」

「そうだ、代々木公園まで行きましょう。ちょっと距離があるから、北参道側に出てタクシーを拾えば」

「アランさん。それなら、もっと良い方法が有りますよ」


「良いんですか、本当に」

「大丈夫ですから、背中に乗って下さい。救護者を運ぶこともあるので慣れっこですから」

 人気のない木の陰に隠れた私は、魔法少女に変身し、彼に私の背中におぶさるように言ったのだ。

「そこまで言うなら……」

 アランは私の首元に腕を廻した。

「ちゃんと脚も絡めないと落ちちゃいますよ」

「綺麗な衣装を壊しちゃいそうで」

「大丈夫! 魔法少女のドレスは頑丈ですから」

 しっかり背中に乗っかったのを確認すると、右手にステッキ左手に私とアランそれぞれの鞄を握り、飛び立った。

「凄い! 飛行機やヘリとは全く違う。まるで風船にでもなった気分だ」

「怖くないですか?」

「平気ですよ。美紀子さんが付いてるんだから」

「じゃあ、これはどうです!」

「きゃー!」

 悪戯心が出た私は、急降下を試みた。

「うふふ。アランさん、女の子みたいな叫び声上げてましたよ」

「ハァハァ。参りました! もう降りてお昼にしましょう」

 通り抜けできない明治神宮と代々木公園の境を飛び越え、人気の少ない奥まった広場に近い木立に着陸した。広場には数組の幼い子を連れた母親たちと老人、平日休みのカップルもチラホラ見える。シートを敷き、アランはクラブサンドイッチと赤ワインのボトルを取り出した。グラスのタンブラーに注ぎ、乾杯をする。

「お茶も有りますので、欲しかったら言ってください」

 もちろん、ミネラルウォーターのボトルも用意されていた。私は、アランお手製のサンドイッチを口に入れる。

「凄い。美味しいうえに、ちゃんとハーブの香りがする! 料理の腕も一流なんですね」

「レシピ本が優秀なだけですよ。でも、喜んでいただけて良かったです。本当はクリスマスイブの夜に過ごせれば良かったんですが」

「良いんですよ。大事な仕事なんでしょ?」

「ええ、前々から決まっていたことでして。相手方の事もあって変更が叶わなくてすいません。正月休みに入るまでは手が離せなくて。その代わり、美紀子さん」

 アランは私の左手を取り、リングを薬指に通してくれた。



「結局、クリスマスもクリスマスイブも一緒に居られないなんておかしくないですか?」

 パトロールから司令部に戻り、帰り支度をしている所で琴葉が言ってきた。

「だって、アランは一流の経営者なのよ! それを理解してあげるのがパートナーってものじゃない?」

糟糠そうこうの妻じゃあるまいし、もしかしたら、会えない理由は他に本命でも居るからじゃないんですかね? ギャッ!」

 私は、琴葉の首元に手を伸ばした。

「テメェ、言っていい事と悪い事の区別は付けとけよ。もう、ガキじゃねぇんだからよー!」

「先輩、首絞めちゃダメです! 琴葉ちゃん死んじゃいます!」

 居残り組の環がすっ飛んできて、わたしを後ろから羽交い絞めにしてきた。

「ははは、都会ってのはもっとドライでサバサバしてっかと思ったけんど。なんだぁ、歳関係なく仲ええなぁ!」

「青葉ちゃん! そうじゃないから! 早く先輩を引き剥がすの手伝って!」

 熊と戯れるほどの青葉にとっては、仲間内のスキンシップに見えたらしい。そんな青葉も、喋りと違って見た目は大変身を遂げていた。落ち着きを取り戻した私は、初めて見たそんな青葉の姿を見て唖然とした。


おかっぱ頭はおかっぱ頭だが、後ろが短く刈り上げられた上に、前髪もきれいにパッツンと切りそろえられ、服装もディ〇ールのタイトなブラックスーツを細身の体に押しこみ、化粧も大胆な紫のアイシャドウにバチバチのマスカラと、モード系バリバリのスーパーモデルと見間違うほどの変貌を遂げていたのだ。

「都会風に変えてこいとは言ったけど。これはちょっと、やり過ぎじゃないの環……」

「NG(ナイスガール)でお世話になってるスタイリストに頼んだら、なんか青葉ちゃんの事を凄く気に入っちゃったみたいで、マホショなんか辞めさせてパリコレに連れて行きたい! とか言い出す始末でして」

「まさか、青葉も乗り気なんてことはないでしょうね」

「大丈夫だ先輩! おら、バタ臭いもん苦手でよ。乳製品アレルギーっつうの? 心配しなくても、あんたの後任はしっかり勤めてやっからよ。カッカッカ!」

 青葉はスーパーモデルの容姿ながら、大きく口を開けて笑い、私の肩をバシバシ叩くのであった。

「なんか、辞めるの少し心配になって来たわ……」

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