第8話 29歳、一人の夜

 原宿方面に目を向けると、散発的に白やピンクの発光が見える。私は急いで表参道を引き返す。ラフォーレ前にある神宮前交差点にたどり着くと、目を疑う光景が広がっていた。

「なんじゃこりゃ?」

 なんと、残り7匹となったワーウルフたちが、お互いにじゃれ合っていたのだ。よく見ると、琴葉がワンコたちに向けて両手を前に突き出して、魔法を掛け続けている様だった。私は、傍観している環の元へ飛んで行き、問いただす。

「なんで、倒さないのよ?」

「私のセイクリッドフラッシュで弱った所を、琴葉ちゃんがピンキーラヴァーズソウルだかいう魔法を掛けて、ワーウルフたちが同士打ちを始めたんですけど……」

 環は、困惑した表情で頭を掻いた。

「どう見ても、お互い殺し合いしてる様には見えないけど?」

「私も最初のうちは、隙を突いて3匹くらい倒したんですが……」

「どうした環? はっきり言いなさいよ」

 私は口ごもる環に顔を突き付け問いただした。

「同士討ちじゃなくて、単にじゃれ合ってるだけと判ったら、何だか倒すのが忍びなくて」

「はぁ? 何言ってんの」

「だって! あんなモフモフのフワフワわんこが目をハートにして楽しそうにじゃれ合ってるんですよ! 可愛すぎて、殺すなんて無理ですよぅ!!」


 環はロリコンにとどまらず、住んでいる表参道の高級マンション――なんと家賃50万! つうか私が15万なのになんで環は50万の物件に住んでるんだよ! はぁ、人気の差がこうも待遇に表れるとは――をぬいぐるみで埋め尽くすほど、無類のカワイイもの好きなのだ。犬猫も大好物だが、忙しくて面倒を見切れないということで泣く泣く飼うのを断念している。そういうわけで、デカすぎるアラスカンマラミュートみたいな連中を殺傷できないでいた。って、おいおい……。

「確かに、ムツゴ〇ウどうぶつ王国かふれあい動物園みたいな画面えづらだけどさぁ……」

「でしょでしょ? 先輩、捕まえて動物園送りにしましょうよ!」

「バカか! 現場判断でそんなこと出来るわけないでしょ。ああもう!」

 ワーウルフの顔は、先ほどまでとは打って変わって柴犬のような愛嬌ある表情に変わっている。しかも腹を見せて道端に寝転がったりと、戦意は完全に喪失しているのだ。しかしこのままにしては置けない。私は、10メートル先の新人に声を掛ける。

「おい琴葉!!」

「なんですか!!」

「同士討ちさせなよ!!」

「そうしたいんですけど、コントロールが上手く行かなくって!! もうちょっと弱れば出来るかも知れません!!」

「ああ、くそ! 私が始末する!!」

 私はステッキをまた炎の剣へと変え、一匹ずつ息の根を止めて行った。

 ――クーン……。

「ううぅ……、可愛そう」

 環の嘆きを無視し、無防備な魔獣どもを私一人で片付けて行くしかなかったのであった……。


 後始末などもあり、帰る頃には、パーティーもすでにお開きになっていた。というわけで、井の頭通りにある司令部に帰還し報告した後、神山町にあるマンションへ歩いて帰ってきた。

「ただいまー!」扉を開けて声を掛ける。「って、居ねぇのかよ」

 部屋の電気が点けっぱなしになっていたが、恋人から降格し居候となった裕二は居ないようだった。居間に入って行くとローテーブルにメモに書かれた走り書きを見つける。

『大学の先輩に誘われたので呑み行ってきます。冷蔵庫におでんと、ご飯は冷凍してあるの使って下さい』

「あたしゃ鍵っ子か!」

 深夜の静けさに、寂しく声が響き渡った。今の1LDKに腰を落ち着けてから、もう5年が過ぎた。ここに来る前は、やれ三茶だ! 青山だ! 代官山だ! と頻繁に引っ越しを重ねていたけど、煌びやかな憧れの東京生活も次第に色褪せ、職場から歩いて10分も掛からないのに、代々木公園にも近く落ち着いた奥渋谷の雰囲気が何だか体に馴染むのだ。


 冷蔵庫から耐熱容器に入ったおでんを出して、レンジで温めた。温まったおでんをローテーブルに置き、冷蔵庫に戻ってワンカップを取ってくる。床に座り、箸をがんもどきに伸ばした。

「裕二の奴、出来合い使いやがったな」

 裕二が転がり込んで来たのは2年前、サボり癖が祟ってバイトを首になり、新しい仕事を探しそびれている間にアパートを追い出されることになった。その後、色々あって、うちに落ち着くことになったのだが、最初の取り決めで小遣い2万円を与える代わりに掃除洗濯料理はすべて彼が引き受けるということになっていた。

 プルタブを引っ張り、ワンカップを開ける。

「ぷはぁー! 生き返るわー」

 ごくごくと半分ほど飲み干してから息を吐いた。黙々とおでんを突きながら、ワンカップを飲み干し、もう一本取ってくる。ふと視線がテレビのリモコンを捉えるが、電源を入れる気にはならない。何故なら最後に合わせたのは確か6チャンネル。このまま電源を入れれば、11時台のニュースが映るからだ。

「何が悲しゅうて、自分の姿を見なきゃならんのだ」


 最近、独り言が増えた気がする。裕二は仕事も無いのに、夜に出歩くことが増えてきた。疲れて帰ってきてるのに、深夜に台本読みするのを叱ったからだろうか? 外食する気も最近起きなくなって、独りマンションで食べることが増えた。

「まじヤバいかもしんない」

 得体の知れない恐怖が襲ってくる。いや、分かってる。何か十分理解してるから怖いんだ。私が養ってやっているんだと強がっても、もうすぐ捨てられるんじゃないか、18の頃の一生守ってやるなんて言葉は、意味なんかなくて、何度喧嘩別れしても結局は元鞘に戻れたのも、全て……。

「シャワー浴びる!」

 言葉に出さないとマイナスの妄想を振り切れない気がして、やけくそ気味に呟いた。ブラウスを脱ぎズボンも脱いで持ち上げた時、アランの名刺が床に落ちた。裏側が表になり、手書きの携帯メールアドレスが見える。


「はっ!」

 気がついた時には、アドレス登録を完了し、お礼の文面を打ち込み終わっていた。ここまでほとんど無意識に行動してしまっていたのだ、下着姿で。

 今日はありがとうございました。の文面が有効なのはあと5分。夏でもないのに額に汗がにじむ。

 ――人類最強を謳われる魔法少女よ! 残りは3分しか無いぞ!

 別に人生の大きな決断なんかじゃない。ただのメール一つで人生が変わるわけでもないし。なのにどうして、どんな魔物と戦うよりも苦しいんだろう?

 裏切り? いやいやアイツとは別れたし! それにそれに……。

「あいつが帰って来ないのは、浮気してるからかもしんないじゃん!」

 十字キーの中央にあるボタンをプッシュし、送信を完了する。

「アランは忙しいし、そんな早く返信は帰って来ないよね」

 36分後……。

 アランからのメールが届いた。それまでの間ずっと、下着姿のまま突っ立っていたのは言うまでもない。

「夜分遅くに返信するのをご容赦ください。だってよー!!」

 浮かれて小躍りした後、そのまま即返して数回メールのやり取りをし、非番の来週火曜日にアランとのランチの約束を取り付けたのだった。

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