六億の憂鬱

エリー.ファー

六億の憂鬱

 私は今日も憂鬱だった。

 憂鬱ではない日などないのだが。

 とにかく。

 私は今日も憂鬱だった。

 数えてみたら。

 六億あった。

 私の頭の中にある。

 丁度。

 六億の憂鬱。

 気が付いたときには憂鬱が頭の中で渦巻いていたのだ。数え始めたのは、確か小学校に上がったくらいだっただろうか。当然のようにネガティブな性格は、あれもしておいたほうがいい、これもしておいたほうがいい、というように私に勉強をさせた。

 最早、そこに私の意思が介在していると思えないのは、憂鬱というのはある種の意思を持った別の生命体として認識した方が存在を受け入れやすかったためだ。

 私は、私ではない六億の何かに蝕まれた存在である。

 こう思うことが、憂鬱な要素を六億個から六億一個に増やさないための秘訣だった。

 小学校では、誰かが理解してくれると思った。父親と母親は何かと心配してくれたけれど、やはり血の繋がった存在だったし、理解も早い。血の繋がっていない本当に他人と言える存在からの共感さえ得られれば変わると思った。

「悩みの種が六億もあるんだ。憂鬱なんだ。」

「きもい。」

 三文字で蹴散らされた。

 本当なのだ。

 本当に、六億の憂鬱が浮かび上がってくるのに。

 そんな言葉が口から出かかった瞬間。

「目立ちたいだけでしょ。」

 とどめが刺された。

「ていうか、六億も悩みがある訳なくない。」

「六億とかキモイ。」

「いや、綺麗に六億個とか、逆に怪しくない。」

「怪しいよ、絶対ただの目立ちたがり屋だって。」

「目立ちたがり屋。」

 それだけで終わった小学生時代。

 そんなこともあり、いじめから逃げる様に別の地域の中学校へと通うことになった。

 場所が変われば他も変わると本気で思ったのだ。

「六億の憂鬱があって。」

「は。何が。」

「だから、六億の悩みの種とか、憂鬱が頭の中で渦巻いてて。」

「マンガ読みすぎの目立ちたがり屋でマジキモいんだけど。」

 何一つ変わらなかった。

 所詮、人は自分以外の人がどのような悩みで苦しんでいるかなど興味もない。むしろ、それが特異であればあるほどいじめる対象としては十分だ、という判断までする。

 中学生になるまでにそれが分からなかった。

 結果的には、それが不幸を加速させていたのだ。

 悲惨な中学時代を過ごすと、高校生になった頃には多くのことを学び、人と話さないようになっていた。

 誰かと下手に仲良くなり心を許してしまうと。

 どうしても六億の憂鬱を打ち明けたくなるのである。

 憂鬱の数が増えているのではないか、という不安が、結果、五億九千九百九十九万九千九百九十九に一つ足される、六億個目の憂鬱になっているのだ。そんなことを切り口にして、六億個の憂鬱を聞いて欲しかった。

 しかし。

 六億の憂鬱って、目立ちたがりもほどほどにしろよ。

 こんな目立ちたがり屋に付き合いきれねぇよ。

 目立ちたがり屋、あっちいけよ。

 言葉が頭の中が飛び回る。

 当然、行動はしなかった。

 大学生になり。

 社会人になり。

 休日、自分の部屋で憂鬱な気分のまま、ソファーでため息をついていると、呼び鈴が鳴った。

 扉の外を見ると、薄暗く、陰気臭く、幽霊のような男がこちらを見つめていた。

 一瞬、息が止まったが、不思議と導かれるように、何の躊躇もなく扉を開けていた。

「あの、どちら様でしょうか。」

「貴方ですか。良かった。」

「あの、何がですか。」

「貴方は、六億の憂鬱が常に頭の中で渦巻いているとか、その。」

「は、はい。そうです。それが、何か。」

「十二億です。」

「は。」

「僕の憂鬱の数、十二億あるんです。」

 それから私は、その男の話を近くのレストランで聞いた。身の上話から始まり、数多くの憂鬱に頭を占拠されながら生き続けることの苦しさも語ってくれた。当然、その多くが共感できるものだった。

 そして。

 私は男が語る、憂鬱を一つ一つ聞いてあげた。すると、確かに十二億。

 十二億の憂鬱だったのである。

「ありがとうございました。十二億の憂鬱が減ることはありませんでしたが、何となく心が軽くなったような気がします。本当に、本当に有難うございます。六億の憂鬱を持った貴方なら聞いてくれると思ったんです。有難うございます。あぁ。嬉しい。嬉しい。」

 レストランから出ると、男は涙を流しながら感謝の言葉を呟いて、私から離れて行った。僅かに雑踏の中に背中が消え始める。

 すると。

 携帯電話が鳴っていた。

 母だった。

「もしもし。最近、実家に帰ってこないけど、大丈夫なの。ほら、昔っから六億個も悩みがあるとか言ってるでしょ。大丈夫なの、元気なの。」

「あぁ。母さん。今ね、十二億の憂鬱に苦しんでるっていう人に会ったんだよ。」

「あら。」

 男がこちらを向いて涙を拭きながら笑顔で手を振っている。

 私も笑顔で手を振り返した。

「あれどうせ、ただの目立ちたがり屋でしょ、冷静に考えて。あり得ないって、十二億とか。」

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