時計塔の番人~紗のかかった文字盤

鵜川 龍史

時計塔の番人~紗のかかった文字盤

 どうしたんです、こんな高いところまで上がって来て。

 ああ、時計の文字盤が見えないって。黒い靄みたいなのが掛かってるんでしょう。

 雲じゃありませんよ。いくらなんでも、そこまで高くはないですよ。

 何と言っても、時計塔ですからね。

 ただ、申し訳ないが、ここに来たからといって、文字盤が見えるわけじゃないんですよ。確かめたければ、どうぞ。そこの横の扉から、文字盤を覗けますから。鍵はかかってませんよ。かける意味がありませんからね。

 ああ、落ちないように気を付けてください。たまに、下から突風が吹き上げてくるんですよ。昨日も、外国から来た旅行者が、足を滑らせて、ね。下の石畳、まだ汚れてたでしょ。え? そんなことはなかった? ああ。うちの若いのが、ずーっとゴシゴシやってたからなあ。後で褒めてやんなきゃ。

 何です? ああ、話が聞きたいんですね。どうして、文字盤に紗がかかってるのかって。

 彼女が――ああ、彼女っていうのは、この時計塔のことですが――この町にやってきたのは、今からちょうど百五十年前、俺の爺さんのそのまた爺さんの時代だって聞いてます。今みたいに、どこもかしこも同じ時間、っていう時代じゃなくて、国によって領主によって、いろんな時間が自由に許された時代です。

 ここの村も、そのころはもっとのんびりした時間が流れてたらしいですよ。一年は四百日ぐらいあったし、一週間だって、八日だったり九日だったり。いやあ、神様だって、六日も働いたら、二、三日は休みたいってもんでしょう。

 一日は四十数時間、日によっちゃあ五十時間以上あったみたいです。

 この村にもともとあった時計塔は、半周で二十四時間。残りの四分の一で十二時間。でも、左上の四分の一は、何も書かれてなくって、俺の爺さんのそのまた爺さんの頃は、日によって文字盤を掛け替えてたって話ですよ。

 見たい? それがねえ。色々あって、一枚も残ってないんだよね。

 百五十年前に、彼女が――この時計塔が嫁いできたんですよ。もともとこの村にいた時計塔のところに。

 当初の予定じゃ、二つの時計塔がうまくバランスをとりながら、やっていくはずだったんです。自由気ままな村の時計塔と、都会からやってきた清廉で純真な時計塔とで。

 ほら、横から覗いていやってくださいよ。綺麗な顔してるんだ、この時計塔は。

 何? 嫌だって? ああ、昨日旅行者が落ちったって話ね。冗談ですよ、冗談。だって、地面は汚れてなかったんでしょ。だったら、俺の話も冗談なんだって。そういう風に決まってんだよ。

 まあ、いいや。とにかく、彼女の文字盤の美しいこと。目盛りのバランスも完璧。一周はきっかり十二時間。一日に二周する計算だね。針の進みは一定で、疲れたからって遅れたりなんかしない。雨の日も雪の日も、嵐の日だって絶対に休まない。

 この村にいた方の時計塔は、その彼女にぞっこん惚れこんじまった。それで、気持ちを入れ替えたらしいんですよ。自分も一緒の時間を刻むんだって。

 でもね、針の歩みを合わせようとして、目盛りの幅を等分にしてみたところで、一周四十八時間の文字盤だ。彼女と一緒に時を巡ろうとすれば、四倍の速さで時を刻むことになる。

 村の時計塔はみるみる老いていったそうです。俺の爺さんのそのまた爺さんと、その仲間の職人たちが総がかりで補修したらしいんですが、直すより壊れるスピードの方が早くて。

 それでも、最初のうちは、みんなどうにかしてやろうとしてたらしいんですが、一年経ち二年経ちするうちに、みんなどうでもよくなってきて。だって、正しい時間は、新しくやってきた彼女の方を見ればいいわけでしょう。

 必要とされなくなった時計の末路は、哀れなもんです。立ち枯れた木みたいになって、始めに階段が崩れたそうです。次に短針が折れて、地面に突き刺さった。最後に長針が真上を向いて止まって、そこに雷が落ちた。

 ああ、もちろん、その時には彼女の方も長針が上を向いていましたよ。でも、彼の方が少しだけ背が高かった。だから、雷は彼にだけ落ちた。

 彼女のことを守ったのかもしれない、なんてのは、ちょっとロマンチック過ぎる想像ですかね。でも、俺はあながち間違いでもないと思ってるんです。

 だって、その日からなんですよ。彼女が文字盤を真っ黒な紗で覆い隠すようになったのは。

 そう。彼女はあの日からずっと喪に服してるんです。未亡人なんですよ。

 それじゃ、文字盤が見えないじゃないかって? そんなことは、大したも問題じゃないんですよ。だって、あの時――彼を喪ったあの瞬間、彼女の時間も止まっちまったんですから。雷が落ちた十二時ちょうどの時間でね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時計塔の番人~紗のかかった文字盤 鵜川 龍史 @julie_hanekawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ