慌てた生霊
梅宮香緒里
間違い
どうやら俺はいつの間にか、とある女性に殺したいほど恨まれていたらしい。
ある夜、俺はいつものように風呂に入っていた。すると突然、俺の後ろの壁からホラードラマによくあるような白い服を来て髪の毛を前に垂らした人が出てきた。思わず声を上げそうになったけど、大体ドラマだと声あげると終わりみたいなところがあるから、声を抑えて、冷静になってみた。ところが、冷静になりすぎたせいか、俺は意味不明なことを言ってしまったのだ。
「服の裾、濡れますよ?」
あまりに間抜けすぎて、幽霊さんも思わず固まって、「は?!」っていう声を出していた。数秒の後、幽霊さんも元は人間だったせいか、服の裾を少したくし上げていた。この段階でもはや呪うとかそのレベルじゃなくなってきていて、俺自身もありえないほど冷静になっていたからその幽霊さんをそのまま風呂場から出して、リビングに座らせた。俺も着替えるとすぐにリビングに向かった。
数分経ったあとだというのに彼女はおとなしく座っていた。
「なにか飲みますか?」
「え……えっと…じゃあお味噌汁。」
渋いっ!思ったけど絶対言ったら殺されるから言わなかったけどめっちゃ渋い!
「わかりました。少し待っていてください」
立ち上がると、台所に入り、鍋に水を入れると、コンロにかけた。同時に冷蔵庫から豆腐とネギを出し、切る。もちろん手は洗ってある。
「あのー、インスタントでいいですよ?」
いつの間に後ろに来ていたのか、幽霊さんに声をかけられる。驚いて危うく手を切るところだったが、なんとか抑えて答える。
「なんか俺インスタントの味噌汁ってあんまり好きじゃなくて。インスタントはインスタントの味があると思うんですけど、どうしても俺は出汁から作りたい人間で。」
「そうなんですか、お料理、上手なんですね。」
「いえいえ。あと5分位でできますから座って待っていてください」
そういうと幽霊さんは音もなく離れていった。
「お待たせしました。できましたよ。」
お盆の上に2つお椀を載せると、リビングの机に運ぶ。幽霊さんは疲れていたのか、机に突っ伏していたが、俺の声を聞くと慌てて顔を上げた。彼女の頬に一つの涙がこぼれた。
「いただきます。」
「いただきます……」
味噌汁をすする音と、箸がお椀を突く音だけが部屋に響く。
しばらくして、ふたりとも食べ終わると、俺は食器を下げて、常温の麦茶をコップに次ぐと、机に座り直した。
「で、なにかあったんですか?」
そう問いかけると、幽霊さんは思い出したように顔をあげた。その顔は、さっきの美人の顔とは打って変わって、とても恐ろしかった。
「あんたのせいで私は就職試験に落ちて、親からも馬鹿にされた。お前を一生許さない」
確かに怖かっただが、俺は一つ引っかかることがあった。
「あの、俺、まだ大学二年生なんですが…」
恐ろしい顔をしていた幽霊さんが一瞬キョトンとした顔をした。
「就活も来年だし、あなたも見覚えないし…」
しばらく黙った後、幽霊さんは恐る恐る口を開いた。
「えっと、ここって503号室の井口さん…?」
「ここは504号室の梅宮さんですね」
そう事実を告げると、幽霊さんはしばらく固まったあと、慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい!部屋間違えました!」
俺は部屋を出ていこうとする幽霊さんの袖を掴んだ。あ、掴めるんだ、これ。
「ちょっと待ってください。袖振り合うもって言います。ここまで聞いてしまったので、俺に話してみてください。」
幽霊さんはしばらく黙ったあと、とことことリビングに戻ってくると、さっきの位置に座った。
「すみません。人違いをしてしまって。」
「大丈夫ですよ。」
「実は、私はとある大手企業の最終面接まで行ったんです。その企業は少し特殊で、その最終面接は自分の希望部署ごとに行われ、そこから何人か選抜されていく形でした。私の希望していた部署は3人が選抜試験に合格できるところでした。その日、本来5人だった受験生は、一人が遅刻していたせいで、4人になっていました。私は今までの試験も手応えを感じていたので、今回も大丈夫だと思ったんです。」
そこで幽霊さんはコップの麦茶を一口飲んだ。つられて俺も一口飲んだ。常温の麦茶が、味噌汁で温まった口を冷ましていく。
「ところが、途中で遅刻していた人が来たんです。しかもその人、朝私にいちゃもんをつけてきたんです。駅員さんとか色んな人が証言してくれたので、私はすぐに帰れたのですが、その人は警察となにやら話すことになっていたんです。で、遅刻してきた上にそんなトラブルを起こしているので、さすがに受かることはないだろうと思っていたんです。でも、彼の言葉は、どこからが嘘でどこからが本当なのかはわかりませんが、面接官にとても高評価でした。その結果、彼は遅刻してきたのにも関わらず受かって、真面目に頑張った私は不採用になりました。」
彼女の黒い瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。俺は机の横に刺さっているティッシュ箱から、ティッシュを一枚取ると、彼女に差し出した。彼女は小さく礼をいうと、涙を拭いた。
「前日の夜に、私は親に最終面接まで行ったし、多分受かったと思う、という連絡をしていたんです。なのに、こんな結果になってしまって、親は、どうしてかはわかりませんが、慰めてくれずにただ馬鹿にされたんです。『絶対大丈夫だとか油断するからだ』と。しばらくは他の企業で働いていたのですが、親が何度もこの就職試験の話をするので、とうとう我慢ができなくなって、遅刻してきた男を恨んでいるうちになぜか生霊になってしまいました。で、呪いに来たはずなんですが、部屋を間違えてしまって。」
彼女は泣きながら笑った。俺は思わず手を伸ばして彼女の頭を撫でていた。一瞬からだを強張らせたものの、そのまま俺の胸の中にもたれこんできた。
しばらくして、俺は彼女が寝息を立てたことを確認して、予備の布団をリビングの端に敷き、彼女を寝かせた。少し肌寒いため、風邪をひかないように掛け布団をかけると、俺はそのままソファに収まった。最初のころは起きるかなと彼女の顔を眺めていたものの、しばらくして俺も眠くなってきたため、俺はそのままソファに寝転び、まぶたを閉じた。
次の朝、いつもとは違う周りの風景に、一瞬戸惑うものの、すぐに昨日の出来事を思い出した。ふと体を起こし、昨日彼女を寝かせた布団を見やると、きちんと布団にくるまって平和な寝息を立てていた。俺は起き上がると、台所に向かい、二人分の朝食を作る。いつもはパンと牛乳という簡素なものだが、今日は少し奮発して、卵焼きと味噌汁も追加した。洋食と和食が入り混じっていることに途中で気がついたものの、どうでもよくなってそのまま机に並べた。配膳が終わる頃、物音がして、彼女が眠い目をこすりながら起きてきた。どうやら、幽霊でも眠いらしい。
「あ、おはようございます。」
ものすごく自然な流れで俺に挨拶したあと、数秒フリーズした。
「あ、昨日はすみませんでした!部屋を間違えた上に泊まり込んじゃって…しかも朝食まで…」
「あ、いや、大丈夫だよ。今日は用事ないから。それにしても幽霊って寝るんだね。」
「あ、あの、私人間です。」
「はい?」
突然告げられた事実に今度はこちらがフリーズする。
「昨日の晩に本体もこっちに移してきちゃいました。」
「本体って言っちゃうか。というか移動できるんだ。便利だね、生霊って。」
「そうでもないですよ。わりと体力使いますし。」
「そっちなのね。」
「あと生霊になって人を呪いに行ってるときに宅急便来ても取れないですし。」
「案外に現実的な悩みだった。」
俺たちは話しながら椅子に座った。普段は空いている反対側に人がいるという現実が、俺には少し嬉しかった。
食べている間も不思議と会話は途切れなかった。楽しそうに笑う彼女を見ると、どうしても彼女が他人を呪い殺そうとした人とは思えなかった。
「ああ、そうだ、昨日言ってた隣の井口さんはどうなったの?」
「あ、本体を移すついでに呪い殺してきました。」
「ちゃっかりと本来の目的遂げてるし。」
食事が終わってもそのまま俺達は話し続けた。彼女と話しているのが本当に楽しかった。
「っていうのが大まかなお話かな。」
「へー、パパって強いんだね。」
「いや、今から思ってもあれはすごいと思う。今あんなことされたら絶対こわくなって逃げ出すもん。」
「私も怖かったわよ。」
リビングの扉から急に女性の声がする。顔は見なくてもわかる。妻だ。
「井口さんが死んでますって警察に駆け込んでも最初は信じてもらえなかったよな。生霊が殺しに来ましたって。」
「ほんとに」
俺は頷くと、膝の上の娘の頭をなでた。
一つの間違いが、こうして平和な家庭をもたらしてくれたのだがら、間違ってくれてよかったと思うべきだろうか。
慌てた生霊 梅宮香緒里 @mmki_ume
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