VOL.3
『おはようございます。朝ですよ!』
俺の耳元で、独特のアクセントの日本語が耳に飛び込んできた。
俺はシュラフの中で目をこする。
俺が普段使っている、ネイビーブルーのエプロンをして、紺色の半袖Tシャツにジーンズという姿をしていた。
俺が彼女の依頼を引き受けたその日から、彼女は俺の『ネグラ』に泊まり込んでいる。
彼女曰く、
『私の家はどうせ父の部下に見張られているのは分かっている。それに私の国では一旦婚約を決めたら同じ家に住まないと不自然だという風習がある』だそうだ。
しかし俺は『婚約者』だといっても、あくまでもビジネス上のものだ。
彼女は依頼人、俺はただの探偵なのだ。
『私はそれでも構わない。むしろ二人が一緒に寝ないと、その方が不自然でしょ?』
(本物の婚約者がいるってのに、随分大胆なことを言うお嬢さんだな・・・・)
腹の中で俺は苦笑した。
だが、俺はそれほど不道徳な人間じゃない。
俺の『ネグラ』は事務所のあるビルの屋上、かっこよく言えば『ペントハウス』である。
広さは八畳ほどのリビング兼ベッドルーム、トイレ兼用のユニットバス。それだけだ。
かくして俺はネグラの隣、つまりはテラスと呼んでいるコンクリート張りの広々とした屋上に、シュラフに潜り込んで寝ているという訳である。
確かに寝苦しいには違いない。おまけにまだ八月の終わり、暑さはなかなか去ってはくれない。
皮肉な話だ。
自慢話は好きじゃないが、陸自のレンジャー訓練で、着のみ着のままで土の上で横になっていたのが、役に立つなんてな。
あれに比べればこんなもの、屁でもない。
『朝ごはんの用意が出来ましたよ』
もう三日、彼女はこうして俺を起こしに来てくれる。
ドアを開けて中に入ると、丁度二人分の朝食が用意されていた。
スクランブル・エッグにバター・トースト、コーヒー、コーンスープにサラダ。
スープは流石にインスタントだが、それ以外は全部彼女の手作りだ。
外のテラスでは、ボロの洗濯機が音を立てて回っている。
俺は 『いただき・・・・ます』と、ぞんざいに言ってから食事を始めた。
朝の挨拶をして、メシを喰うのは、もう忘れるぐらい前の事だ。
目を開けると、誰かが目の前にいる。
こんな朝の光景に、何だか尻の当たりがもぞもぞする。
時々、彼女はこちらを見て、ニコリと微笑む。悪い気はしない‥‥悪い気はしないが、やっぱり気になる。
洗濯機が終了の合図を告げると、彼女は俺より少し早く食事を済ませ、
『ごめんなさい』
そう言って表に出て行った。
俺は急いで食事を済ませ、シャワーを浴びる。
いつもならバスタブに湯を一杯に張ってどっぷり浸かるのだが、このところそれもしていない。
頭を拭き、下着を着け、リビングに出ると、急いでクローゼットからスウェットを取り出して着た。
幸い彼女はまだテラスだ。
風に乗って彼女の鼻歌が聞こえてくる。
何となくエスニックな節回しの曲だ。
恐らく彼女の故郷の歌なんだろう。
俺はリビングに腰を下ろし、飲み残しのコーヒーを口に運んだ。
家の中に俺がいて、外では女が鼻唄混じりで洗濯を干している・・・・。
ふいに彼女が中に入って来た。
『今から食器、洗いますね。そのままにしておいてください』
彼女が笑った。
咳ばらいをし、今度は俺が出ていく。
『あら、中にいればいいのに』彼女が言う。
何も答えず外に出て、ネグラの端、洗濯機の隣にある木のベンチに腰掛ける。
洗濯物がピンと張り、ロープの上で風に揺られてワルツを踊る。
また彼女の鼻歌が聞こえ、食器がカチャカチャと触れ合うリズミカルな音が俺の耳を打った。
自分が動かなくても、誰かが洗濯をし、食事を終えた後の器を洗ってくれる・・・・。
俺は今まで、何でも一人でやるのが当たり前だと思って生きてきた。
誰かに頼らねばならない時はビジネスライクに、それでいいと思っていた。
しかし、今俺の生きている空間には、金づくとは別に、何かを俺の為にやってくれる人間がいる・・・・そういう人間がいてくれる世界・・・・何て素晴らしいんだろう?
(このまま、時が止まってくれるといいんだが)
俺にしては甘っちょろい考えが頭の中をよぎった。
いかんいかん。
俺はただの探偵だ。
たかだか一週間、彼女のお
そうして昼になり、夜が来て、また朝が来る・・・・・
七日間はあっという間に過ぎ去り、八日目の朝が来た。
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