こぼれた気持ち

 結局その日の放課後、修理をすることになった。

 修理はむしろ女子のほうが積極的だった。むしろ男子で協力すると言ったのは、志賀原のグループの数人だけだった。

 大声で文句を言っていた男子たちはさっさと出ていってしまったし、ほかの男子も「ごめん、オレも部活あるし……」「早く帰らないとだから」と帰ってしまった。

 でも志賀原は文句など言わなかった。

「大丈夫だよ、アイツらの言う通り、全員でやろうったって、くす玉はひとつしかないから、かえって進まないし」

 そんな志賀原には、もちろん恵梨も進んで言った。

「私も手伝うよ」

「私も!」

 恵梨のうしろから梨花も言ってくれる。

「ごめん、私は今日ピアノ教室があって……」

 おずおずと、佳奈が言った。グループの恵梨と梨花が残るのに、それに一緒にいられないのはうしろめたいのだろう。

「実は私も、今日お母さんに早く帰ってきなさいって……」

 美里も言う。

「いいよいいよ! 遅れたら困るし行きなよ!」

 でも梨花はなにも怒らずそう言ったし、恵梨も同じ意見だった。手の空いている子で作業すればいいのだ。

 そして作業ははじまった。芯の粘土を作る役、外に貼る紙を切る役……確かに、十人に満たないくらいの人数でもじゅうぶんだった。

 柚木先生は「下校時間までには帰りなさいよ」と言って、でも「ごめんね、今日は職員会議だから……下校時間には見にくるね」と言ってしまった。なのでクラスメイトだけで作業をすることになったのだが、意外とその場は明るかった。

「志賀原くん、かっこよかったよね! オレがやる、とかさ」

 女子の一人が折り紙を切りながら言って、梨花がそれに答えた。

「ほんとほんと! 考え方がオトナだよねー」

 あちこちから褒められて、志賀原はまた気まずそうに髪をくしゃっとやった。

 委員長である志賀原は、自ら作業をすることなくくす玉の設計図を見ながら「ここはこうして」とか「紙はあとどのくらい」と指示していく。みんなそれに従って作業を進めていった。

 協力し合ったので、下校時間を目の前にしていたけれど、くす玉の修理はなんとか終わった。

「はー! 大変だったけど今日中にできて良かったぁ」などと言い合うクラス内は、給食のときの険悪な空気が嘘のように明るい空気で満ちていた。

「むしろ前よりいい出来になったんじゃない?」

「絶対良くなってる! 文句言ってた男子も、これ見たら考え直すかも」

「明日見せつけてやろうよ!」

 そんなふうに言い合って、笑った。

「みんな、ありがとう。オレが簡単に『ウチのクラスでやる』なんて言っちゃったのに……」

 志賀原は申し訳なさそうに言ったけれど、もちろんみんな首を振った。

「じゃ、後片付けはオレと……あと数人でいいから、みんなは先に帰れよ。もう下校時間だし」

 その場に散らばっていたのは折り紙が少しと、粘土の箱が空いていて少し床に落ちているくらいだ。全員で取り掛かるまでもない。

 それを見て、みんな納得したようだ。これもやっぱり、全員で取り掛かることではない。

 作業に見合った人数で取り組むこと。そちらのほうが効率的であると、今回のことで知ることができた。

「そうだねー、じゃ、お願いしようかな」

「悪いけど帰るね。お先ー」

 次々にみんな帰っていって、残ったのは恵梨と梨花だけだった。

 「最後の片付け、やるよ」と恵梨が言ったのだ。そして志賀原は「悪いけど、協力してくれると助かる」とそれを受けた。

 まずほうきで床を掃いて、紙切れを集めた。次に粘土を集めて、余ったものを箱に入れようとしたのだけど。

「あれぇ、くっついちゃってるなぁ」

 梨花が拾った粘土の一部が床にくっついてしまって、うまく取れなかった。

「困ったね」

 梨花はどうしたものか、という顔で眉を下げた。

「確か、図工室にヘラがあったと思う。それを使えば綺麗に取れるんじゃないかな。まだ固まってないし」

「あ、そっか! 工作に使うアレだね」

 志賀原の言ったことに梨花は、ぽん、と手を叩き、言った。

「じゃ、私がひとっ走り取ってこよう!」

「え、いいよ、オレが……」

 志賀原がちょっと目を丸くして言ったが、梨花は軽く手を振った。

「いいよいいよ、すぐそこじゃん」

 確かに図工室は五年生の階にある。階段をのぼってきた、教室と逆側の突き当り。そう遠くもない。

 行ってくるねー、と梨花は足取り軽く出ていってしまった。

 気づかってくれたのだ、と恵梨にはわかった。せっかくの機会だ、志賀原と二人にしてくれるために。

「高村は行動的だよな」

 出ていった梨花を見送って、志賀原が言った。恵梨はそれに頷く。粘土を取ってしまえば終わりなので、使った道具を片付けながら。

「うん。すごくフットワークが軽いよね。なんに対しても積極的で前向きだし……」

「見習いたいよな」

 恵梨の褒め言葉に、志賀原は頷いたのだけど。

「志賀原くんだってそうだよ。今日、『自分がやる』って言ったところ、すごかった。男子たち、あんな文句言ってたのに」

 志賀原はまた髪をくしゃくしゃとする。それは照れたときにするのだと、恵梨はもう知ってしまっていたので、なんだか胸の奥があたたかくなった。

「それはー……オレだって、面倒だと思ったよ。でもオレたちのクラスでやったほうが効率いいじゃん。二組のヤツだって責めたくないし」

 言ってから、にこっと笑った。

「ま、今度なんか差し入れでもしてもらうかな。居残りになったのは確かだから」

 明るいその笑みに、恵梨はもっと嬉しくなってしまい、そして。その笑みに誘われたように、ぽろっと胸の奥にあった気持ちが零れ落ちた。

「私は志賀原くんの、ひとを気づかえるそういうところ、好きだよ」

 恵梨の言葉に先に反応したのは、恵梨本人より志賀原だった。

 ぽかんとする。

 目を丸くして、頭に手をやった姿勢のまま固まった。

「え? ……あ」

 志賀原のその頬がだんだん赤く染まっていって、そこでやっと発言した本人、つまり恵梨は、はっとした。

 『好きだよ』なんて言ってしまった。かっと顔が熱くなる。

「……あっ」

 多分、顔が真っ赤になっただろう。脳内が一気に沸騰した。

「あの、……その、篤巳」

 志賀原がなにか言いかけたけれど。

 恵梨はパニックに陥ったような心持ちで、一歩あとずさった。ここにいるのが恐ろしくて、そしてすさまじく恥ずかしい。

「ご、ごめん! 帰るね!」

 ぱっと身をひるがえして、幸運なことにすべてまとめていた荷物をひっつかんで教室を飛び出した。

「……篤巳」

 教室で、一人残された志賀原がぽつんと呟いた。

「あれ、恵梨は?」

 そしてヘラを持って戻ってきた梨花が志賀原に不思議そうに聞いたのだが、志賀原は気まずそうに「……用を思い出したから、帰るって」と言っただけだった。

 もちろん、恵梨がそのときそれを知ることはなかったのだけど。



 やってしまった。やってしまった。

 『好きだよ』

 自分の発言がぐるぐると頭を回っていた。

 もう、どんなふうに自宅に帰ってきたのかもわからなかった。「おかえりなさい。ずいぶん遅かったのね」と言ってくれたお母さんにも「ただいま!」と言っただけだったと思う。

 自室に入って、ドアを閉めて、はぁ、はぁ、と息をついた。早足で帰ってきたために、息はあがりきっている。

 でももちろん、そのためだけじゃない。

 心臓は破裂しそうにばくばくしていたし、頭は煮え立ったようにぐらぐらしていた。

 『好きだよ』なんて言ってしまった。

 バレただろう、絶対バレた。

 恵梨はもう、そうとしか考えられなかった。

 もちろん、「志賀原くんの『そういうところ』が好き」と言っただけともとれる。

 だけどあの空気。恵梨の言葉を聞いて顔を赤くした志賀原と、真っ赤になって逃げるように帰ってしまった自分。どう考えても『そういう意味』だと取られただろう。

 どうしようもなくて、恵梨はベッドにダイブした。布団を頭からかぶる。

 このまま布団と一体化してしまいたかった。

 明日、志賀原にどんな顔をして会えばいいというのだ。なにもなかったような顔なんて、きっと自分にはできない。

 学校を休んでしまおうか。

 一瞬、頭によぎったけれどそれはすぐに否定した。

 ダメだ、そんなことじゃ根本的な解決にはならない。不登校にでもならない限り、いつかは顔を合わせることになる。

 「そういう意味じゃなかった」と言ってしまおうか。

 次に思ったけれど、これも否定した。

 じゃあどういう意味だったと言えというのか。

 そして恵梨だって理解していた。

 これはある意味最大のチャンスでもあるのだと。

 志賀原にもっとはっきり「好きです」と言ってしまうチャンスだと。

 でも、でも、こんないきなり、心の準備が。

 そこまで思ったとき、唐突にスマホの着信音が聞こえた。ランドセルに放り込んでいたスマホからだ。恵梨はびくっとしてしまう。

 まさか、志賀原からなのでは。

 今はまだ、なにを言ったらいいかわからない。

 けれど無視なんてできない。恐ろしさに震えながらも、恵梨はそろそろと布団から出てランドセルからスマホを掴み出した。

 そして心底、ほっとする。

 表示されていた名前は『高村 梨花』だったのだから。安心した恵梨は、すぐに通話ボタンをタッチした。

『あ、恵梨! 良かった』

 恵梨が出てくれるか心配だったのだろう、ほっとした、という声が電話の向こうから聞こえてくる。

『恵梨、どうしたの? いきなり帰っちゃうなんて、なんかあったでしょ?』

「うう……梨花ぁ……」

 梨花の気づかう言葉に、なぜか涙が出てきた。

 梨花が電話をかけてきてくれたこと、話してしまえること。それに安心して。

「どうしよう……言っちゃった……」

 そして、電話で梨花に先程あったことをすべてぶちまけてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る