夏休みのサプライズ

 夏休みに入ってからは、良い天気の日が続いていた。

 あの二日後、会った梨花はもう笑顔になっていた。「大丈夫! 仕方ないもんは仕方ないもん、次の恋、探す!」なんてことまで言って。

 それが強がりだとしても、口に出せるのは梨花の強さだ。

 その日は恵梨の家でゲームをしたりして遊んだし、そのあとも何回も遊びに行った。

 美里と佳奈とも計画していたように『プチ旅行』にテーマパークにも行った。流石に夏休みで混んでいて、アトラクションもご飯を食べるのにも並んだけれど、おしゃべりをしていればすぐだった。

 合間に宿題も順調に片づけていった。

 梨花はある日尋ねたとき、「全然やってないー!」と言っていたけれど。

「大丈夫大丈夫! ちゃんとやるから!」なんて言ったけど、ギリギリになってあせることは容易に想像できた。

 でもそれが梨花らしいのだからいいのかな、とも思う。

 八月の下旬にはお父さんが休みをとれるので、家族でも旅行に行こうということになっていたし、楽しいことがあったり、楽しい予定が待っている夏休みだった。

 そんな夏休みのある日。

 その日は遊びに行く予定もなかったので、恵梨はリビングで宿題に取り組んでいた。リビングのほうが冷房がよく効くので心地いいのだ。

 今日は算数のワーク。算数は得意なので、そう手こずりもしない。順調に問題を解いていった。

 そこへ不意に家の電話が鳴った。恵梨は電話を取ろうかとそちらを見たのだが、お母さんのほうが近くにいたので、お母さんが手を伸ばすところだった。

 お母さんの友達とかかな。

 恵梨は思ったけれど、それならお母さんのスマホにかかってくるだろう。

 なにかお母さんが使っている……買い物の宅配サービスとか……そういう電話かな。

 そのくらいに思って、恵梨は宿題に目を戻したのだけど。

「はい、……あら。こんにちは」

 お母さんが話す声は聞こえてきた。

 そして直後、恵梨はもう一度そちらを見ることになる。自分の名前が聞こえてきたので。

「いつも恵梨がお世話になってます。はい、いますよ」

 お母さんは楽しそうに言い、恵梨のほうを見て、電話の子機を持ったまま近付いてきた。

「代わりますね。……はい、恵梨に電話よ。志賀原くんから」

 そんなことを言われたので、恵梨は仰天した。

 志賀原くんから電話!?

 家の電話にかかってくるなんて思わなかったので、余計にびっくりした。

 でも待たせるわけにはいかない。

 あわあわと恵梨はお母さんから電話の子機を受け取った。慌てるあまり、取り落としそうになるのを必死でこらえる。

 おそるおそる耳に当てて、「はい、え、……篤巳です」と言う。

 恵梨、と名乗りそうになって、やめておいた。いつも志賀原に呼ばれているように名字を名乗る。

『ああ、篤巳。どうも。家に電話してごめんな』

 電話を通して志賀原の声を聞くのは初めてだった。恵梨はどきどきしてしまう。

 お母さんは気を使ったのか、「夕ご飯の仕込みをしてくるわね」とキッチンへ行ってしまった。聞かれないことに恵梨はほっとした。

『スマホのほうがいいかと思ったんだけど、番号もメアドも知らなかったから……。クラスの名簿、見て』

 ああ、なるほど。

 志賀原が言ったことで恵梨は理解した。

 確かにスマホの情報は個人的なものなので、友達同士でしか教え合っていない。

 しかも、登録するにはあらかじめお父さんかお母さんに報告しておかなければいけない決まりになっていた。

 でも自宅の電話番号は、各家庭に配られている名簿に記載されている。それを見たのだろう。

 それを見るしか、スマホの情報を交換していないクラスメイトとは連絡を取る方法はないのだから。

「そうなんだ。……えっと」

 言おうと思って、恵梨はためらってしまった。

 が、志賀原が言ってくれた。

『良かったら、今度会うときに番号とか交換しないか』

 驚いたけれど、それ以上に嬉しかった。もっと仲良くなれる気がして。

 番号やメアドを交換したら、いつでも連絡が取れるようになってしまう。恵梨の胸の奥がくすぐったくなった。

「うん! もちろんいいよ」

 恵梨がいい答えをしたからか、志賀原の声も、ほっとした。

『ありがとう。……で、いきなり電話した用事なんだけど……近いうちに会えないか?』

 恵梨はもう、電話を受けたときから何度目かもわからないくらい驚いた。

 呼び出されるなんて。夏休みのさなかなのに会えるなんて。

 返事なんて決まっていた。

「うん! 大丈夫だよ」

『そうか、ありがとう。ちょっと渡したいものがあって』

 渡したいもの?

 なんだろう。

 恵梨は疑問に思ったけれど、今聞くのはヘンだろう。

 思って、ただ志賀原と予定を話し合って決めた。

 なんと明後日ということになってしまった。

『じゃ、明後日な』

 約束をして電話は切れた。

 恵梨は少しの間、ぽうっとしていた。

 なんだったのだろう。

 志賀原から電話がきた。

 スマホの情報を交換したいと言ってくれた。

 おまけに会えないか、なんて言われて約束してしまった。

 こんなことになるなんて、数十分前までは予想もしなかった。

 もう宿題どころではなかった。

 どうしよう、なにを着ていこう。

 髪はどうしよう。

 そんなことで頭はいっぱいになってしまった。

 恵梨が電話を終えたのを知ったのか、お母さんがリビングに入ってきた。

「電話は終わった?」

「え、……うん」

「志賀原くんって、感じのいい子ね。話し方がとっても丁寧だったわ」

「うん、……いいひと、だよ」

 褒められて嬉しかったけど、なんだか照れくさかった。でも恥ずかしがっている場合ではない。

「あ、ねぇ! お母さん!志賀原くんと、スマホの電話とか交換していい?」

 恵梨のお願いに、お母さんは「もちろんいいわよ」と言ってくれたのだった。


 二日後。

 志賀原と約束していた場所は、近くのショッピングモールの椅子や小さなテーブルのある、フリースペースだった。

 公園や、もしくはどこかのお店でないのはどうしてだろう、と思ったけれど、なにか事情があるのかもしれない。

 早めに来て待っていると、そのうち志賀原が入ってくるのが見えた。どきりとしてしまう。

 志賀原もここにはよくくるのだろう、すぐに恵梨に気付いてくれて、片手をあげた。

「久しぶり。きてくれてありがとな」

「ううん! 久しぶりだね」

 志賀原に会うのは、終業式以来だから、半月と少し会っていなかったことになるだろう。

 だから嬉しかった。

 そして志賀原は少し日に焼けたようだった。この日差しの中だ、男子らしく外で遊んだのかもしれない、と恵梨は思った。

 恵梨の座っていた椅子の向かいに腰を下ろして、志賀原はなにかを差し出した。それは小さなペットボトルだった。

「暑いだろ。どっちがいい?」

 ペットボトルは二つ。無糖紅茶と緑茶だ。

「え、いいの? どっちでも……っていうか、お金……」

「いいよ。呼び出したからおごらせてくれ」

 恐縮したけれど、嬉しかった。わざわざ気づかってもらえたことが。

「じゃ、じゃあ……紅茶で」

「ああ。どうぞ」

 受け取ったペットボトルは、ひんやり冷たかった。ついさっき買ってきてくれたのかもしれない。

 志賀原は残った緑茶のふたを開けながら、言った。

「こんなとこでごめんな。公園じゃ暑いし……店だとちょっとアレで……」

「なにかあるの?」

 恵梨もペットボトルのふたを開けて、ひとくち飲む。無糖紅茶はすっきりおいしかった。

 飲んでから気付いた。

 志賀原の家でお菓子を作ったとき、紅茶はなにも入れないのが好きだと、恵梨は言った。

 それを覚えていてくれたのだろうか?

 おまけに「公園じゃ暑い」と言った。

 なにか用事があるときに使う定番は、公園だ。

 小学生にとって公園は身近な場所。秘密の話をしたいときにも、駆け回りたいときにもよく行く。

 でもこの真夏の時期にはちょっとキツい。日差しは木陰などで遮れても、暑さはどうしても。

 それを考慮して、クーラーの効いたここを選んでくれたようだ。

 そこまで考えてくれるのがすごい、と思う。店はダメだと言った理由はわからなかったけれど。なのでそれを尋ねた。

「こないだ、姉ちゃんの誕生日だったんだ」

 ああ、そういえば八月の上旬だと言っていた。つい数日前だったのだろう。

「そうだったんだ。おめでとう」

「ありがとう。で、フロマージュ作ったんだよ。うまくいった。姉ちゃん、驚いてたよ。難しいでしょ、とかさ」

 志賀原は次々に話していく。

 聞いているだけで恵梨は嬉しかった。プロジェクトはうまくいったのだ。

「おめでとう。良かった」

「篤巳のおかげで喜んでもらえたよ」

 今度はうまくいったことに対しておめでとう、と言った恵梨だったが、志賀原は言ってくれた。

 手伝ったのは確かだったので、ちょっともったいないお言葉だなぁ、と思いつつも恵梨は「力になれたなら良かったよ」と言う。

「で、これ。ささやかだけどお礼だ」

 志賀原は今度はなにか、ラッピングされたものを取り出した。

 それは以前、カップケーキを交換したときよりも、凝った袋に入っていた。青の水玉の袋だ。

 見ただけでわかった。手作りのお菓子だ。

「いいの? そんなたいしたことしてないのに」

「どこがだよ。すっごい助かったんだから」

 志賀原が言った言葉はとても優しかった。

 けれど、恵梨もわかる。

 フロマージュは確かにかなり大変だった。一人だったらもっとてこずっただろう。

 だから確かに力になれたのだ。

 それなら甘えていいのかな。

 そう思って、恵梨は「ありがとう」と受け取った。

 中に入っているのは、クッキーだった。たっぷり入っている。恵梨一人では食べきれないくらいに。

「良かったらひとつ、食べてみてくれないか?」

 志賀原に言われて、もう一度恵梨は「いいの?」と聞いてしまったのだが、志賀原は言ってくれた。

「あ! 腹が減ってなかったらいいんだけど」

「え、それはないけど、……じゃ、いただきます」

 ちょうどお茶の時間だ。おなかはちょっとだけ減っていた。なのでちょうどいい。

 袋の口をくくっていた銀のヒモをはずして、ひとつ取り出す。クッキーは見た目にも綺麗だった。二色のマーブルだ。しかも花のような形をしている。

 恵梨はこのタイプを作ったことがなかったが、なんとなく作り方はわかった。やわらかめの生地を作って、クリームなどを絞る『絞り袋』に口金を付けて、絞り出して形を作って焼くのだ。結構手間がかかりそうだなぁ、とレシピ本を見て、思ったことがある。

「いただきます」

 もう一度言って、ひとくちかじった。ほろりと口の中で崩れて、プレーンなクッキーと、チョコのクッキーの味が両方感じられる。

 とてもいいバランスだった。味のハーモニーも、焼き加減も。

「おいしい!」

 つい顔が輝いてしまう。志賀原はそれを見て、とても嬉しそうに笑った。

 笑顔を見て、恵梨はちょっとどきどきする。

「良かった。試食してうまいとは思ったんだけど……篤巳が喜んでくれるかはわからなかったから」

「とってもおいしいよ! 私、こういうのは作ったことなかった」

「そうなのか。思ったより難しくなかったぞ」

 言い合って、志賀原はクッキーを一枚食べ終わった恵梨に言った。

「食べて感想聞かせてもらったら……とか思ったから、店じゃ迷惑かなと思って」

 そこまで気を回してくれたのか。

 恵梨のほうが驚いてしまう。

 ひとのことを見ているだけではない。周りの環境のことも気づかえるひとなのだ。

「志賀原くんって、すごいよね」

 思ったことをそのまま口に出すと、志賀原はきょとんとした。

「クッキーを食べる場所だけじゃないよ。ひとのこと、よく見てるし、すごい」

 恵梨が褒めたことに、志賀原は、あー……と小さく声を出して、髪をくしゃっと混ぜた。どうやら照れたようだ。

「さんきゅ」

 そして、また、あー……と言って。

「あのさ、篤巳……」

 なにかを言いかけたのだが。

「あれ、裕斗じゃん」

 不意に声がかけられた。恵梨と志賀原はそちらを見る。

 そこには志賀原のお姉さんがいた。友達らしき女の子何人かと一緒だ。

 同じように、ショッピングモールへ遊びにやってきていたらしい。

「……なんだよ、姉ちゃん」

 志賀原は不満そうな顔をして、不満そうな声を出したけれど、お姉さん……確か、志賀原のお母さんに『美斗』と呼ばれていた……は、恵梨を見て嬉しそうに名前を呼んだ。

「恵梨ちゃん!」

 恵梨も驚いた。会ったのは一回だけで、名前を呼ばれたのも一回だけだというのに、覚えていてくれたのか。

 美斗はつかつかと近寄ってきて、そばに立ってにっこり笑った。

「こないだ誕生日だったんだけど、裕斗がケーキ作ってくれてさ、すっごくおいしかったの。聞けば、恵梨ちゃんが練習するのを手伝ってくれたって言うじゃない」

「あ、は、はい!」

 どうやら秘密だったことは話題になったようだ。

 それはそうだ、誕生祝いが終わってからなら話題にしても問題ないし、むしろ自然だ。

 「ありがとね」と美斗は言い、続けて『なにか思いついた』という顔をした。

「お菓子作り、得意なんだって? 今度一緒に作ってみない?」

「いいですね! 楽しそうです」

 誘われて、恵梨は、ぱっと顔を輝かせてしまった。

 志賀原がお菓子作りをするきっかけになったのは、お姉さんのためだと聞いた。つまり、お菓子作りもきっと上手なのだろう。一緒に作るのは楽しそうだ。

「ありがと! じゃ、今度、夏休みの間に……あ、スマホ持ってる? 持ってたらそれで連絡していい?」

 電話番号やメアドの交換を持ち掛けられて、恵梨はちょっとためらった。

 知らない人と勝手に番号やメアドを交換してはいけません、と言われているので。

 でも美斗は知らない人ではない。

 お母さんにも話していた。志賀原のお姉さんのために、志賀原の家を訪ねてお菓子を作るのだと。

 それでそのとき、お姉さんにも会ったと。

 だからちょっと文句は言われてしまうかもしれないけれど、事後報告でもいいだろう。

「はい!」

 恵梨はうなずいて、スマホを出して美斗と連絡先を交換した。

「まったく姉ちゃん、邪魔するなよ」

 交換が終わったとき志賀原が言ったが、その声は大変不満げだった。こんな声も顔も、ついでに言い方も見なかったので、恵梨はちょっと驚く。

 でも家族相手だからかもしれない、と思う。恵梨もお父さんやお母さんにはくだけた話し方になるので、そういうものだろう。

「えー、邪魔だった? ごめんねー?」

 美斗はくちもとを隠して、くすくすと笑った。

 まるで志賀原の家で「カノジョを連れてきた」とからかってきたときのように。いたずらっぽくてかわいい笑い方だった。

「そういう意味じゃないけど、割り込んでくるなよ」

「ごめんごめん。じゃ、おじゃま虫は退散しますか。恵梨ちゃん、裕斗のことよろしくね」

 恵梨に言って、美斗は去っていった。待っていただろう友達に「ごめーん、弟がいてさー」などと言いながらショッピングモールを出ていってしまう。

 志賀原はそれを見送って、はぁ、とためいきをついた。

「はぁ……姉ちゃんがごめんな」

「ううん。……あ、話、途中だったよね?

 ちっとも迷惑などではなかったので恵梨は「ううん」と言ったのだけど、思い出した。

 美斗が来る前。志賀原はなにかを言いかけていたのだ。でもそれは続けてくれなかった。

「いや……、なんでもない。それより、……オレとも交換してくれるか?」

 多分、これはさっき言おうとしていたこととは別なのだろうと思った。

 でもそれも確かに約束していたことだ。

 恵梨は「うん!」とうなずき、そして電話番号とメアドを交換した。

 そのあとも少し話したけれど、なにを言いかけたのかは教えてくれなかったし、恵梨も気にしなくなってしまった。「また今度遊んでくれるか?」と誘われたので、そんなささいな疑問は吹っ飛んでしまったのもある。

「うん! もちろんだよ!」

 夏休みの終わりごろにまた遊ぶ約束をして、夕方になったので「じゃあな」と言ってくれた志賀原と別れて。

 もらったたくさんのクッキーをバッグに入れて帰る帰り道は、とても満たされた気持ちだった。

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