小雨の降る日
夏休みが目の前まで迫っていた。
授業もほとんどなくなって、ホームルームや球技大会などのイベントが中心になる。必然的に自由になる時間は増えていた。
長期休みが目の前とあって、みんなわくわくしていた。
そしてやってきた、夏休み前の最後の日。
その日はなんだか天気が悪かった。空はどんよりと曇に覆われている。暑い中なのでむしむしと不快な日だ。
天気予報では、夕方から雨が降るかもしれないと言っていた。なので恵梨は折り畳み傘を持って登校してきていた。
夏の、雨。
それが恵梨と、そして梨花に降り注ぐことになったのは天気予報のとおり、夕方のこと。
その日は特別だったのだ。梨花にとって、勝負の日。
普段以上にかわいい服と髪型をして、「頑張ってくる!」と、ある場所へ向かった梨花を送ってから一時間ほどが経った。
夏休み前、国木くんに告白する、と少し前から梨花は決めていたのだ。そしてそれが今日というわけ。
梨花とは待ち合わせをしていた。学校の校庭のあずまやで。
「もしなにか変更があったらメールか電話するね」と言って。
雨が降りそうだったので校舎の中にしようかとも言ったのだが、梨花にとっても恵梨にとっても秘密のことだ。
「学校の中だとアレだから、外でいいよ」と恵梨が言ったのだ。
雨、降りそう。
恵梨はあずまやの中の椅子に座りながら外の空を見た。
梨花はどうなっただろう。うまくいったらいいんだけど。
でもなんとなく、空が告げているような気がした。あまりいい兆候ではないと。
日を変えたほうがいいのかもしれない、と思ったものの、今日が終業日。
変更したら夏休みに入って、タイミングを計りづらくなってしまうのだ。
なので「天気なんて、関係ないない!」と笑い飛ばした梨花は、そのまま行ってしまった。梨花のそういうところを本当に強いと思う。
恵梨はぼんやりとしていた。スマホは電源を入れていたけれど、おおっぴらにいじるのはためらわれた。
校庭なので『スマホ禁止の学校内』であるかは微妙なところであるが、先生でも通りかかったら困るので。
思うのは梨花のことだけでなく、自分のこともだ。
梨花は「国木くんに告白する」と言った。
自分から言うのだ。しかも実際に会って、目の前で言うのだ。それはどんなに勇敢なことだろう。
見習いたかった。
自分も志賀原に気持ちを伝えたかった。
でもまだ踏ん切りがつかない。
もう彼のことを好きだとすっかり自覚はしたし、付き合えたりしたらどんなにいいかと思う。
でも、万が一振られてしまったら?
せっかく仲良く話せるようになったのに、それすらできなくなってしまうかもしれないのだ。そんな恐怖が恵梨の行動を引き留めてしまう。
まだ、動けない。
そんな恵梨より梨花はやっぱり先を行くのだ。
不意に、こちらに向かってくる人影が目に入った。小柄でピンク色のシャツを着ているそれは梨花だ。俯きがちで走ってこちらに来る。
その様子を見ただけで恵梨は理解した。
ああ、そっか。
「ごめん、お待たせ」
あずまやまできて中に入って、はぁはぁと息をつきながら言った梨花は、やっぱり俯いていた。
恵梨の胸がずきりと痛む。すべてわかってしまったので。
「梨花」
なんと声をかけようかは考えていた。
うまくいったら「おめでとう」に決まっていたけれど、そうでなかったら。
「頑張ったね」「お疲れ様」
そんなことかなぁ、と思っていたけれど、実際に目の前にしてしまったらどちらも出てこなかった。
名前だけを呼んだ恵梨に、梨花はやっと顔をあげた。かわいらしい顔は、今は悲しみに溢れていた。
「ダメだった」
でも梨花は笑った。
泣き出しそうな顔なのに、それでも笑うのだ。なんと強いことか。
恵梨の胸のほうが痛んだかもしれない、と思うくらい、ここで笑える梨花の心は強いのだろう。
「……頑張ったね」
やっと言えた。
そしてこの言葉は間違っていなかったらしい。恵梨の言葉に、梨花の顔が一気にくしゃくしゃになる。恵梨に思い切りしがみついてきた。
ちょっと驚いたものの、こうなる展開だって少しは考えていた。
当たり前のように迷惑でも嫌ではない。恵梨はその梨花を思いきり抱きしめた。
「梨花、濡れてるよ」
抱きしめたことで気付いた。梨花の服はほんのり湿っている。雨が降ってきていたらしい。
「こんなの小雨だよ」
梨花は返事をしたけれど、その声は震えていた。
「……そうだね」
恵梨はただ、その言葉を受け止めた。
抱きしめた体はあたたかかった。けれど服は濡れている。早く帰って着替えて……場合によってはシャワーを浴びなければいけないだろう。
でも、今、すぐに帰るなんて無理だ。
自分も、梨花も。
「……カノジョが、いるんだって」
梨花が口を開いたのは、ずいぶん経ってからだった。
あずまやの外は、もうはっきりと雨が降っていた。しとしととそれほど強くはないけれど、はっきりと。
「……そうだったんだ」
それは知らなかった。そんな気配、恵梨の知る限りではなかったから。
「国都第二中学校の一年生だって。年上だって。すごいよね」
ああ、なるほど、と思った。
『彼女』は、この学校の生徒ではなかったのだ。それはわからなくても当然だろう。
でも梨花はどうだったかわからない。恵梨よりずっと長く、そして多分、少しは近くで国木を見ていたのだ。
もしかしたらなんとなくは感じていたかもしれない。そんなことは聞けやしないけれど。
「嬉しいって。ありがとうって。それで、ごめんって。言われたけど」
今までは比較的しっかりしていた梨花の言葉が、だんだん小さくなっていく。
「そんな言葉、欲しく、……っ」
途切れる前に恵梨はもっと強く梨花を抱きしめた。泣きだした梨花を強く抱きしめる。
先程より、恵梨のほうは少し落ち着いていた。そして今自分がどうすればいいのかもわかる。
「梨花はえらいよ。頑張ったよ」
恵梨の言葉に梨花は首を振った。
「頑張ったって……これじゃ!」
「ううん、ムダじゃない。ムダじゃないよ」
小さな声で言い合う。
恵梨がそう言うことも、梨花はわかっていてそう言っているのかもしれない。
けれど今は甘えてほしいと思う。頼ってほしいと思う。それが今までさんざん自分を助けてくれた梨花を、今度は自分が支えることになるのだから。
「ありがと、恵梨」
梨花がそっと体を引いたときには、外は雨のためではなく薄暗くなっていた。そろそろ帰らなければいけない。
「帰ろっか」
恵梨は梨花に言う。梨花も頷いた。
でもそのまま雨の中に出ようとするので恵梨は驚いた。はっきり雨が降っているので、もっと濡れてしまうではないか。
「梨花、傘」
「忘れちゃった」
梨花は恵梨を見て困ったように笑う。
恵梨はつられたように笑った。困ったように。
「仕方ないな。一緒に入れてあげるよ。折り畳みだから、ちょっと小さいけど」
「ありがと」
恵梨のピンクのチェックの折り畳み傘。
バッグから取り出して、開いて、そして二人で入って外に出る。ぱたぱたと雨が傘を叩いた。
どうしても肩などは濡れてしまうかもしれない。でもそのまま雨の中に飛び出すよりは、ずっと濡れずに済む。
帰る道すがら、梨花はぽつぽつと言った。
「……なんとなく、わかってたんだ」
「でも、それでも言いたかった」
「だから後悔しないし、……恵梨にムダじゃなかったって言ってもらえて、嬉しかった」
恵梨はただ、うん、うん、とそれを聞く。
当たり前のように梨花の家まで梨花を送っていって、玄関のポーチに入った梨花は、もう一度恵梨に抱きついた。
「……ありがとう」
「ううん、大丈夫だよ」
恵梨ももう一度梨花を抱き返す。
今度、梨花の体は濡れていなかった。雨の中を歩いてきても、ただあたたかい。
「明後日、またね」
「うん。じゃ、ばいばい」
もともと遊ぶ約束をしていた日を口に出した梨花をそっと離して。
恵梨は手を振って、今度は一人で雨の中へ歩き出した。
雨の道の中、一人。恵梨は自宅への道を歩いていく。
こんな中、梨花を一人で帰さなくて良かった、と思った。
今の梨花を独りになんて、絶対したくなかったから。
友達として、親友として、そばにいるのが今日の恵梨の役目。
告白はダメだったけれど、自分も梨花も言ったように、それはムダなんかじゃない。
梨花の勇気は褒めたたえられてしかるべきだし、きっとそれは次の恋に繋がると思う。
梨花ほど魅力的な子だったら、また好きになれるひとが見つかるだろうし、それに誰かにも好きになってもらえるだろう。実際、林間学校では告白もされていたのだし。
でも、今は。
きっと梨花は、家で泣いているだろう。そのくらいわかる。
けれど梨花は独りではない。
今は自分の代わりにお母さんかお姉さんがいてくれることがわかる。
梨花はそういう子だから。決して悲しさを独りでため込んでしまったりはしない。
だから大丈夫。
梨花なら時間がかかっても、必ず立ち直る。
強い子だから。
考えているうちに恵梨の家に着いたけれど、雨はまだ降っていた。
明日には晴れるかな。雨がやむ頃には梨花の涙も止まっているといいのに。
家のポーチで傘をおろして、そっと水を切りながら恵梨は切にそう願った。
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