林間学校のスタート

 六月の終わり、いよいよ待ちに待った林間学校の日になった。

 六月なので梅雨の時期。雨が降るのではないかと心配だった。

 だから教室のみんなでたくさんてるてる坊主を作った。教室の窓にずらっと並べて「晴れますように」と祈った。

 その甲斐あってか林間学校の日はからりと晴れた良い天気に恵まれた。リュックをしょって学校の校庭に集まる五年三組のクラスメイトはみんな嬉しそうな顔。

「晴れたね!」

「やったね!」

 整列して先生の話がはじまるのを待ちながら口々に言い合った。

 晴れた六月は陽気が気持ちいい。夏の少し前。ちょっと暑いけれど我慢できないほどじゃない。林間学校の季節には最適なのだ。

 そのうち校長先生の話がはじまった。そのあとクラスごとに分かれて担任の先生の注意事項を聞く。

 普段はふざけたりして聞かない男子もいるのだけど今日ばかりは全員静かに話を聞いた。林間学校を楽しく過ごすには聞き逃してしまっては困るのだ。

 そして林間学校の宿泊施設まではバスでの移動となった。クラスごとに一台ずつのバスに分かれて乗る。

 席は自由だったので恵梨はもちろん、梨花の隣に座った。そのうしろが美里と佳奈だ。

 けれど恵梨はちょっと前の席が気になってしまってどうしようもなかった。乗る前に麗華が志賀原に話しかけていたのだ。

「ねぇ志賀原くん、隣座っていい?」

 志賀原は戸惑ったようだ。

 それはそうだろう、志賀原は仲の良い男子同士のグループにいるのだ。

 女子ほどはっきりしたグループではないが、男子の間にもグループというのは存在する。友達同士がはっきりしていると、やっぱりクラスでは過ごしやすいので。

 志賀原は派手でも暗くもない『普通の』男子と行動を共にしていることが多かった。

「ええと……」

 一緒に乗る約束をしていたであろうグループの男子のほうを見たようだったが、男子たちは「行ってきたらいいんじゃね?」などと言っていた。

 「堀と一緒とか付き合ってるのかよー」なんてからかわれていた。その様子を見て、そこですでに恵梨の胸は痛んだのだ。

 でも直後「別にそういうわけじゃない」と志賀原が言ったので、ほっとした。

 良かった、麗華ちゃんと付き合ってるとかじゃないんだ。

 そう思って安心して、またそういうことで安心してしまう自分をちょっとだけ嫌悪した。

 バスに乗ってしばらくして、みんなわいわい騒ぎだした。お菓子の交換をしたり、道具がなくてもできる簡単なゲームをしたり。

 先生もとめやしない。イベントなのだ。お祭といってもいい。出発前の注意で「度を越さないようにね」と釘は刺されたけれど多少騒ぐのは許されている、のだと思う。

 そんな楽しそうなクラスメイトと同じように、志賀原と麗華も盛り上がっているのだろうか?

 恵梨はどうしてもそれを気にしてしまった。彼に片想いをしていると自覚してしまったのだから、ある意味当然ではあるのだけど。

「ねぇ、麗華ちゃん、志賀原くん狙ってるよねぇ」

 恵梨が席の前のほう……志賀原と麗華を気にしているのはもちろんわかっただろう。恵梨の様子を見て梨花が耳打ちしてくる。

「うん……そうだと思う」

 そう言うしかないのが悲しかった。

「わかりやすいよね」

 ひそひそと言い合う。

 そう、麗華の態度はあからさまだった。

 豪華に包んだカップケーキを渡したり。

 バスで隣に座りたいと言ったり。

 どうしてあんなオープンにできるのかなんて、恵梨にはわからないし、信じられなかった。

 あんなことをすれば、クラスメイトに「志賀原くんが好き」だってわかってしまうのに。

 恵梨はあんなこと、絶対にできないと思ってしまう。

 麗華の態度は『外堀を埋めていく』という目的なのであろうが、恋愛初心者の恵梨にそんなことはわかるはずがなかった。

「恵梨ぃ、本当に取られちゃうよ」

 むしろ梨花のほうが心配そうだった。親友のことをここまで気遣ってくれる梨花は本当に優しい。

 けれどやっぱり告白なんてする勇気はない。断られたら怖い、とかそういう次元の問題ではない。

 自分の気持ちを口に出すのにすでに抵抗があった。はっきり自覚してしまいそうで。

 いや、自覚はしているのだけどそれとは少し違う意味だから。

 別にどこかに呼び出して直接言う、なんて手段でなくてもいいと思う。

 手紙を書くとか……そういう手段だってある。

 でもそれだって『文字にする』ことで自分の気持ちを知ってしまう。

 恵梨はもう、どうしたらいいかわからなかった。進退きわまっているといっていい。それは恋愛初心者ならではの悩みだろう。

 でも梨花はすぐに話題を変えてくれた。それはそうだろう、ずっとひそひそ話をしていたらほかの子たちにヘンに思われてしまうかもしれない。

「ね、お菓子食べようよ! 例の豪華なチョコ! 買ってもらったの! せっかくだからスペシャルな日に食べようと思って持ってきたんだよ」

 梨花の取り出したチョコは、きらきらと光るパッケージをしていて見るからに『スペシャル』だった。

「ねー、美里、佳奈! チョコ食べない?」

 梨花は椅子に膝をついてうしろの席を覗き込んだ。恵梨は座ったままだったので二人の反応は見えなかったけれど「くれるの?」「食べる食べる!」という明るい声が聞こえてきた。

 ほっとしてしまう。自分は一人ではない。

 友達がちゃんといて、そしてその友達が助けてくれるのだ。こんなに心強いことはない、と思う。

 そのあとはやっぱりおしゃべりをして、梨花と指を使ったゲームもした。

 バスで走ること、二時間弱。森の中へ着いた。

 ここで今日と明日、過ごすのだ。

 学校の行事でクラスメイトたちとお泊まりをするなんて、恵梨には初めてのことだったので、緊張する。

 でもみんな初めてなのだ。みんな同じだと思うと、その緊張もちょっと薄らぐ。

 ついたときはすでにお昼ご飯の時間だったので、お昼は宿泊施設で出してくれる給食のようなご飯を食べた。

 メニューはポークソテーにサラダ、野菜スープ。味も給食に似ていた。

 自分たちで作る食事、つまりカレー作りは夜だ。いろいろ準備があるので。

 ご飯を食べたあとは森の中を歩くウォークラリーだ。

 実はこのウォークラリー。男子と女子でグループを組むのだ。

 男子が二人。女子が二人。

 つまり恵梨たちのグループは半分に分かれて、男子二人と組むことになる。

 その組み合わせは、男子同士、女子同士で組んでから、男子と女子の組み合わせをその場でくじ引き。

 もちろん恵梨は志賀原と行きたかった。けれどそれはくじの結果次第。くじの箱を見ながらどきどきしてしまう。

 じゃんけんの結果、くじを引くのは女子たちに決まった。

 先生が男子の名前を紙に書いていく間、女子たちは沸きたっていた。

 それはそうだろう。クラスに好きな男子がいる子ならそのひとと同じになりたくて当然だから。

 そして麗華以外に志賀原が好きだという子を恵梨は知らなかったけれど、ほかの子でクラスの子同士で片想いが行きかっていることは知っていた。

 ペアを組んだ子と、どっちが引くかという相談になる。梨花と組んだ恵梨はためらったけれど、梨花がはっきり言ってくれた。

「お姉ちゃんが言ってたんだ。こういうのは『物欲センサー』っていうのが働くんだって。だから、この件に関しては無欲な私に任せてよ!」

 梨花の主張はよくわからなかったけれど、でも自分で引いて当てられる気がしなかったので恵梨は「お願い」と頼んでおく。

 さて、恵梨と梨花のペアの順番がきた。梨花はくじの箱を前に「お願いーっ」と言って、くじの箱に手を突っ込んだ。

 まだ志賀原の名前は出ていないから、きっと箱の中に彼の名前の紙がある。

 どくん、どくんと恵梨の心臓が騒ぐ。

 お願い、梨花。そして神様。

 梨花はちょっとだけ箱の中身をかき回して一枚の紙を掴み出した。そして引いた紙を見て派手には反応しなかったが、にやっと笑った。

 恵梨はその反応を見て期待してしまう。

 まさか、本当に。

 たたっと駆け寄ってきた梨花が見せてくれた紙には志賀原の名前ともう一人の男子の名前が書いてあった。

「ふふんっ、さすが私でしょ!」

「梨花! ありがとう!」

 えっへん、と胸を胸を張る梨花の手を、感極まった恵梨はぎゅっと握っていた。

「お礼に今度、お菓子おごって!」

「うん! あっ高いのは無理だけど……」

「チロルチョコでいいってー。期間限定のココナッツ……」

 おごりひとつではたりないくらいの幸運だ。そしてすべてのペアが決まって、志賀原がこちらへやってきた。

「篤巳と高村が一緒なんて、偶然だな。よろしく」

「うん! こっちこそよろしく!」

 恵梨は嬉しい心のままに緊張も少しだけ忘れて言っていた。

 もう一人の男子も、よろしく、と言ってくれる。サッカーをやっている、谷崎(たにざき)という子だ。六年生がメインの中だというのに、たまに選手に選ばれることがあるので、クラスでの評判はなかなかだった。

 つまり梨花もかなりクラスでも明るいほうであるので、賑やかなウォークラリーになりそうなグループになったといえる。

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