ヘアスタイル・ステップアップ!
翌日、月曜日。
朝、お母さんに「これ使って!」と恵梨は頼んでみた。
「ああ、昨日のやつね。ふたつに結べばいいの?」
お母さんは頷いて恵梨の青いシュシュを受け取ってくれる。
買ってきた日、帰ってからすぐお母さんに見せた。お母さんは「あら、かわいいわね」と褒めてくれたのだ。
「お母さん、こういうのよくわからないから……梨花ちゃんに選んでもらえてよかったわね」
「うん! 梨花ってほんとにおしゃれでねー、あ、そうそう、梨花とお揃いで買ってほしい服も見てきたの!」
そんな会話をした。夕ご飯のときまで盛り上がってしまって、帰ってきたお父さんにも「いい友達ができて良かったな」と言われた。
「梨花ちゃんはおしゃれよねぇ」
お母さんは恵梨の髪を結んでくれる準備をしながら言った。
恵梨はお母さんの前の椅子に座る。お母さんが恵梨の髪を手に取った。くしでとかしてくれる。
毎晩洗ってとかしているので起きたときでもそんなにもつれていない。朝の支度もそんなに大変ではないのだ。
けれど恵梨は自分で自分の髪をまだ結べない。よって今朝もお母さんに頼んでしまった。
「ほんと、羨ましいよ……」
「いろいろ教えてもらったらいいわ」
「うん、そうする」
お母さんの結ぶ手つきは髪型が違っても同じだった。
さらさらと髪をとかして、今日はふたつに分けて、そしてゴムでくくって。
最後にシュシュを付けてくれたようだ。
「はい、できた」
ぽん、と肩を叩かれたので、恵梨は部屋の鏡に向かった。
どきどきしながら。
似合うだろうか。
覗き込んだ鏡に映る自分は確かにツインテールで、昨日買った青いシュシュを付けていた。
あれ、でもこれ、梨花のしてくれたのとは、ちょっと違う。
恵梨は少し違和感を覚えた。
けれどなにが違うのかわからない。
ふたつむすびでシュシュもついてるのに、どうして?
疑問を覚えたものの、ただのポニーテールのときよりは確かにずっとかわいかったので恵梨は素直にお母さんに「ありがとう」と言った。
「はい。さ、そろそろ行かないと」
「はーい」
素直に部屋へ行ってきちんと準備していたランドセルを手に取った。背中に背負う。
ランドセルもずいぶん小さくなってきていた。背が高くなったと思えてなんだか嬉しい。
恵梨が一年生のときに選んだのはシンプルな赤いものだ。恵梨が、というか半分お母さんに決められたようなものだったけど恵梨は別に不満はなかった。赤だってかわいい。
しかし梨花はなんと水色のものを持っていた。ピンクやムラサキや……いろんな色のランドセルを持っている子もいるけれど、梨花も一年生の頃からおしゃれだったんだなぁ、なんて出会ったばかりの頃は思ったっけ。
さ、行かないと。
登校は梨花と一緒ではない。家がそれほど近いというわけではないのだ。
帰りは途中まで一緒に帰ることがあるけれど朝は別。家の近所の四年生まで同じクラスだった友達と行く。なので梨花にこれを見せるのは朝、クラスで会ってからだ。
褒めてくれるかなぁ。
そう考えるだけでまたどきどきした。
梨花が選んでくれたんだ、かわいくないなんてことはないはずだけど。
思いながら階段を降りて、お母さんに「いってきます」を言って家を出た。
「おはよー」
「オハヨ」
五年三組の教室の朝はいつもどおりだった。みんな挨拶をしながら次々教室に入ってくる。
梨花はわりあい登校が遅いほうだった。むしろ恵梨が早いのかもしれない。クラスでも四、五番目くらいには教室に入ってしまうから。
「やっばい寝坊した!」
そして今日の梨花は特になかなか入ってこなくて、飛び込んできたのは朝のホームルームの予鈴直前だった。
「おはよ! 寝坊?」
「おはよ! うん、昨日お姉ちゃんと遅くまでトランプ……あっ」
梨花の机まで行って話しかけると梨花はすぐ恵梨の髪型とシュシュに気付いてくれた。
「ツインテールやっぱりいいじゃん!」
「えへ、ありがとう」
へにゃっと恵梨の表情が崩れる。褒められればやっぱり嬉しかった。胸の奥が熱くなる。
「青もすごく似合ってるし! やっぱりそれにしてよかった!」
「うん。ありがとう」
続いてシュシュも褒めてくれたのだけど、そしてそれは嬉しかったのだけど、どこか違和感があった。
その理由はすぐわかる。
梨花は例のシュシュをつけていなかったのだ。それどころかツインテールにした髪にはなにもついていない。
どうしたんだろう。
梨花がヘアアクセサリー類をつけていないのは初めて見たかもしれない。
いや、結びなおしているときはあるけどそのくらいで。
梨花はつけてきてくれなかったのかな。
恵梨は少し寂しくなったのだけど、それを悟ったように梨花が自信満々で、ぱん、とランドセルを叩いた。
「大丈夫! 持ってきてるから、あとでつけるね!」
そしてきまり悪そうに笑った。
「いやー、もう、寝坊したものだから結ぶのが精一杯でさ……結ぶのだってちょっと気に入ってないし……」
「なんだ……もー、梨花ったら……」
恵梨はくすくすと笑ってしまう。ちょっとうかつなところのある梨花らしい。
「ところで、それ、お母さんに結んでもらった?」
ふと梨花が聞いてきた。本当のことだったので恵梨は頷く。
「うん」
梨花はちょっと、恵梨の髪を見つめてくる。
どこかおかしいかな。
確かに自分でも梨花の結んだのとは少し違うなと思ったけど……。
梨花は「そっかー……」と、なにか言いかけたのだけど、そのとき予鈴が鳴った。席に戻らないといけない。
「あっ、予鈴鳴った。じゃ、またあとでね!」
「うん。あとでねー」
恵梨はさっと自分の席へ戻った。今日の一時間目は国語だけど、ホームルームのときに先生からの話がなにかあるかもしれなかったので、教科書などはまだ出さない。よってペンケースと下敷きだけを出した。
「恵梨ちゃん、それかわいいじゃん」
近くの席の女子が恵梨の今日の髪型かシュシュか、おそらくどっちかを見て褒めてくれた。恵梨も笑って「ありがと」とお礼を言う。仲良しグループとは別の子たちとも、そのくらいには仲良くなれたのだ。
二時間目と三時間目の間の休み時間はちょっと長い。普通の休み時間は十分だけど、ここの休み時間は二十分だ。
国都小学校では『中間休み』と言われていた。ちょっと長いので外に遊びに行ったりすることもできる。
ちょっとでもじっとしていないタイプの男子だと「サッカーやりにいこうぜ!」などと校庭に飛び出していくこともある。
今日、その時間。
恵梨は例によって梨花の机の椅子に座らされていた。
梨花は恵梨の髪をほどいて結びなおしてくれることになった。梨花の結び方と今日の結び方が違って見えた理由についても教えてくれる。
「恵梨のお母さんはさ、多分、ぎゅって結びすぎなんだよね」
コームで軽くとかしてからまとめてくれる。梨花がそう言った。
恵梨は思い当たる。
お母さんは確かに髪をきゅっと強くゴムで留めて、そしてそのあとふたつに分けてひっぱって引き締める。なのでポニーテールのときからすでに、ぎゅっとした結び方だったのだ。
「もうちょっと、ふわっと結んだほうがかわいいんだよ」
言うとおり、梨花の結ぶ手つきは優しかった。
「見て、覚えなよ」と言ってくれたので、恵梨は自分の持っている折り畳みミラーを机に置いて、それを覗き込んでいた。
梨花の手つきはとてもたくみだ。ゴムで留められる感覚も弱くて、お母さんの『ぎゅっとした』結び方に比べれば、なんとなくこころもとないけれど、ちゃんと留まっているのはわかる。
「それでね、最後にここをちょいちょいっと……」
器用にも結んだ髪の上の部分をつまんで引き出す。
鏡で見ていて恵梨は感嘆した。どういう選択でそこを選んで引っ張ってるんだろう。
でもそのおかげもあって、だろう。見違えるような出来になった。
「……すごい」
「えっへっへ。じょうずでしょ!」
呟いた恵梨に、梨花は自慢げに胸を張る。
「覚えて自分で結べるようになりなよ。そのほうがおしゃれに結べるよ」
梨花の提案に恵梨は頷く。
「うん。やってみる」
確かに自分で結べるようになるのが一番だ。
好きなようにできるし、それにツインテール以外の髪型もできるようになるかもしれない。
それにもう五年生なのだ。そろそろお母さんに結んでもらうのは卒業してもいいだろう。
「一緒に練習してもいいしさ!」
「うん。お願い」
そうこうしているうちに中間休みも終わりに近づいてきた。クラスメイトも少しずつ教室に戻ってきた。
「そろそろ戻ろうかな」と恵梨も椅子を立ったのだけど、そのとき梨花の席の前の志賀原が席に戻ってきた。
外に遊びにいっていたのかもしれない。何人かの男子と一緒に戻ってきていたから。
「あれ、またお揃いだ」
志賀原に声をかけられてどきっとした。
また、なんて言われた。前に『お揃い』と言ってくれたように、梨花と同じ髪型をしていることに気付いてくれたのだ。
なんだろう、ひとのことを良く見てくれる人なんだなぁ。
恵梨はなんだか嬉しくなってしまう。
「いいでしょー」
梨花はやはり嬉しそうに志賀原に言った。
「しかも今度はシュシュもお揃いじゃん」
さらに志賀原からそう言われたので恵梨はまた驚いてしまう。
梨花もさっき恵梨の髪を直してくれる前、髪を結び直して、例のお揃いで買った水色のシュシュをつけていたのだ。
それを見て恵梨は嬉しくなったのだけど、まさかお揃いが完成した直後に言われるとは思わなかった。しかも男子に。
おまけに『シュシュ』と言われるとは思わなかった。男子はそういう、髪飾りの名前に詳しいとは思っていなかった。
「あっ、そうなんだよー! 志賀原くんよく見てるじゃん!」
梨花も驚いたようだ。ちょっと目を丸くして言ったけれど、志賀原は「当たり前だ」と言わんばかりの声で言った。
「だってすぐわかるし」
いや、そうかな?
ほかの男子はこういうこと、言うだろうか。
恵梨は思ったものの、なんだか恥ずかしくてそうは言えなかった。
「なんかいいよな、女子のお揃いって」
言って、志賀原は笑った。
笑った顔をこんなに近くで見たのは初めてだった。その笑顔に恵梨の心臓は何故かどくりと跳ねてしまう。そのままどきどきと早い鼓動になった。
「じゃ、じゃあ私は席に戻るね」
やっと言って、恵梨は梨花の席を離れた。
「うん、また給食のときにねー」
梨花が軽く手を振ってくれる。そう離れていない自分の席に戻って椅子に座る。
次の時間は算数。教科書とノートだけでいい。なので机の中から算数の教科書を取り出して用意をした。
そのうちになんとなく梨花の席のほうをちらりと見てしまった。梨花はまだ志賀原となにかを話しているようだ。
なんだかちょっとそれを羨ましいな、と思ってしまった。
算数の時間。
恵梨はなんだか梨花の席のほうが気になってしまった。
梨花はいつもどおり、ぼーっと授業を聞いている。それほど勉強は好きでないのだ。よそ見をするほど不真面目ではないけれど。
その髪にはさっき結んだ、水色のシュシュ。とても似合っている。
そしてその梨花の前の席、志賀原。彼は梨花に比べれば真面目に授業を聞いていた。ノートに鉛筆でなにか書いている。
志賀原はクラスでもなかなか人気がある。梨花の片想いしている六年の国木ほど、学校中からモテモテ王子様ではないにしろ、クラスの女子の中で「志賀原くんってイケメンだよね」といわれるくらいにはカッコいい。
勉強も得意だ。テストではよく百点を取ったとみんなの前で先生に褒められている。
体育の時間もカッコ悪いところなんて見たことがない。勉強ほど目立って得意、というほどではなくて、普通の男子くらいだろうけど。ちなみに部活には特に入っていないらしい。
そして恵梨はほかの男子にはない彼のいいところを知っていた。それを『知っている』と、はっきり自覚したのは、さっき褒められてからだけど。
数日前のこんなやりとり。
「理科室の掃除、人が足りないんだけど」と、一人の女子が膨れながら教室に戻ってきた。
「掃除サボられた。サイアク」
「マジでー、男子サイテー」
女子同士で愚痴り合ったのだけど、そのときぼそっと志賀原が言ったのだ。
「オレ、手伝うよ」
彼はもう自分の受け持ちを終わって帰るところだったのに。ランドセルに教科書やらを詰めていたのをやめて、席を立ってドアへ向かった。
「えっ、ほんとに? ありがとう!」
膨れながら入ってきた子は顔を輝かせて、「あとちょっとなの!」と志賀原と理科室へ戻っていった、ようだ。
そのときのことを思い出した。
そういう、何気ないシーンで人を助けてくれるひとなのだ。
そう、さっきのように。
恵梨と梨花の髪型がお揃いであることだって、友達やほかの女子は気付いて褒めてくれた。
けれど男子で気付いてくれたのも褒めてくれたのも、志賀原だけなのだ。周りの人のことをよく見ているひとなのだと思う。
そして気付いた。なんだか彼のことを見てしまっていたことに。
「じゃ、ここ、わかる人?」
先生がふと、黒板の計算式を示して言った。
志賀原くんは手をあげるかな。
なんとなく気にしてしまったけれど、彼は手をあげなかった。勉強はできるけれど、あまりアピールはしないのだ。
はい、はい、と何人かの子が手をあげて、それは目立ちたがりの子か勉強ができる子かどちらかがほとんどだった。
「それじゃ……渡辺(わたなべ)くん」
先生が指名したのはクラスでも成績がいい渡辺だった。彼は嬉しそうに席を立って、黒板の前まできて計算を書きはじめる。
答えはわからないけど、多分合っているんだろう。算数も得意な渡辺くんだから。
そう思ったけれど、恵梨はまた黒板の前から志賀原のほうへ視線をやっていた。
志賀原はただ、黒板前のその様子を見ていた。手元のノートにはきっと正解が書いてあるだろうに。
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