第十話 理想郷

「思わない」


 私はそう葛城かつらぎアヤに告げた。

 次の瞬間、白い建物によって照り返される陽ざしが目を開けていられないほど眩しくなった。

 思わず目を閉じて、光に向かって手をかざす。そこでふわりと体に寄りかかれていた重さがなくなった。


「……そう、なの?」


 アヤの声はさっきまでの弾んでいた雰囲気が一切なくなっていた。もしかして、さっきの問いは嘘でも同意しておいた方がよかったのだろうか。

 でも、私が人生の大半が夢の世界だったのは、夢の世界にずっといたかったからじゃない。


 目を少し開けると少し離れた場所にアヤは立っていた。


「うん」


 痛む左足を庇うように右足に力を入れて立ち上がる。悔しいけど身長差がほとんどないおかげで、何もせずとも私の目線はアヤに合わせることができた。


「アヤ。私はずっと夢の中にいたけど、いたかったからいたわけじゃないの。私はただ、ずっと、目を覚まさなかっただけ。自分の力では起きられなかっただけ」


 だから、起こしてもらった。あの人に。


「……私とは逆なの、アルフィーネさん。私は……」


 不思議とアヤがいる場所からの逆光が弱くなる。ようやく私は満足に瞼を開けた。

 彼女は両手の手を左右に伸ばしている。


「夢の世界は素敵なの。だって、見る度に私は変わる。見る度に世界を変えられる。現実の物語の中に浸るよりもずっと魅力的な異世界がそこにあるの!」


 今まででとびっきりの子供らしい笑顔だった。本心から夢の世界が好きだとアヤは言っている。

 アヤは近づいて私の手首に付いているDLS端末を握る。それからすぐに私にその顔を向ける。


「ねぇ、アルフィーネさん! 夢の世界に来たいと思ってるなら、いつでも私を呼んで! 待ってるの!」


 アヤは体を一回転させる。ふわふわの服をふわりと大きく広がった。そのまま街の中に駆け足で戻っていく。

 アヤのロリータ服が見えなくなったと同時に、建物からくる照り返しが一層強くなったように感じた。


『端末を再起動します』


 頭の中に機械音声が響いた。気づいて私は手首に付けられたブレスレット型のDLS端末が動いていることに気づいた。


「直ってる……?」


 まるで夢のような妙な高揚感があった。


 ――痛い。

 だけどやっぱり、夢じゃない。足首の鈍い痛みがそのことを如実に告げる。


 バタンと扉が開く音がした。非常階段の三階に目を向けると喫茶店の店主がいる。彼は私に気がついて、慌てた様子で非常階段から降りてくる。


 なんと説明しようかと考えていたほんの数十秒で、店主がやってきた。


「……何から聞くべきか……一体これは……?」

「ええと……」


 建物の立ち並ぶ場所の隅。袋のゴミが散乱した場所の中に女が倒れ込んでいる。そんな状況で即座に通報しないだけ、まだマシなのかも。


「……探偵さんが非常階段で『何かいる!』っていってここまでジャンプした、って信じられる?」


 店主は文字通り頭を抱えたあと「ああ……」と短く呟いた。話が早いということは、過去にも似たようなことをしでかしたようだ。

 店主は私の体を一瞥いちべつする。


「怪我は……?」

「足首を捻ったみたいなの。でも、応急処置は……」


 ――そういえば、アヤはこの近くにかかりつけ医がいることを隠したがってたわね。なら、あまり言わない方がいいかも。


「……自分でやったから大丈夫よ」

「……そうか……? それで……あの男は……?」

「血相変えてどこかに……」


 再び頭を抱えて「ああ……」と声を漏らす。やはり似たようなことがあったのだろう。


 灰色の建物の切れ目から、男がひとりトボトボと出てくる。今、私達が話題にしていた探偵のギンヤだ。服が私以上に破けていり、ほつれていたり、酷い状態になっている。

 だけど、服なんて当人は気にしていないようだった。近づいてきたギンヤの顔を見ると、顔の発色が死んでいる。うめき声まで上げるので、まるでゾンビにでもなったみたいだった。


 店主は大きく肩を揺らし、ギンヤに詰め寄る。


「お前……こんなところに女を一人で……! ……何を見た?」


 だが、ギンヤのおかしさにすぐに気づいたらしく、すぐに足を止めた。

 店主の発言にギンヤは「……いた」と小さく言う。

 それって確か非常階段から飛び降りたときも言ってた……。


「“透明な蝶”……のこと?」

「……俺の店で言っていた……やつか。……そいつが……さっきまでいたと……?」


 ギンヤはポケットからサングラスを掛け直す。


「ああ……」

「でも、最初に見たって言ってたの、DLSの中だったわよね? DLSにいた奴と同じ奴がいたの?」

「同じ種類だと思う。だが、別個体だ」


 別個体? つまり、“透明な蝶”は沢山いる?


「何が何だか分からないんだけど……。説明してよ、探偵さん」


 ギンヤは私がさっきまでいた場所を凝視しているようだった。言葉に詰まっているようにも見える。

 だが、意を決したようで口を開いた。


「……著名人失踪事件……。その犯人も“透明な蝶”……かもしれない」

 どういう、ことなの。ギンヤの話って所詮はただの“見た目”だけじゃないの?


 DLS――つまり夢で襲われるとアカウントが消える。

 現実で襲われると存在が消える。そんな超生物。


 ギンヤは“透明な蝶”をそのように評している。どんなオカルトだ。

 心霊写真だって、今の時代簡単に偽造が出来てしまうし、廃墟に何かいると見せかけるホログラフィックな技術だって進んでいる。そんな時代に夢と現実を行き来する化け物がいるなんて、到底思えない。


「ハッカー。行方不明事件の資料を集めてもらってもいいか?」


 本当に最後にこの探偵を頼ってもよかったのだろうか。私が……この人のことを壊す前はもっとまともだったのだろうか。


「……ええ。分かった」


 だけど、今はそう言わざるを得ない。

 私の今の目的は、ジュンイチ先輩の無罪を信じさせることだから。

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