第2話:快晴の日に落ちた墨

 自宅に招き入れるのは俺にとっても彼女にとっても安全ではないと判断し、駅前のドトールに向かうことにした。

「シェアハウス?」

「うん、俺が提案した」

「そうなんですね。じゃあ別にその、えーと」

「あいつがこんなおっさんと恋仲だと思う?」

「い、いえ! 充分お若いです!」

 道すがら、彼女の声は興奮故か緊張故かトーンもボリュームも高かったが、何故だかその様子が愛らしく思えて、俺は何も言わず会話を続けた。

「あいつはおっさんって呼ぶよ」 

「いつもですか?」

「うん」

「じゃ、じゃあ……」

 彼女の視線が一瞬足元に落ちる。


「大変失礼ながら、わ、私もおっさんと呼ばせていただけませんか」


 へ?


 思わず目を見開くと、彼女は必死の形相で続けた。 

「すみません、ここにいる時点でストーカーっぽいし事実ストーカーの線が濃厚ですが、その、私はおっさんさんの同居人さんを慕っている者です。つ、つまり、その……」

 開いた口がふさがらないかとはこのことかと思ったが、それでもこの子の必死さに、俺は好感を持った。まっすぐだ。憧れの人の住所を調べてやってくるのは、捉えようによっては危険だけど、この子は無害だと、俺の直感が語っていた。


「要するにツクリテと同じ視点で俺とも話したいってことね」

「ツクリ、テ?」

 彼女がきょとんとした顔を見せた瞬間、ドトールの前に到着した。彼女の許可を得て喫煙席にテーブルを確保し、アイスラテを奢って会話を再開する。

「ミュージシャンとかアーティストとか言うとあいつ怒るんだよ」

「あ! それは有名な話ですよ! インディーズデビューした頃からずっと公言してて」

 へえ、俺にだけじゃないんだな、と思いながらタバコに火を付ける。

「でもおっさんさんがツクリテと呼ぶのであれば、僭越ながら私も、少なくともおっさんさんとの会話では、ツクリテと呼びます!」   

 分かった、この子、ボキャブラリーがおかしいんだ。『ストーカーの線が濃厚』なんてニュースみたいだし、『僭越ながら』に至っては実際に音声で聞くのは初めてだ。

「あ、待って」

 俺が思いついてそう言うと、彼女は頬いっぱいに含んでいたラテをごくんと飲み込んで、

「はい! 何でしょう!」

 と、これまた勢いよく返した。

「俺はおっさん、きみが好きなあいつはツクリテ。じゃあ俺はきみをなんて呼べばいい?」

 彼女は数秒間停止して、二度まばたきをしてから、言った。

「ファン……ファン?」

「ファンファン? いいね、パンダの名前みたいでかわいい」

「と、とんでもないです! ただファン以外に何も想起できずファンと二度言っただけで……」

「じゃ、ファン子ちゃんね。よろしく」

 俺が手を差し出すと、ファン子は恐る恐る腕を伸ばし、俺の手を握り返す前に一度服で拭ってから、それでもがっちりと、握手をした。



 ファン子には、いくつか条件を出した。

 まず、この住所を他の人間に教えないこと。

 俺と話すのは構わないが、家には立ち入らないこと。

 最後に、ツクリテと彼のバンドの活動に支障が出るような真似はしないこと。 


「至極真っ当な条件です。もちろんお約束します」


 また『至極』とか言うし。この子いくつなんだろ。


「失礼だけど、ファン子ちゃんがどういう人か知りたいな」


 そう言うとファン子ははっとして、


「こちらこそ、ろくに自己紹介もせずに大変失礼いたしました! 名前は……ファン子、年は二十一、平たく言うフリーターで、二駅先のアパレルショップでアルバイトをしております。最終学歴は高卒ですが、お金を貯めて大学に入ることを希求してやみません。ツクリテ氏を筆頭に、主に日本のロックバンドが好きで、足繁くライブハウスに通っています!」


 身を乗り出して、ファン子は息継ぎなしで一気にまくしたてた。アパレルショップならこの曇天のような灰色の髪も許容範囲だろうなぁ、と思った。『希求』とか『足繁く』はもう気にならない。

「では、失礼ですがおっさんさんのことを、教えていただけますか?」

 少し視線を落としたファン子が言う。

「俺? 俺はあの家に住んで綺麗に維持するのと、他にいくつか持ってるビルとかの管理人みたいなのが仕事。年齢は三十六、同居人はツクリテ、趣味は家事と散歩、愛煙家だけどセッター以外を吸うと吐く」

「家事をなさってるんですか?」

「うん、ツクリテはそういうこと一切しないし」

「はあ……。じゃあお料理や掃除、洗濯などは……」

「全部俺の仕事。女子力は当然ないけど、主夫力はかなり高めだと思うよ」


 ファン子はまるで珍しい生き物でも発見したかように俺の顔を見る。あ、と俺は気づいて付け足した。


「別にツクリテに養ってもらってるわけでは全然なくて、仕事が割と融通利く感じだから、時間はあるんだ。家事が好きっていう男はまあ、珍しいかもね」 

「そういった男性が存在するというのは何となく存じておりましたが、実際にお話しするのは初めてでです」

「ファン子ちゃんはひとり暮らし?」

「はい、でも部屋は散々の有様です」

 俺はぷっと噴きだしてしまった。


「あの、基本的な質問になりますが、おっさんさんはツクリテさんの音楽を、どう思われますか?」

「美しいと思う」


 そう、即答した。

 するとファン子はまた目を輝かせ、

「私もです! 二枚目のミニアルバムはハードな曲が多いですけど、美しいんです! 『ノレる』とか『かっこいい』とかじゃなく、美しいんです!」


 何だか嬉しかった。そして気づいた。俺はツクリテの音楽に惚れているけど、こういう風に他の誰かとその素晴らしさを共有したことがなかった。初めて仲間を、同志を発見した。思わず、ぞっとするほど興奮した。

 結局俺らはその後、ツクリテの音楽について語り合い、ファン子のバイトの時間まで熱弁を振るった。

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