失恋したから髪を切ったわけなんかじゃない
「おはやまーす。うー、今週もまだまだ暑ぃな」
ツナギを半脱ぎにし、袖を腰に巻き付けた
「銀、おはよ……」
「おはようございます。って社長! なんすかその髪。すげー短いじゃないっすか。クソバッサリ行きましたね」
先週の土曜までは背中の中ほどまであった姫奈の髪は、耳が出るほどのベリーショートになっている。
「あは……。切っちゃった。似合うかな」
「いやクソ似合っててアイドル並みですけどどうしたんすか。隙あらばブラッシングして自慢してたのに。……まさか、また失恋したんすか?」
銀二が冗談半分、心配半分でそう言うと、姫奈の両目にみるみるうちに涙があふれてきた。
「うわあああ。銀~」
姫奈は声を上げて泣き出すと、銀二に抱き着いてきた。ああ、やっぱりそうだったか。銀二は毎度の展開に半ば呆れつつも、スッキリした頭をポンポンするのだった。
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「で、今回はなんで振られたんすか? またあのハンバーグでも作ったんすか?」
「ううん。髪を切ったら振られた」
「は? 振られたから髪を切ったんじゃなくて、髪を切ったから振られたんすか? 順序合ってます?」
「うん。土曜日に周ちゃんの家にお泊りに行ってね」
「お……おう」
「で、朝起きて、隣で周ちゃんが寝てるの」
「生々しいっすね」
「それで、寝顔が可愛いから、上からじーっと見てたらね、ほら、私って髪が長いでしょ。あ、長かったでしょ」
「はあ」
「それで、背中から髪が流れて落ちて、寝てる周ちゃんの鼻先をくすぐっちゃったみたいのなの。それで周ちゃん凄いびっくりして起きて、で、怒って」
「まあ、びっくりはするでしょうね」
「それで、ごめんね、私の髪が長いばっかりにごめんね、って髪を切ったらね」
「え、その場でですか」
「うん。ハサミで」
「自分でですか」
「自分で」
姫奈はべそをかきながらこっくり頷く。またやらかしやがったな。銀二は大きくため息を吐いた。
「そしたらね、『重っ! ひくわー』って言われて、で、前々から重すぎて引いてたから別れようって言われて振られたの」
「まあ、激重っすよねえ……」
「そうなの~。わかってるんだけど好きすぎて~。銀~」
「あー、はいはい」
再び泣き始めた姫奈を銀二はあやす。頭をポンポンやりながら、途方に暮れて顔を上げると、壁にかかった先代の写真と目が合った。
――先代、お嬢さんほんとめんどくせーっすよ。
ここはとある町にある板金屋、オードボデーゲンナ。車の修理と昔ながらのげんのうを使った叩きに定評のある町工場だ。元々は姫奈の父である先代が経営していたのだが、事故にあって急逝した。
事故当時、従業員は先代の他には、高卒4年目の銀二と、外国からの研修生のカルダモンの2人だけだった。銀二は、店はそのまま畳むのだろうと思っていたが、何を思ったのか短大に通っていた姫奈が学校を辞めて後を継いだ。銀二は心底驚くとともに、お嬢さんに社長が務まるのかを危惧した。
世話になった先代の自分ががやるというなら、恩に報いるためにも、自分が何とかするしかない。そう考え、嫌いだった大検や簿記の勉強を始めたが、銀二の心配をよそに、姫奈はうまく工場を回した。それだけでなく、先代譲りの技なのか、カナヅチ裁きが異常にうまかった。ちょっとした車体のへこみなら、まるで何事も無かったかのように元に戻すし、雪平鍋を打たせれば、幾何学的な模様にすら見える槌跡をつけた軽くて熱伝導性の高い鍋を、こともなげに仕上げる。
おまけに見目爽やかで、愛想がいい。非の打ち所がない2代目だった。……一点を除いては。その一点が、今日のこれだ。
姫奈はすぐに惚れ、そしてすぐに夢中になってやりすぎ、すぐに振られる。はっきりいってチョロい。急に跡を継ぐと言い出したのも、おそらくは振られたタイミングと重なって、ヤケになっていたからだろうと銀二は睨んでいる。
そして、振られるだけならまだしも、怪しげな輩の持ってくる妙な契約書に判をおしそうになった事も一度や二度ではない。正規の取引の時にはそんなことは無いのだが、ちょっと色目を使われると、即母印に社印を持ち出すのだ。毎回、すんでのところで、銀二が慌てて止めることになるのだ。
――これさえなければ、パーフェクトなんだけどなあ。
銀二はやっと泣き止んだ姫奈の顔を見て、口に出さずにそう思った。
「ま、社長、またすぐにいい人見つかりますって」
「ううん。あれが最後の恋だって、わかってるから。もう二度と人を好きになる事なんてないんだわ」
「あー、はいはい」
そんなやりとりをしていると、カルダモンがナンを咥えながら出社してきた。
「遅刻デス! 遅刻デス!」
「おはよーカルダモン。お前それわざとだろ」
「インド人ジョークデス。あっ、ヒメチャン髪切ったデス?」
「うっ……そうなの~。カルダモン聞いて~」
ようやく泣き止んだ姫奈がまたべそをかきはじめた。やれやれだ。それでもまあ、いつもの朝だ。先代、オートボデーゲンナ、今日も一日始まりました。銀二は何度目かのため息を吐くと、作業の準備にとりかかった。
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