肉詰めピーマンと役立たずのカナリーノ

 さる豪奢な屋敷の厨房の片隅に、所在なさげに少年が立っていた。年の頃は8つほどだろうか。見るからに華奢で、身に着けている服は誰かからのお下がりなのだろう、どれもこれもだ。もしゃもしゃの赤毛は、そこここにくせ毛がぴょんぴょんと跳ねまわっている。無造作に降ろされている前髪の下から覗く片眼は、怯えるように、それでいて、何かを期待しているかのように厨房で忙しく動いている男を見つめている。


 やがて、がっしりとした体躯にコックスーツをまとった男が、1枚のプレートを手にやって来た。少年に向かって片方の眉を上げて見せると、顎をしゃくって付いてくるように促した。少年はこくん、と頷き、男を追って厨房を出た。


 2人が向かったのはは、屋敷の執事室だった。男はおざなりにノックをすると、返事を待たずにドアを開ける。部屋の中では、ほぼ白くなった髪を丁寧に撫で付け、銀縁の眼鏡をかけた初老の紳士が椅子に腰かけ、男の方へと銃を向けていた。紳士は銃を降ろすと、手元の書類を整理しながら男へと声をかける。


「ふむ。時間通りですね」

「相変わらず愛想がねーな、イアン。おはようくらい言えねーのか」

「マッシモ。君こそノックをしたら返事を待ちなさい。あやうく、そのまま撃たれるところでしたよ」

「へいへい。あんたがそんなミスするわけねーだろ。ほれ。今日の朝飯だ」


 マッシモは乱暴にイアンの机の上にプレートを置き、部屋の隅から椅子を持ってきてその前に置いた。


「にんじん、ピーマン、ニンニク、ズッキーニ、それにトマトにチキンですか。ふむ。ではカナリーノ、お願いします」


 声をかけられた少年はよじ登るようにして椅子へと座ると、いただきます、と言って料理に手を付け始めた。まずはにんじんのグラッセ。柔らかくなるまでじっくりと煮られ、砂糖とバターでソテーされたそれは、噛むほどに甘みを感じるはずだ。だが、少年の舌にはまだにんじんはのか、時々えづきながら、鼻をつまんで食べ終える。次のピーマンの肉詰め、ニンニクのアヒージョ等々も同じように苦労しながらも、それでもひとかけらも逃すまいというように平らげた。そして少年は、ぺこりと頭を下げた。


「ごちそうさまでした」

「おう。で、どうだリーノ。身体からだは?」

「うん。なんともないよ。いつも通り不味かっただけ」

「ハハハ! そうか! じゃあ安心だな」


 料理を不味いと言われたマッシモは、なぜか豪快に笑い飛ばした。そんな2人の様子を見ていたイアンが、眼鏡に手をかけて声をかける。


「カナリーナ、ピーマンはどうでしたか」

「え……」

「正直に答えて下さい。肉詰めのピーマンです」


 少年は2人の顔を交互に伺い、やがて、諦めたかのように悄然と項垂れると小さな声で答えた。


「ピーマンは……おいしかった」

「は? 本当かリーノ。嘘だろ」


 マッシモの問いに、少年は静かに首を振る。マッシモは額に手をやると、天を仰いだ。


「マジか。もうお前、そんな育っちまったか」

「ええ。もう味覚が変わってきているようですね。では、」

「待ってくれイアン。今日はたまたまかもしれねえ。もう少し様子を……」

「マッシモ」


 イアンはマッシモの言葉をぴしゃりと遮り、淡々と言い放つ。


「子供の味覚が大人と違うのは、まだ体が出来上がっておらず、弱く、そのために毒に敏感だからです。わずかな毒でも不味いと感じる。その鋭敏さこそが毒見役のカナリーノ金糸雀に求められている才能です。食事に少しずつ毒を混ぜる暗殺方法が流行しているこのご時世、それがどれほど大切な事かはあなたでもわかるでしょう。だから毎日毒見以外の食事を抜き、味覚が鋭敏に、そして貪欲になるように飼っているのですから」

「だがよお……」

「今日でカナリーノはクビです。明日までに代わりの子供を見つけて来てください。ボスの朝食は、今日は缶詰でも食べてもらいましょう。では」


 老紳士はそれだけ言うと、再び手元の書類を整理し始めた。


「ま……待ってください! 捨てないでください! 僕、なんでもやりますから。銃の使い方も、ナイフも、料理だって覚えますから」

「リーノ……」


 少年は必死に主張する。その声に、老紳士の視線が少しだけ上がった。


「ふむ。組織の一員ファミリーになると」

「はい!」

「おい待てリーノ。よく考えろ」

「ううん。ずっと考えてたんだ。僕だってわかってた。もうすぐ僕の仕事はできなくなるって。だから、そうなったら僕にできる仕事はなんなのかって、考えてたんだ。なんでもやるよ。僕は将来、マッシモみたいなシェフになりたいんだ」

「シ……シェフ?」


 2人のやりとりを老紳士は笑みを浮かべて眺めていた。


「ほう。まるで昔のマッシモみたいですね」

「うるせーな。あー、イアン。リーノの件は一時預けてくれ。よく考えさせる」

「フフ。分かりました。朝食の準備は抜かりないように」

「わーってるよ」


 執事室を抜け、厨房へと戻ると、イアンは調理台の上にドカッと皿を並べ、その前に少年を座らせた。


「マッシモ……これは?」

「朝飯だ。ボスには出せねえ。お前が食え」

「でも……」

「いいから食え。今日からお前は毒見役のカナリーノじゃねえ。リーノ、いや、ヤスヒサ。もうお前は腹いっぱい食っていいんだ。まずは食え。明日からの事を考えるのは、それからだ」


 少年――泰久ヤスヒサは頷くと、ものすごい勢いで目の前の食事を食べ始めた。


 リーノはその姿を見ながら、ため息を吐いた。やれやれだ。こいつはどうなるのか。どうすればいいのか。ファミリーに入れることはおあまり勧められるもんじゃねえ。困ったもんだ。


――まずは俺も朝飯を食うか。


 朝ご飯は大切だ。きちんと食う物を腹に収めてから、それから考えよう。まずは食う。それからだ。マッシモはまかない用に取っておいたパスタに卵とコショウをかけると、にかかった。今日も一日、頑張っていくしかねえな、と考えながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る