第15話 その前提を信じて

「んんっ……美味しい……」

 届いたメニューを口にして一言。まずそんな声を漏らす。

 こんがり黄金色に焼きあがったデニッシュはふんわり口の中に入ると溶けてしまいそうな口当たりで、その温かさと対比するように甘く冷たいアイスクリームが味覚に追い打ちをかけてくる。とどめは蜂蜜。

「なんか放課後にこうして友達と甘いもの食べるって、高校生っぽくていいね」

「…………」

「は、遥香……?」

「あ、す、すいませんっ……そうですね、いいですよね」

 私に声を掛けられて我に返ったのか、遥香は口元を手で隠して慌てて私に同調する。

「高校生っぽい……か……」

 そして、意味ありげな一言を呟く。

 何か、あるのかなあ……。少し気になるけど。でも、それよりも私は聞かないといけないことがある。

 デニッシュが残り半分より少なくなった頃に、私は切り出した。

「あ、あのさ遥香。ひとつ聞きたいことがあるんだけどさ……」

「何ですか?」

 彼女は一緒に頼んだホットコーヒーを口に含み、私の言葉を待つ。

「……陽平の、こと、なんだけどさ」

 私が彼の名前を口にした瞬間、カップを持つ遥香の右手が揺れた。

「……た、高崎君……ですか?」

 揺れた右手を伝って、コーヒーが揺れてカップから零れそうになる。「わわっ」と彼女は慌てて白いカップをテーブルに置く。

「うん、陽平のこと」

「そ、そんな、私に高崎君のこと聞くなんて……むしろ私が」

「ねえ、どうして、陽平のこと、避けているの?」

 それを聞くと同時に。遥香の目線はどんどん下に向いていった。

「……そう、見えましたか? 茜には」

 膝の上でギュッと握った両手を見つめ、彼女は言葉を小さく落とす。

「うん。そう、見えた」

「……そう、なんだ……」

「ねえ、どうして。宿泊研修であのことが起きるまでは、全然そんなことなかったのに」

「……なんで、なんでしょうね……私も、よくわかりません……」

「え……?」

「私自身……よくわからないんです……」

 店内の静かな雰囲気に似合うくらい、小さく掠れた声だったんだ。

「私……中学まであまり友達がいなくて……別にいじめられているとか、そういうわけではなかったんですけど……だから、こういうふうに誰かと寄り道したりだとか、学校のイベントとかで誰かと一緒になって何かをするって、したことがない経験で……誰かに優しくされるのも、今まで受けたことがなくて……」

 失礼かもしれないけど、意外だとは思わない過去だった。彼女の入学式の様子を見れば、こういう時間を過ごしていたと言われても納得はいく。

「……あの日、高崎君は自分のことを顧みずに私に上着を貸してくれました。……そのおかげで私は大したことはなかったんですけど……その代わり高崎君が……研修を抜けるようなことになっちゃって……どこか、申し訳なくて……私のせいで、高崎君に迷惑をかけたって思いが……あって……多分、それが、知らず知らずのうちに、私が高崎君を避けていることに繋がっているんじゃないかって……思うんです……これ以上、迷惑をかけたくないので……」

「別に、陽平は気にしてなんかないと思うけど」

「かも、しれませんね。彼……色んな人に優しくしてますから……私に対してのそれもきっと高崎君にとっては自然なことなのかもしれません。……でも。……だとしても。どこか、怖くて……」

「怖い?」

「高崎君に優しくされるのが、怖いんです」

 余韻を残すように、ゆっくりと。遥香は一言一句伝えようと噛み締めるように私に話をしていく。

 そんなこと、思う人もいるんだ。って。

 優しくされるのが、怖い。

 ……それを聞いて、私が抱いていた違和感の正体が何なのかつかめたような気がした。

 逆に陽平も、遥香に対して自然にはいたけど、関わりを強く持とうとはしていなかったな。彼はその場限りだけではなく、後のフォローまで気に掛けることができる人だ。中学の体育祭で怪我した男子を保健室に連れて行った後に、その男子の代わりに種目に出る人を探していたし、怪我した男子を責めないような空気感に誘導していた。学校祭の前日準備のときにある女子生徒が必要な道具を持ってくるのを忘れてしまいクラスからひんしゅくを買いかけたときも、彼は替わりの手段を用意して準備がだめになるのを防いだし、その女子生徒へのフォローも欠かさず行いクラスで浮いてしまうのを阻止した。

 そんな彼だからこそ。

 宿泊研修である意味事件を起こしてしまった遥香に対して陽平が具体的なフォローを何一つ入れていないことが、きっと私には引っかかっていたんだ。実際、その役回りは恵一がしていた。もちろん、研修途中で抜けないといけなくなった、だからすぐにフォローを入れることはできなかった、っていうのはわかる。でも、陽平なら後日でもそういうことは抜け目なく行う人のはず。

 誰にでも優しい陽平が、遥香に対してだけ、少し違う対応をした。それが、心のどこかに引っ掛かっていたんだ。

「……また、彼に迷惑をかけるのが、怖いんです……」

「別に……そこまでに気に病むことはないと思うよ、私は」

 だから、私はそんなことを言ったんだ。

 陽平は彼女を作る気がない。なら別に他の女の子と仲良くさせても、何も起こらない。私は、彼の隣にいられれば、それでいいのだから。

「陽平はそうそう誰かを恨んだりとか怒ったりとかはしないし、わざと何かしたとかじゃない限り、陽平は大抵許してくれる」

「で、でも……」

「大丈夫だよ。別に陽平は過去のことなんかなんとも思っていない。普通に話しかければ仲良くなれる」

「……なんとも、思ってない」

 遥香は、私の発した言葉を繰り返す。

「……そう、だよね……だって、高崎君は……」

 ほんの一メートル先に座る彼女のひとりごとは、それ以上は聞こえなかった。


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