第3話 剥げた塗装の歩道橋と、三人を見上げる僕

 自己紹介も終わると、今日はもう下校になった。僕ら四人は一緒になって校舎を出て、まだ残った雪の上を歩いて帰り始めた。

「いやー、まさかでも全員同じクラスになるとは思わなかったよー」

 前を歩く茜が後ろを歩く僕と恵一の方を見つつそう言う。

「まあ、そもそも四人同じ高校に入れるなんて思ってなかったからね」

「ちょっ、え、絵見……毒が強いなあ入学早々」

「私はいつも通りだよ。ほんと、茜は陽平に感謝してもしきれないと思うけどね」

 茜と並んで前を行く絵見はチラリと僕の顔を一瞥してから茜にそう言った。

「その節は、ほんと、ありがとうございます」

 ……らしくないカタコトのお礼の言葉が僕の耳に聞こえる。

 いや、何があったかと言うと、中学三年の夏の終わりごろから、僕は茜の勉強を見てあげたんだ。茜の成績は夏くらいまではまあ口にするのも憚られるようなもので、とてもじゃないけど今通っている札幌菊水高校に合格はできない、そんなレベルだった。ただ僕や恵一、絵見はこの菊高(菊水高校の通称)を受けることを決めていたからか、茜もどうしても一緒に行きたかったらしい。茜は文系科目が特にまずかったので、そこで文系が得意な僕にお鉢が回って来た、そういう事情。絵見は理系科目の方が得意だから、茜に教えることはしなかった。

「ま、まあ……別に僕もそんな大したことをしたわけでもないんで」

「いや、陽平。それは謙遜しすぎ。あの茜を、夏の模試で合格率三十パーセントを下回っていた高校に合格させたんだよ。もう一生言うこと聞かせられるよ」

「えっ? え、絵見? そこまで? 私の人権は?」

「ほら、中三の春の茜だったら人権なんて言葉口から出てこないから」

「おーい、私に対する扱いが雑じゃありませんかー」

「あのアホの子だった茜から、人権なんて言葉が出てきた……これは人類にとっては小さな一歩かもしれない」

「ちょっと、恵一までいじらないでよ。しかも小さな一歩なの?」

「ははは……ははは」

 そんな三人のやりとりを、僕は笑いながら聞いていた。

「そういえばさ、すぐに宿泊研修があるけど、班は自由に決めていいらしいんだよね、班一緒に組む、よね?」

 帰り道も半分を過ぎたころ、茜は不意に話をそう切り出した。

「まあ、特に事情がなければいいと思うけど……確か五人班になるって、書いてなかったか?」

「え、あ、そうなの? ……ま、まあそれならそれで誰か適当に入って貰えばいいと思うけど」

「……俺が言うのもあれだけど、この仲が良さそうな四人に突っ込んで一緒の班になりたい奴なんてそうそういないと思うぞ……いても余っちゃったとか、そういう感じだと思うし……」

「…………」

「まーそういう後先考えないあたりさすが茜だよな」

「…………」

 いや、あっさり論破されてるし……。

「いいよ、俺も別に反対ってわけじゃないから、上手いこと五人目引き込もう?」

 そして譲歩されてるし……。

 こういうところが言ってみれば恵一のいいところなんだけどね、まあ。周りの様子を見続けて常に集団の最大幸福を作ろうとする、って言うか、何と言うか。

 そんなふうに話していると、菊水・旭山公園通きくすいあさひやまこうえんどおり沿いもほどほどに歩ききり、地元では誇っている(といいな)円形歩道橋に差し掛かった。ここが、僕ら四人の別れ道。

「じゃあ、また明日な、陽平」

 恵一達三人と、僕は通っていた小学校が違う。同じ菊水と名がつく街で育った僕ら四人だけど、それなりに違う場所に住んでいるんだ。

「うん、また明日。みんな」

 少し塗装のはげた歩道橋の階段の下、三人を見上げつつ、別れの挨拶をかける。寒さで火照った頬が三つ、僕のことを見下ろす。

「じゃあねー陽平」

「また明日」

 そんな三人を見送ってから、僕は円形歩道橋から徒歩五分のところにある自宅へと歩を進め始めた。

 さっきまで聞こえていた、たくさんの雪を踏みしめる足音はもう聞こえない。


 翌日。勿論この日授業はなく、終日ガイダンスやら新入生歓迎会やら色々と行事をこなす一日だった。午前は校内をざっと回らせてもらったり、教科書の購入やら色々と。

 四時間目に、クラス委員を決めることになった。早いような気もするけど、そもそも宿泊研修を早い段階でするので、それよりも先には決めておきたい、そういう意図があってらしい。

 なんだけど。

「だ、誰かいませんか……?」

 困った子犬のように辺りを見回しながら立候補を待つ羽追先生が目の前にいた。かれこれ十分くらい、進行が止まっている。

 ……二日目の学校でクラス委員に立候補するって、相当な図太さがないとできないと思うんだよなあ……。まあ、そんな人がウチのクラスにはいなかった。そうなるんだけど。

 しかしそろそろどうにかしないと他薦とかになってしまうかもしれない。最悪くじ引きとか。それは避けたい。

 ……いや、僕にクラス委員は荷が重すぎる。……それに、僕は、そういうことができる器を持った人間じゃないから。

 僕は、僕が嫌いだ、と言い切れるくらいには、自分のことを良く思っていない。

 だから、委員にはなりたくない。

 僕は顔を上げ、一瞬チラッと後ろに座っている恵一の顔を窺う。彼も彼とてこの状況をどうにかはしたいらしく、キョロキョロと辺りを見回してはいた。

「うーん……どうしよう、それならとりあえず他薦もありでいいんで、誰かありませんか……?」

 羽追先生の問いかけも空しく、教室にはさっきから沈黙しか流れない。

 このままだとくじになりそうだ。もしくは、昨日今日とでクラス内で目立ったことをした、僕とかが他薦でくるかも。

 ……恵一。悪く思わないでくれよ。

「はい」

 僕はスッと手を上げる。すると先生は救われた少女のように目を輝かせつつ僕に顔を向ける。

「は、はい高崎君っ」

「戸塚がいいと思いまーす」

「はっ、はあ?」

 僕の発言に対し、声をあげる恵一。……初日の自己紹介で僕を巻き込んだお返しだ。

「恵一はよく周りをみるタイプの人なんで、適任かと僕は思いました」

「ちょっ……陽平……」

 彼はまだ反論を試みようとしたけど、思いとどまったようだ。

 ああ……今きっと恵一と先生の目が合ったな。……あんな助けを求めるような目を恵一に送ったらもう駄目だよ、恵一は断れない。

「……し、仕方ないですね……わかりましたよ、やります。俺がやります」

 僕の思惑通り、って言ったら聞こえは悪いけど、まあ上手いことはいった。

 ……これくらいは許してくれ、恵一。


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