第2話 タンポポの刺す痛みは

 入学式が終わり、また教室に戻る。自己紹介をすることになり、出席番号一番から順に前に出ていくことになった。

 一番の男子生徒が教壇に上がる。

「えー、澄川すみかわに住んでます、相上光あいうえひかるです。『あいうえ』って名字だからか、一度も出席番号一番を譲ったことはありません」

 その自己紹介に、教室が一瞬笑いに包まれる。なるほど、確かに「あいうえ」より五十音で先に行く名字って……「あい」さんくらいしかないかな。

「二番の相川君には悪いけど、自分がいる以上、このクラスの一番は譲ってもらおうかと思います。一年間よろしくお願いしまーす」

 そして相上と二番の相川が入れ替わる。

「一番は喜んで明け渡します。もう何かと先頭でやるのは疲れました。恵庭えにわ市から通ってます、相川祥太郎あいかわしょうたろうです。JR民の人がいれば仲良くしたいです、よろしくお願いします」

 恵庭から……高校ってすげぇ……。

 簡単に言うと恵庭市は札幌市のすぐ隣にある市だ。札幌駅からJRで三十分くらいのうちに着く。それでも通学の距離としてはかなり遠い方だろう。

 中学までは近所に住んでいる人としか同じ学校にならなかったけど、やっぱり高校はその辺の自由度が上がるから新鮮だ。

 続々と自己紹介は続いていき、僕の番になった。

 席を立ちあがり、黒板の前に立つ。

「えー、菊水きくすいに住んでます。高崎陽平です。朝、椅子を引かれて変な声を出したのは僕です。だからと言って皆僕の椅子を引かないでください、お願いします」

 短く締めた僕は、早々と自席に戻る。その次に、恵一の自己紹介が入る。

「前の高崎と同じ中学校で、菊水に住んでます、戸塚恵一です。暇さえあれば高崎とつるんでますが、別にそっちの気はないので誤解はしないでくださいね。よろしくお願いします」

 ……なんて自己紹介をしているんだ、恵一は。

「おっ、おい、どういう自己紹介だよ恵一」

「まあまあ。気にするなって陽平」

 恵一は特に悪びれることもなく後ろの座席に座る。これでいてきっと彼は大真面目なのだろう。

 その後もどんどんスムーズに自己紹介は進んでいって、男子が終わり女子の順になった。女子の先頭は絵見のようで、澄ました表情で凛とした雰囲気を漂わせつつ教壇に上がった。

「さっきの、暇さえあれば高崎とつるんでる別にそっちの気はない戸塚君と同じ中学校出身の石布絵見です。学校の近くに住んでいます。私も別にそっちの気はありません。よろしくお願いします」

 い、いや……絵見……?

 絵見もなあ……たまに「恵一の」ボケに対して乗ることもあるし。……まあ理由はなんとなく察してるけど。

 教壇から降りた彼女は少しニンマリと笑みを浮かべつつ席に戻っていく。それと入れ替わるように。

 一人の女の子が僕の横を通って前に出て行った。ふわりと長い黒髪がほのかに淡い香りを漂わせ、僕の鼻をくすぐる。


 ──一瞬。


 どこか懐かしいような感覚が僕の脳裏を走った。

 ……え?

 伏し目がちに、長い髪が目もとを隠す。第一印象を形容するならば、そんな言葉か。というか、それ以上はない。無理に付け加えるなら、暗そう。そんな感じ。

「……えっと、学校の近くに住んでます……及川遥香おいかわはるかと言います。……よろしく、お願いします……」

 まさに、蚊の鳴くような声、っていう表現がピンとくるような、そんな大きさの声だった。よく聞いてないと、聞き取れないような声量。

 周りも周りで自己紹介が終わったことにしばらく気づかなかった……らしい。しばらく空白の時間が流れた。

 そして、また再び彼女が僕の横を通過したとき。

 前髪の間から覗く瞳が僕と合った。

 そのまま及川さんは物静かに席についたけど。

「っ……え、え……?」

 刺すような痛みが頭に響いた。そのまま向いた目線の先に、もう誰もいなかったけど、変わらず僕の鼻腔はついさっき感じたどこか懐かしい香りが残っている。

 なんで……懐かしいって、思えるんだ?

 響いてきた頭の痛みは、茜の順番になる頃にはおさまった。だからというわけではないけど、そのときの僕は、あまり気には留めなかった。

 タンポポのように明るい香りが広がった、彼女のことを。

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