第5話 トゥルーマン・ショー
トゥルーマン・ショーを観た。あるいはトゥルーマンのショーを観たというべきなのかもしれないけど。
この映画はいちおうSF映画のくくりには入るけれど、ぼくとしてはそれ以上にユーモア映画として優れたところがあると思っている。それが何か、ということを短くまとめたい。
まず話を要約する。主人公であるトゥルーマンはシーヘブンという島に住んでおり、妻と幸せな生活を送っていた。彼は幼少期に父親を海難事故で亡くしており、そのせいで水恐怖症になり、島の外に出ることができないらしい。
ところが、ある日、トゥルーマンが会社に向かっていると、死んだはずの父親と道ばたでばったり出会う。それが父親だと気付き、近づくやいなや、周りにいた人が動き出して父親をどこかに連れていってしまう。この事件から、トゥルーマンは自分の生活に違和感を覚えるようになる。
ほかにも、車のラジオに映画を撮影するかのような指示をする無線が入り込んだり、雨の降り方がおかしかったり、エレベーターの中がなぜか役者の休憩所みたいになっていたりと、おかしなことが連続する。
そこで、実はトゥルーマンの住んでいる町は一つの巨大なセットに過ぎず、トゥルーマンは24時間監視され、さらには世界各国で放送されていることが明らかになる(視聴者に対して)。
トゥルーマンは学生時代(彼は生まれた瞬間から町の中にいた)にローレン(本名はシルビア)という女性と恋に落ちていた。ローレンも本気でトゥルーマンを愛していた。それでこの世界から逃げ出すために、トゥルーマンに真実を伝えた。しかし、そこに彼女の父親と名乗る男が現れ、シルビアの気は狂っているのだと言った。男はシルビアをどこかに連れ去ってしまった。トゥルーマンはこの記憶を思い出して、この世界はひとつの大きなセットであると確信するわけだ。
製作者側のいくつかの工夫の甲斐あってトゥルーマンは自身が勘違いしていたことを認めるが、これは彼の演技である。
で、このあとどうなるかと言うと、トゥルーマンは追われながらいくつかの冒険じみた現象を潜り抜け、セットの出口にたどり着く(ここの映像がいちばん印象に残っている)。
こんな感じで映画は終わる。シルビアとの再会までは描かれないが、それは蛇足というものだろう。以降は視聴者の想像に任せているし、ほとんど表現するまでもないことだ。簡単に内容をまとめてしまったけれど、ネタバレを食らっても一度最後まで見てもらえればこの映画の面白さは分かるはずだと思う。
面白さには二点ある。一つは、SFとしての面白さ=アイデアそのものと、アイデアをどれだけ広げていくのかを観る面白さ。二つは人間ドラマとしての面白さ=人が何かしらのある問題に挑戦し、突破するまでの過程を見る面白さ(成長物語としての面白さ)。前半においては、SFとしての面白さが映画を展開されるが、後半はトゥルーマンという人物が映画を終息へと進めていく。だからこの映画はそこら辺の科学技術でなんでもできるようになった世界で科学技術が問題を解決するというようなタイプのSFではない。たとえば、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』とかレイ・ブラッドベリの『華氏451度』とか、そのあたりに近い。もちろん政治的な言及では比べられないが、SFという世界観を利用して人間の普遍性を導こうとする姿勢は同じ(?)だと思う。(カート・ヴォネガットもそうかな(何か良いSF作品があったら教えてください))
書き忘れてはいけないことがもう一つある。トゥルーマンが脱出に成功した瞬間、世界各地で放送を見ていた人々が一斉に大喜びする。彼らはそれまでトゥルーマンが何も知らずに生活を送る姿を楽しみしていたはずなのに、トゥルーマンが去り際に発する一言によって、まるでそれを待ち望んでいたかのように拍手をする(まるでエヴァ(以下略))。トゥルーマン・ショーのプロデューサーである、名前は忘れたけどプーチンみたいなイカツイおっさんも、これには呆然とする。心理の中に怒りの感情しかないなら素直に怒るはずだ。そうならないということは、怒りとは別の感情が内部にあり、怒りと葛藤しているということだ。それは賞賛かもしれないし、あるいは番組が思いもよらぬ形で大団円を迎えたことへの喜びかもしれない。いずれにせよ、ラストのその瞬間においてイカツイおっさんとトゥルーマン・ショーという番組は救われた。世界中の視聴者も救われた(解放された)。何によって救われたのかと言えば、トゥルーマンのユーモアのある一言である。
ここまで大袈裟(?)に書いてしまうと、これから観るひとの感動の妨げになってしまうかもしれないけれど、これが正直にぼくの思うところである。
ところで、この映画から生まれた精神医学の用語がある。トゥルーマン・ショー妄想とは、自分の生活がつねに何者かに撮影されており、周囲の人間がやらせの役者なんじゃないかと思ってしまう妄想の一種のことだ。この用語は2008年に考案された。実際この症例は報告されているらしい(しかし、これが一つの診断名であるというわけではない。被害妄想、誇大妄想の一種に呼び名を与えたようなものだ)。
ちなみに、園子温監督の『アンチポルノ』という映画の中に、このトゥルーマン・ショー妄想を思わせるような場面が出てくる。それだけでなく、視聴者をびっくりさせる仕掛けがたくさん仕掛けてある(仕掛けすぎて後半わけが分からない)ので面白い。ぼくはネットフリックスで観た。(あと有名女優の貴重なSMシーンが見られる)
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