第2話 アナと雪の女王(弁証法の失敗)

 シェイプ・オブ・ウォーターの感想があまりに長すぎたから、これは短く収めたい。

 アナと雪の女王も実はつい最近に見た。世の中が例のシーンで大流行りしているときぼくはいったい何を考えていたのか分からないけど、「Let it go」と「Let it be」が異なる意味だということは気付いていた。ぼくにとっては「ありのまま」とはビートルズの「Let it be」にある通りの意味だ。調べてもらえれば一目瞭然(少ししか差異はない)なのだけど、たぶんこれで間違った覚え方をする人がいるんじゃないのかと思う。

 それはともかくとして、アナと雪の女王の対する評価はすでにいくつも出回っていて、その評価のほとんどが「歌と映像はいいけど、本筋はつまらない」というものだった。ぼくもだいたい見ながら同じようなことを思った。個人的にミュージカル映画が好きだから、歌う場面の高揚感や情報の圧縮具合はよかったのだけれど、本筋はどっかで見たことある話の焼き直しで、しかもアナとエルザが別れてしまう理由が単なるコミュニケーション不足という、子どもにはいいのかもしれないが、ある程度精神が発達した人が見ると滑稽にしか見えない仕掛けにとどまっている(子ども向けだからという問題ではない)。

 実を言うと、中盤までは結構結末に期待して観ていた。とくにオラフがアナの前に現れたシーンは、ぼくが勝手に結末を想像して興奮してしまった。そのシーンで、オラフ(ピエール瀧)は自己紹介がてらに歌を歌うわけだけれど、その内容が「夏が来ないかなぁ!」、「夏が来ればあんなことやこんなことができるのに!」、「でもぼくはもちろん冬も好きだけどね」、「夏と冬が一緒に来ればいいのに」というだいぶラリったものとなっている。要は本来相反する二つの現象をひとつにしたいという欲求だが、これがアナとエルザをひとつに戻す、しかも弁証法的に対立を解消するという結末を暗示するようにぼくには見えたのだ。それで期待して観進めていくと、結局は「愛」という神秘的で内容不明なものによって、エルザが力をコントロールできるようになり、アナの凍結が解けるというものだった。それでは納得できない。せっかくオラフという魅力的なユーモリストを設定したのだから、これを徹底的に利用して、一見馬鹿に見えるピエロ(ピエール!?)的存在がすべての問題を解消する(しかも弁証法的に)という構造をとってもらいたかった。

 このようなユーモリストによる解決を構造としている作品に何があるかといえば、たとえば「この世界の片隅で」(主人公、あるいは最後に出てくる戦争孤児)、「英国王のスピーチ」(吃音症の専門医)、「最強のふたり」とかそこらへんだろうか。ほかにもっといい例がありそうなものだがとっさに思いつくのがこのくらいしかない。(何かあれば教えてください。)

 注意しなければならないのが、ぼくは決して映画における「愛」というものを嫌悪していたりはしない。しかし、愛が何でも解決するだとか、愛があれば何もいらないだとかいう古臭くて実用的でない結論が、何の断りもなしに用いられることについては三日間常温に放置された牛乳を飲むのと同じくらいには警戒している。そもそも映画で描かれる状況なんて現実には起こりえないのだから実用性など必要ないじゃないか、という意見もありそうだけれど、映画(に限らず創作物一般)には、まず現実に取りざたされている問題を抽象化し、提示し、それに対して一般解ではなく特殊解を与えるという基本的な役割がある。これは、社会からそうすることを求められているからであるのと同時に、物語を作るうえでこれが最もやりやすい形式だからでもある。よって、「映画に描かれる状況は現実に起こりえない」という指摘は真だけれど、映画に描かれる状況が現実のコピーとして現れている以上、そこには現実における解答に転換可能な映画内での特殊解が求められるというわけだ(ところでこの特殊解を現実に転換して一般化していくのは誰かと言うと、批評家とか視聴者にほかならない)。そして「愛」を用いた都合のいい問題の解決は現代には通用しない。とくに姉妹の仲たがいを愛で解決しようとするのは、やや議論が転倒している。そう簡単に「愛」を手にし、利用できるなら始めからそうやっていればいい。むしろこの映画に必要だったのは、姉妹げんかの顛末を整理し、お互いの主張を受け入れつつ、妥協の道あるいはアウフヘーベンの道を模索する回答だった。それを期待されたのがオラフという滑稽な雪だるまだったというわけで、ぼくとしてこのいかにもユーモアのあるキャラクターがどうにかこうにか(アナとエルザの、夏と冬の)アウフヘーベンを行うことができたらこのうえなく感動したに違いない。(見るからにダメそうで、役に立たないことを自分でも分かっているやつが無意識ながらめちゃくちゃスマートな方法で世界を救うというのは非常に燃える展開なのだ(クレヨンしんちゃんとかドラえもんとかね)。)

 

 ぼくが言いたいことは以上で、要するにオラフの設定は良いのに使い方が悪いということだ。もちろん映像による描写などに目を見張る点があるから、単に一面を見た感想は言うべきではない(エルザが雪山で歌うシーンは心情描写としてよくできています)。一応これだけは留意しておいてもらいたい。


今回は短く済みました。

 


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