青はチャイムが鳴りやむのを待ってから、しゃべりだした。

「推理を話す前に、少し確認したいことがあるんだ。コピー室には時計があった?」

私が答える。

「いや、なかったよ」

「わかった。ありがとう。じゃあもう一つ、コピー室と私のいた部屋に面した廊下の窓は空いていたか?」

これは私には分からなかった。久遠さんが答える。

「私が来たとき、二、三箇所空いてたよ。帰り際に閉めたのを覚えてる」

「うん、辻褄があう。それじゃ、推理の披露といこう。

 この謎のポイントは二つだ。ひとつは『昨日五時ごろ、廊下を通る私を、なぜ同じく廊下に出ていた久遠さんは見なかったのか』だ。もう一つは、また後で。

 昨日五時ごろ、私は帰るために、久遠さんのいるコピー室の前を通った。これは、私がしたことだから私には自明なのだけれど、他人からすればそれは理論的ではないから、まずそれについて述べよう。私がもし、あの廊下を通っていなかったら、という仮定だ。これが偽であれば、私は廊下を通ったことになる。

 私がもしあの廊下を通ってなかったら、あの部屋は密室になる。密室というのは、出入り口が塞がれている状態で、侵入または脱出、もしくはその両方が不可能な状態にある部屋のことだ。なぜ密室と言い切れるのか。

 経路として考えられるのは、廊下を除外すれば窓しかない。非常階段や屋上などがあれば別だが、あの部屋から廊下を通らずに非常階段へはたどり着けないし、建物は四階建てだから屋上も遠い。では窓からか。三階窓からの脱出も現実的とは言えない。咄嗟の飛び降りは怪我どころか死ぬ可能性が高いし、何かしらのクッションを準備することもできなかった。あの部屋で待つことを決めたのは放課後になってからだから、時間的に無理がある。なにより、そこまでの危険を冒す理由がない。

 よって、廊下を使わない限り、あの部屋は密室だったことになる。密室というのはそれ自体が反証になりうる。外からなんの影響も受けない密室なんて、本来存在するはずがないから。だから、私は廊下を通った。ということになる。

 では、なぜ私は廊下を通っていながら、その場にいた久遠さんに気づかれなかったのか。

これの解決法は一つしかない。

 あの時間帯、あの場に久遠さんはいなかったんだ」

久遠さんが反論する。

「いなかったって言われても、私はいたよ。私が嘘をついているって言いたいの?」

「違う、久遠さんは嘘をついていない。それはこれから話すから。さっきも言ったように、密室という現象は存在しえない。でも、推理小説では密室がよく扱われているよね。あれは完全な密室ではないから存在しうるし、推理の余地がある。不完全な密室には必ずスキマがある。まず、空間的スキマ。これは三次元空間という意味ね。次に、時間的スキマ。昨日の事件は、この謎は時間的スキマによるものよ」

なんだか回りくどくなってきた。

「時間的スキマってどういうこと?」

「時間的スキマ、つまり、二つの座標のズレ。私と久遠さんの時間にはズレがあったのよ。と言っても、私がとても大きな重力を受けていたとか、そういうことではなくて、久遠さんは時間を間違えていたのよ。たぶん、一時間ぐらい。

 この結論から、二つめのポイントに進める」

 久遠さんは目を見開いていた。わかりやすいほど驚いている。何かに気づいたのだ。おそらく、この謎が解けたのではないか。私には一向にわからない。久遠さんは適当なことを言うタイプではない。ちょっと時間にルーズだけど、根拠なく言い張ったりしない。その久遠さんが、五時に廊下にいた、と言った。そして、それが間違いだったという。なぜ久遠さんは時間を間違えた?

「二つめのポイントは、『なぜ久遠さんは時間を勘違いしたのか』だ。これは、私から説明しようか? それとも、久遠さんがする? もう、わかったんだよね」

「わかった。私から説明する。私は、あのとき廊下で、チャイムを聞いていたの。さっきも流れた夕方のチャイムを」

 チャイムを? だからといって、それと昨日のこととなんの関連が? それに、なぜチャイムをわざわざ聞いていたの?

「私はついさっきまで勘違いしてたの。惣田さんの推理を聞くまで。私、あのチャイムが鳴るのは五時だって思ってた」

 五時? チャイムは六時に鳴るものだ…… と思ったとき、このあいだの青の言葉を思い出した。

「夕方のチャイムだね。このチャイム、自治体ごとに鳴らす時間帯や音色が違ったりするんだよ。鳴らさないところもある」

 この会話の時、久遠さんが以前いた街では、音色が同じだといった。私はそのまま、時間帯も同じだったのだと思った。久遠さんもそう思った。これが勘違いだった。

 久遠さんのいた地域では、夕方のチャイムは『遠き山に日は落ちて』の音色で、五時に鳴る。この地域では、『遠き山に日は落ちて』の音色で、六時に鳴る。

「あのチャイムが鳴ったから、五時だと思ったのよ。前にいた街では五時に鳴っていたから。それで、惣田さんの姿を見なかったのね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る